playgroundを退職します #遺書002
プロローグ
2015年冬。
「どうして日本では、電子チケットが流行らないんですか?」
素朴に、しかし勇気を込めて投げかけた質問に、業界では誰もが知るその重役は、口角を少し上げて答えた。
「俺たちが潰してるからだよ」
冗談なのか牽制なのか判断できず、僕は一瞬固まる。
「・・・と言いますと?」
「知りたい?」
「ぜひ知りたいです!」
また、少し口角が上がる。
「潰してるっていうのは半分冗談なんだけどね。結果的にそうなってしまっているって話でさ。日本のチケット業界がどういうカラクリかっていうとね、、」
その日初めてお会いした重役に吸い寄せられるように、僕は浅く座り直した。
2016年夏。
「やれるもんならやってみればいいですよ。チケットのこと舐めてるとしか思えない。絶対に上手くいきませんから。」
約束の時間に15分遅れて登場したその社長は、肘掛け付きのメッシュチェアーの背面にめいいっぱい体重をかけて、こちらを見た。
「うちは一緒にやる気ありませんから。もうこの打ち合わせは終わりでいいですね?お帰りください」
机を「バンッ」と叩いたかと思うと、面食らっている僕を置いて、さっさと会議室から出て行ってしまった。
残された僕は、ほとんど使わなかったPCをカバンにしまい、帰り支度を始めるしかなかった。
2024年春。(約8年後)
赤、ピンク、黄色の揺れるペンライト。
すり鉢状のスタンドは、熱狂する5万人で埋め尽くされている。
「これ全員MOALA Ticketで入場したお客様なんですよね」と、隣に立つエンジニアがつぶやく。
僕が立ち上げた電子チケットプロダクト『MOALA Ticket』は、日本で最も流通する電子チケット規格に成長した。
この度、
僕はその会社、playgroundを退職します。
(5月末で退職。現在は有休消化中)
今、残しておきたいこと(なぜ書くか)
8年間、たくさんの仲間、たくさんのお取引先様、たくさんの応援してくださる方々に支えていただきました。
心から感謝しています。
僕には2歳と3歳の子どもがいます。
「息子が生まれて遺書を書き始めた。 #遺書001」にも書いたのですが、もし今僕が死んだら、おそらく子ども達の記憶に、僕という存在はほとんど残らないでしょう。幼児期健忘というやつ。
playgroundは僕にとって、とても大きな存在でした。
死んでしまう予定は全然ないのですが、
もしもの時のために「君たちの父はいろいろ悩んだり考えたりしながら、結構頑張って生きてきたんだよ」ということの1つとして、
playgroundに注いだ情熱の一部を、書き残しておきたいと思います。
僕自身も、時間が経ったら忘れていってしまうでしょうし。
これは、そんな遺書の一部です。
※引き続き成長を続けるだろうplaygroundや、関係者の方々の迷惑にならないように努めますが、あくまで僕視点で書き記すことです。思うところある方がいたらすみません。
1.はじめての転職は、“優しすぎ”た
2015年夏。
僕は新卒で入社したIT系メガベンチャーを退職し、大学時代からの知り合いが起業し、社長を務めるスタートアップに転職しました。
当時流行っていた「オムニチャネル」というバズワードを武器に、大手百貨店や大手スーパー、化粧品メーカーやPCメーカーなどのCRM支援、スマートフォンアプリ開発支援、デジタルマーケティング支援などを行う、10人ほどの会社でした。
時代の流れと良いお客様に恵まれ、会社としては好調といって良い状態だったと思います。
が、僕にとっては、それほど良い状態ではありませんでした。
前職では朝9:00〜夜25:00まで仕事をして、文字通り「家には寝に帰るだけ」の生活をおくっていました。たくさんの優秀な先輩に囲まれ、口を開けて待っていれば、次から次にハードで興奮する仕事にありつくことができました。本当にたくさんのことを教わりました。
それが、です。
転職してみたら朝10:30からダラりと始業し、17:00には帰宅できるような毎日になりました。お昼にはランチついでにシャワーを浴びに家に帰りました。
(ちなみに、当時のオフィスは東新宿で、家の住所は歌舞伎町でした)。
もちろん誰も管理してくれません。
前職では真夏でもスーツにネクタイが当たり前だったのが、
「ジーパン+白Tシャツ+紺ブレ」という、ステレオタイプな「ベンチャー社員」の格好で過ごすようになりました。(これは別に悪いことではない)
午前中にお客様先に出掛けて行き、昼に入ったラーメン屋で、スーツ姿の諸先輩方を眺めながら昼ビールを飲む。(もう午後に予定はない)
「あ〜、今の僕、すごくベンチャーっぽいなぁ」という、錯綜した勘違いを抱いていました。
新しい環境は、あまりに“優しすぎ”ました。
「このままじゃ腐るな…」
そう気がつくのに、それ程時間はかかりませんでした。
2.始まりの企画書
学生時代、「実現できないアイディアなんて、1円の価値もない」ということを見せつけられた出来事がありました。(この話はまた今度書きたい)
なので、「社会人になったら、企画を実現できる力を身に付けたいな」と漠然と考えていました。
そんなことを思い出したのは、転職して4ヶ月が過ぎようとしているころでした。
「このままじゃ腐る。何か企画をしよう」と思い立ちました。
社内にあるアセットと、4年の法人営業経験で、何ができるか。
A4コピー用紙の上で、3CやらSWOTやら、当時知っていた数少ない「戦略の作り方」をこねくり回した結果、
「スポーツ/エンタメに特化したアプリパッケージを作ったら、売れるんじゃない?」
という仮説に辿り着きました。
その内容を、パワーポイントで『ファンクラブアプリ企画趣意書』なる約10ページの資料にまとめました。
3.テレアポ開始。50人にヒアリング。
僕自身は、生まれてこの方、スポーツ観戦をする習慣がまったくありません。
カラオケは好きですが、特定のアーティストに夢中になった経験もありません。(人生哲学の半分くらいは思春期に聴いていたアーティストの影響を受けていると思っています。B'z、ゆず、glove、etc.)
そのこともあって、
『ファンクラブアプリ企画趣意書』を書いてみたものの、その仮説は筋がいいのか、出鱈目なのか、まったく判断できませんでした。
仮説といっても、当時の解像度はこれくらいのものなのですが。
広島カープも、ももクロもB’zも、ファンクラブシステムに求められる要件に大差はないだろう。したがって、パッケージ化できるはず。
スポーツ/エンタメ業界にもオムニチャネル的な波は来る。むしろ小売りなどよりもずっと相性はいいはず。
うちの会社が持っている電子スタンプの特許を使えば、電子チケットができ、差別化の起点になりそう。
仮説検証をしたいと考え、さっそく行動を開始しました。
テレアポです。
テレアポは前職の法人営業で散々やっていたのすが、まったく知らない業界のターゲットリストを作り、会ってもらうためのスクリプトを練り、私用スマホから発信するのは、ドキドキする作業でした。
とても有難いことに、
テレアポやご紹介などで、すぐに50人程の方々にお会いできました。
ヒアリングや、仮説の壁打ちをさせていただき、日本の「チケット事情」についての解像度が日に日に上がって行きました。
その中で、企画書の内容も修練されていきました。
3.見つけた問題と、playground創業
50人程のエンタメ、スポーツ、チケットにまつわる有識者の方々にお話を聞いてわかった結論は、2つでした。
1の理由は、立場や視点によって様々でした。
不正転売防止、インバウンド需要への対応、現場運用スタッフのアルバイト枯渇問題、ユーザビリティの観点、CRMやタッチポイント強化といったマーケティング観点、COOLかどうかというブランディングの観点などなど。
一方で、
2については、皆さん異口同音に同じことをおっしゃいまいした。
それは「業界構造」や「業界慣習」による、非常に根深い問題でした。(ものすごく面白いのですが、ここでは割愛)
全体像への理解が深まり、解像度も高まる中で、
僕の企画書の内容もブラッシュアップされていきました。
問題の本質は何なのか。
どういうポジションを取るべきなのか。
事業としてどうやって収益を上げるのか。
なぜそれが実現できると言えるのか。
コンセプトのワーディングはどうすべきか。。。
「“電子チケット共通規格”を我々が作ったら、使ってくださいますか?」
その問いかけに対し、「いいかも」と言ってくださる大手企業の担当者の方が、ちらほらと現れ出した時、
僕は自分の会社の社長を、会議室に呼び出しました。
「こういう話があるんだけど、新規事業を立ち上げない?」
転職から約1年が経った、2016年夏の事でした。
「え、まじ?河野さんこんなことやってたの?」
それからさらに1年後の2017年6月1日。
playgroundは創業しました。
※新会社設立に一番重要な資金周りは、社長が物凄い頑張ってくれました
4.少しずつ、増える賛同
はじめて踏み込んだエンタメ、スポーツ、チケットの業界は、とてもスリリングでした。
業界の諸先輩方の話はいつも熱意とドラマとウィットに溢れてました。こちらが提案するはずが、すっかり「業界の面白話」に時間を忘れることもしばしばでした。
そうかと思えば、打ち合わせ開始そうそうに「喧嘩売りにきたの?」と凄まれ、冷や汗をかくこともありました。
あるプロスポーツチームの現場責任者の方からは、「システム屋さんの提案は、格好いいけど割に合わないんですよね」という金言をいただき、ある大手音楽事務所の役員の方からは「いいサービスだから売れるとは限らないからね」という警句をいただきました。
優しい助言も、厳しいお言葉もたくさんいただきました。
そして「一緒にやろう」と言ってくださる方が、少しずつ増えて行きました。
「実績がない」「機能がない」「協賛金はいくら払えるのか?」と言われながらも、
ビジネスモデルやビジョンやロマンに共感してくれる声に、手ごたえを感じました。
数枚しか使われない現場に、お客様のリアクションをチェックするために新幹線で出掛けて行き、許可をもらって写真や動画を撮らせてもらい、提案書の「実績」のページを1枚ずつ増やしていきました。
広報をはじめて経験したのも、この頃でした。
「月に1本以上はプレスリリースを出す」ことを決め、たくさんプレスリリースを出しました。
「playgroundは対外アピールが上手だ」と言ってもらえた時、すごく嬉しかったのを覚えています。
「playgroundを応援してくれる人を作る」が、当時の僕の目標でした。
一つ一つの賛同の声に、体の奥から湧き上がるものを感じました。
5.本気になった瞬間。
とはいえ、今だから白状してしまうと、当時はまだ「自分の考えた企画がウケている、という状態に喜びを感じている」というのが正直なところだったように思います。
本気で「この事業で業界を良くするんだ!」と考えるようになったのは、
手探りで事業を始めてから、半年程たったころでした。
それは、あるプロスポーツのW杯での出来事です。
ありがたいことに、その大会の決勝リーグで、MOALA Ticketを採用していただけることになったのでした。
マイナースポーツではなく、全然メジャーなスポーツです。正真正銘、世界一を決定する国際試合でした。
採用されたと言っても、メインは紙チケットでした。チケットを購入したお客様が、紙(コンビニ発券)か、電子チケットを自由に選択できる形式です。
選択式とはいえ、国際試合での採用に社員一同(当時は10人くらい)の心は躍っていました。
それなのに、試合前日になって、僕たちのシステムで確認できる電子チケットの発券枚数は、一試合あたりわずか数枚でした。
つまり、電子チケットを選択してくれた方が、1試合あたり数人しかいない、ということです。少なすぎないか?と。
それでも試合当日は始発に乗って、新幹線で現地に出掛けて行きました。
試合が始まり、驚愕しました。
正確には、「え、この状態で試合はじまるの?」ということに驚愕しました。
巨大なコンクリート造りの立派なアリーナ。その座席は、控えめに言っても95%は空席だったからです。
話を聞くと、
チケットもぎりや売店、その他の運営スタッフの方々の多くが、現地近郊の高校の先生や部活動の生徒など、ボランティア(つまり無給)ということでした。
W杯でこれなの?
そのスポーツ競技は僕が通っていた公立の中学、高校にも部活としてあるものでした。中学/高校時代に、その競技に情熱を燃やし、総体での一勝を目指していた同級生達の顔が脳裏にチラつきました。
今、目の前で行われているのは、その延長線上。その競技における世界No.1、才能と努力と情熱の頂点を決める試合です。
それなのに、こういう状態なの?
「プロスポーツが、ビジネスとしてまったく成立していない」
という現実を目の当たりにした瞬間でした。
そして、「僕たちはこれを変えるんだ」と、心に火がついた瞬間でした。
※これはプロスポーツについて感じたこと。音楽や観劇についても、それぞれ類似の心を動かされるエピソードがあるのですが、ここでは割愛します。
6.はじめての会社運営
また、僕にとってplaygroundははじめての「会社運営」でした。
1から組織を作ることに、ワクワクしました。
何よりも、自分の口で語るビジネスモデル、ビジョン、ロマンに共感してくれる仲間が増えていくことが、たまらなく嬉しかったです。
「一緒にやろうよ!絶対楽しいから!」と、熱意をもって誘えること、そしてそれにノッてもらえることに、
「すごくスタートアップっぽいぞ!」とドキドキしました。
僕は取締役には入っていませんでしたが、
はじめてもらった「執行役員」という肩書きと、事業推進責任者というポジションは、少し大きな服を着せてもらったようで、割と気に入っていました。
主務は法人営業でしたが、
事業計画作り、親会社への報告、広報活動、採用活動、制度設計、MVVの設定、文化醸成、社内企画の運営、PdM、カスタマーサポート、etc。と、
幅広く会社を前に進めるためのことは、何でもやりました。
「活きがいいスタートアップの役員」という下駄を履かせていただいたおかげで、普通では決して謁見の機会を得られないような方々(まるで生ける伝説)からも、経営や事業に関するご助言と、たくさんの迫力をいただきました。
この8年間で、たくさんの方にお会いしました。
名刺管理アプリによると、3,500人以上の方と名刺交換をしているみたいです。
(意外と少ない気もするけど、2020年以降はコロナで名刺交換する機会が激減したしなぁとも思います)
たくさん、打ち合わせをしました。
たくさん、文章を書きました。
たくさん、資料を作りました。
たくさん、本を読みました。
そして、たくさんのことを考え、悩んだ8年間でした。
その分、たくさんのことを実行し、実現し、世界に価値を生み出せた8年だったらいいなぁ、と振り返ったりします。
7.なんで退職するの?
月並みな言い方ですが、転職にあたっては、本当に悩みました。
かれこれ1年以上は悩んでいました。
苦楽を共にしてきたメンバー、信じてくれるパートナー企業の担当者様、利用ユーザー様への感謝。
これからも成長し続けるだろうplaygroundやプロダクトの未来への期待。
個人的にplaygroundで成し遂げたいと考えていたことへの未練。
理由を乱暴にまとめると「経営方針に関する好みの不一致」ということになると思います。
重要なのは、意見の食い違いとか、良し悪しの評価ではなく、「好みが違うかな」というだけの話という点。
「J-POPとレゲエはどっちが正しいか?」という議論が不毛なのと同じで、どちらの方針が正しいかという議論は、無意味であると思っています。
「最初から違ったの?」と聞かれることも多いのですが、それは否です。
例えば、みんな最初は最初は「音楽」が好きになる。
それがだんだんわかってくると、それぞれが「J-POP」が好きになったり、「ジャズ」が好きになったりして枝分かれしていく。「J-POP」の中でも、アイドル系が好きになったり、クラシカルなものが好きになったり、メッセージ性や音楽性など、さらに好みが細分化されていく。
そのようなことは、エンタメを問わず、いろいろな世界に当てはまることなのではないかと思います。
「経営方針に関する好み」も、似たような話です。
誤解なきようにですが、円満退社です。
次の5年10年を考えた時に、
「このバンドが作りたい音をずっと演奏するのは、しんどいかもな」
「このバンドは、自分がいない方が売れるかもな」
「もっと楽しく演奏できるバンドが他にあるかもな」
という気持ちが芽生え、そして大きくなっていきました。
また、
0から作った電子チケット事業が、日本一になるまで成長し、
「言い出しっぺの責任は果たしたかな」と思えるようになったことも大きいです。
やりたかったことは、まだ1割くらいしか実現できていない気もしますが、創業時に抱いた目標のいくつかは達成することもできました。
それらは、今退職することに対し、自分を納得させる材料になりました。
8.まとめ
「今、残しておきたいこと(なぜ書くか)」に書きましたが、これは遺書の一部です。
正直なところ、僕自身は「自分の父親が仕事で何をやっていたか」について、具体的なことはほとんど知りません。(話したことがないだけ)
自分の子ども達にも、話す機会がないかもしれません。
でも、
「機会があったら話したいなぁ」と思う、
ドラマや感情が、まだまだたくさんあります。
まずは、
「君たちの父は、結構頑張ってplaygroundで働き、それでいただいたお金で0歳→3歳に育ったんだぞ」
「それは、たくさんの仲間やお客様に支えられてのことなんだぞ」
ということを、
ここに記しておきたいと思います。
playgroundで出会ったたくさんの皆さん、本当にありがとうございました。
これからも、よろしくお願いいたします。
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