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一生じゃ足りない。

丘の上にあるサンタテレザの町。リオが美しいのはビーチがあるからとよく耳にしたけれど、この趣って坂の多い町に共通している。

市街地の中心カリオカからチンチン電車で水道橋の上を走って景色を楽しむうちにサンタテレザに到着する。ファベラの子供たちが演奏会をするからおいでよと先日訪れたパン屋さんが言うので、サンタテレザ観光がてら戻ってきたのだ。ファベラは低所得者層がひしめき合って暮らす地域でブラジルの町々に存在する。ファベラをスラムと一言で括るには少し乱暴で、この地域の歴史は深い。不法居住区として政府から無視され弾圧されて来たが、社会的差別を受けてきたアフリカ系ブラジル人や貧しい移民など、ファベラの住人はこの国のインフラや文化を築いてきた人々だ。サックスを奏でる小さな手を見ながら、「こんなころからこれだけ弾けりゃ楽しいだろうな」とパンをかじる。帰りは坂道で、丘の上からの景色を楽しみながら降りてきた。途中、ある家の壁に目が止まる。北斎の波に並ぶ親しみある女性たち。こんなところでウチの海女さんたちに遭遇するとは。

何年も前、実家でアルバムを開くと、母が授乳する写真が貼られていて戸惑ったのを覚えている。お客さんも見るものだから親切のつもりで母に「この写真貼ったままでいいの?」と問うと、「あー昔は普通だったけど今だとおかしいかなあ」と母は娘の指摘に戸惑った様子。「どーかなー」ってふたりでもやもやと言いながらおもしろい写真に気をとられ、結局写真はそのまま思い出のページにのこされた。この手のトピックっていろんな場所にあって、オーストラリアではかつてのように公共の場で授乳をしようという女性も増えている。女性ばっかりなんでおっぱいを隠さなきゃいけないのかって考えると確かにおかしな話で、日本も少し前まではもっと自然な考えがあったのだと、凛々しく笑う海女さんと向き合ってまた思い出した。同じ女性同士で理解がなければ男性の理解を促すのも大変で、性暴力の被害者に対して「そんな時間にミニスカートなんか履いて歩いているほうが悪い」とか恥ずかしげもなく堂々と言わせている場合じゃない。授乳する母親が当たり前におっぱいを出せないような社会に問題があって、自粛してもどんどんと当たり前の権利は奪われていく。自分の言動もその一環になっていたなんてなんとも後味の悪い話だ。次に帰った時にはあの写真を引き伸ばして額に入れ、神棚にでも飾らなければ。いや、実家には神棚などないのだった。

そんなことを考えながら歩いていると気づけばセラロンの階段までたどり着いた。チリ生まれのホルヘ・セラロンという画家が補修の目的で始めたタイル張りの階段。通りには土産物屋が並び、ストリートミュージシャンのギターが味を添えている。下を見れば観光客でにぎわい、みなこの美しい大作に身を投じて写真撮影に忙しい。この階段だけでどれくらいの経済効果を生んでいるのだろうと思うと、庶民文化ってやっぱりすごい。ヒルトンホテルだってこうゆうものなしには商売上がったりだろう。

帰りにカリオカの広場でオヤジがヤシの葉で編む器を買った。真ん中の茎部分を底の補強に使って丈夫に編まれている。自分にもひとつ持ってかれたらいいけど、器をかぶって向こう一年旅行するのも大変なので泣く泣く諦めた。お世話になった宿主にあげるととても喜んで早速テーブルの鉢植えになった。愛情注がれた家だから、こういうものがよく似合う。

いろんな暮らしや文化に出会いながら、でもそのほとんどを見落としながら旅は続く。一生じゃ到底足りない。

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