私はボクシングが好きだ!:日本人世界王者⑪~ 竹原慎二 ~

元WBA世界ミドル級王者、竹原慎二。
私にとって竹原慎二の印象は、ミドル級で日本人初の世界チャンピオンになったこと、そのものである。それまでは、ジュニアミドル級(当時)で世界王座についた輪島功一が最重量級であった。
喧嘩に明け暮れ、暴走族にも入る不良時代を過ごし、あまりの素行不良から地元では「広島の粗大ゴミ」と呼ばれていた。1988年9月9日にプロボクサーを目指して上京。
1989年5月15日の但野正雄戦でプロデビュー。4回KO勝ちを収め、デビュー戦を白星で飾る。平山起代治に2度連続でKO勝ちし、北田義治を1RKOで下すと、同年12月23日の東日本新人王決定戦に出場。ビニー・マーチンを6R判定で下し、第46代東日本ミドル級新人王になる。翌1990年2月18日に、徳田晴久を2RKOで下し第36代全日本ミドル級新人王になる。同年11月26日には朴健洙(韓国)を相手に初国際戦を経験し、1RKO勝ちする。
1991年10月28日、王者・西條岳人に7RKO勝ちし第41代日本ミドル級王者になる。後に東洋太平洋ライトヘビー級王者になる寺地永を2RKOで下し初防衛を果たすと、真田雄一(西澤ヨシノリ)とビニー・マーチンそれぞれを10R判定で下し、3度の防衛を果たして王座を返上した。
1993年5月24日、李成天(韓国)に12RKO勝ちし東洋太平洋ミドル級王座を獲得。同年11月22日にニコ・トリリ(インドネシア)を6RTKOで倒して初防衛を果たしたのを皮切りに、1度のノンタイトル戦を挟んで6度王座を防衛した。95年9月12日に6度目の防衛戦で李成天と再戦を行った。8Rに左フックの相打ちでダブルノックダウンがあったが竹原が3-0の判定で防衛した。
1995年12月19日、無敗のまま24戦目で、WBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑んだ。試合は3回、竹原が左ボディブローでこれまでダウン経験のない王者からダウンを奪う。ダウンから立ち上がった後は一進一退の攻防が続き、終始打ちつ打たれつの激戦が展開されたまま試合は終了。判定で竹原が勝利し、日本人初の世界ミドル級王者となった。
1996年6月24日、初防衛戦。ランキング1位ウィリアム・ジョッピー(米国)との指名試合に臨む。試合は初回から竹原の力み過ぎが目立ち、挑戦者の右をまともに浴びた王者が手をキャンバスに付くダウン。その後もジョッピーに終始ペースを握られる。9回、挑戦者が連打で王者をコーナーに追い詰めたところでレフェリーストップ。6か月で世界王座から陥落した。
試合後、一時は再起に向け練習を再開するも、その後網膜剥離が判明。引退を余儀なくされた。戦績:25戦24勝(18KO)1敗。
2014年、前年から血尿などの体調不良があり精密検査を受けた結果、膀胱癌が判明。リンパ節への転移も見付かるほど病状が悪化していたが、手術・抗がん剤などの治療を経て、現在は通院を続けながら経過観察中。
 ミドル級での日本人世界王者は、竹原慎二と村田諒太(現)と、歴代でただ2人しか出ていない。それくらい難しいクラスである。多くの強者がいるこのミドル級で世界を取った竹原の実力は、大いに称えられるべきである。また、癌を乗り越えてきたことに勇気を貰える。今後もぜひ、多方面で活躍してもらいたい。

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