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PUNKに救われた話 (1)

神様にお祈りをしたことがある。

塾をサボりまくって迎えた高校受験当日の朝。
寝坊で飛行機に乗り遅れそうだった昼。
昨日まで元気だった祖母が倒れたと聞いた夜。

今のところ、神様に借りを作った記憶は無い。



音楽にお祈りをしたことはない。

無意識に白線を飛び越えようとしていた朝。
教室の端で突っ伏して寝たふりをする昼。
自身も希望も無く迎える明日に絶望した夜。

音楽には借りがあり過ぎる。



高校1年生の終わり、僕はイジメられていた。

不良生徒が少なくないことで有名な田舎町の高校に進学した僕は、高校デビューを狙って少し調子に乗っていた。

イジメが始まったキッカケは、些細なことでクラスメイトと口論になったことだった。
そのクラスメイトは同級生や先輩、そして校外にも顔が利いた。

それ以来、僕は学校の内外で彼らのイジメの対象になってしまった。

昼は購買部へパシリとして走らされ、食後はトイレに呼び出されて無意味にひたすら殴られた。

進研ゼミの漫画のような世界を夢見た憧れの高校生活は、読んだこともないヤンキー漫画のエキストラのような世界だった。

そんな毎日が嫌で、学校を親にも内緒でサボる日が増えた。
すると、翌朝は通学路に他校生が待ち構えていたりして、そのまま山や空き地に拉致され、サウンドバッグのように殴られた。


「ワイ(お前)、学校や警察に言ってみろ?殺すけん。」
「ワインゴタヒョロカットヒダリテイッポンデヨカッゾ」
(訳:お前みたいなヒョロい奴は左手一本で地獄行きだ。)


左手で殴られまくった挙げ句、最後はチョークスリーパーで失神。

薄れいく意識の中で「両手使ってるやん…」と命懸けのツッコミを入れたのは、今となっては笑い話だけれど、当時は本当に辛かった。
(イエ〜イ、◯川君!見てる〜??)


絶望の日々、それ以上でもそれ以下でもなかった。

恐怖心と羞恥心に全身を侵され、親や先生にも言えず、無力な僕には成す術が全く思いつかなかった。

当時は学校での生活が人生の全てで、「マジで人生が終わった」と本気で思っていた。

自殺を考えたことも1度や2度の話ではない。

僕をイジメている連中の名前入りの遺書のようなものを書いたこともあった。

それでも、実際に自殺を実行することがなかったのは、死への恐怖が最後はギリギリ優勝しちゃうこと、そして大好きな音楽を聴いているときは気持ちを少しだけ強く持てたこと、ただそれだけだったように思う。




2001年、当時はいわゆる“青春パンク”という音楽が流行っていて、高校生の間でもパンクという言葉が身近に使われはじめた頃だった。

僕も例に漏れずGOING STEADYをはじめとするその周辺の音楽を好んで聴いていた。

しかし、何となく「周りと一緒は嫌だ」という高校生に有りがちな欲求不満で、僕は次第に誰も聴いていないであろう海外のハードコア・パンクを聴くようになっていた。


囚人のような気分で乗り込む通学バス
影さえ消したかった一人ぼっちの昼休み
遊具にすら笑われている気がした公園
ため息で湿った布団の中


誰とも話したくない。


周りの全てから逃げるように、意味も解らない言葉の音楽をずっと一人で聴いていた。

それでも、不思議なことに彼らの音楽から僕はメッセージを受け取れている気がしていた。

「一人でも良いよ。」

「けれども、君は決して一人ではない。」

ハードコア・パンクの音楽を懐に忍ばせているときは、自分が少しだけ強くなった気分がした。

あの頃の僕は、イヤフォンから流れてくる音楽に支えられて何とかギリギリで毎日を歩くことが出来ていた。
祈りを捧げることはなくても、それは僕にとってお守りのようなものだった。



ある日の昼休み、いつものように教室の隅で自分の存在を殺して音楽を聴いていた。

すると、突然目の前に現れたイジメ主犯格のKというクラスメイトに机を蹴られ、CDウォークマンを取り上げられた。

「偉そうに音楽なんか聴きやがって。」
「どうせダサい音楽を聴いとるんやろ?」


ヘラヘラと笑いながらイヤフォンを耳にしたKは、しばらく聴き入り、小刻みに頭を揺らし始めた。

そして、彼から目線を逸らして固まっていた僕に話しかけてきた。



「おい!」







「これ、何てバンド・・・??」






次の日から、次第に僕はKと行動を共にすることが増え始めた。


「こいつダセぇけど、聴いとる音楽は面白かぞ。」


Kは、仲間に「音楽の趣味が面白い」と僕のことを紹介してくれるようになり、イジメっ子たちは僕を殴るためではなくCDを貸りるために教室にやってくるようになった。

気がついた頃には、自然とイジメも無くなっていた。


それからは、今までと違った理由で学校に行かなくなった。
彼らと学校の裏にある海岸の防波堤に隠れて煙草を吸ってみたり、女の子の話をしたり、流行りの洋服の話をしたり、最近聴いている音楽の話をしたり。


高校2年生時の欠席日数は3桁に迫り、不良たちと一緒に職員室に呼び出されるようになっていた。
教室での思い出は少ないが、いつの間にか僕の高校生活は「まぁまぁ楽しかった」と言える3年間になっていた。

ただの元イジメられっ子の下らない思い出話だけれど、これが僕が音楽に借りを作ってしまった最初の記憶。

あの昼休みに僕が聴いていたバンドのことは、17歳だったあの頃から更に17年が経った今でも忘れはしない。



ボーカルの明るくヒョロヒョロな声。
前のめりに転びそうになるほど速いスピードの演奏。
歌詞の意味を辞書で引くのが恥ずかしくなるほど熱いメッセージ。


いつも僕の耳元で鳴り続け、僕を絶望から救ってくれた。

彼らの名前は、7SECONDS。

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