プリンセス・クルセイド #6 【悪意の足音】 5

「でえりゃあ!」

「くっ……!」

 およそプリンセスらしからぬ叫び声を上げながら襲い来る猛攻に対処しながら、シトリンは状況の把握に務めた。

 目の前に広がるのは緑が鮮やかな草原で、所々に石柱が立ち並んでいる。遥か遠くに見える湖は穏やかに水を湛えているが、その上空には何故か数台のベッドが浮遊していた。

「はあっ!」

 シトリンは強く大地を蹴り、そのまま飛び離れて間合いを取った。そして近くにあった石柱の上に着地すると、右手一本で剣を構え直す。もう既に、左腕は黒ずんで使い物にならない。チャーミング・フィールド内では、肉体が聖剣に斬りつけられても欠損することはない。しかしこのようにして、斬られた部位を動かすことはできなくなってしまう。

「ご自分の腕を犠牲にして剣を守るとは……よほどこの闘いに執着しているようですわね!」

 シトリンを攻撃していた茶髪の女性が、挑発するように叫んだ。

「まあな……せっかくのチャンスだ。有効に使いたいってもんだろ」

 シトリンはそう言ってニヒルに笑ってみせた。茶髪の女性がすぐさまに踏み込んでくる気配は無い。おそらくは次の一手を警戒してのことだろう。油断ならない相手に、思わずシトリンの剣を持つ手に力が入る。

(……一体どこで間違えた?)

 慎重に一歩ずつ近寄る女性を牽制しながら、シトリンは闘いが始まるまでの自分の行動を再確認した。彼女は自分の中に確固たる原則を持っている。それは主に犯罪、具体的にはスリを行う時の心構えだが、彼女はそれに沿って行動することで今までに成功を重ねてきた。

 原則その1、1人でいる人間を狙うこと。クリア。その2、女や子供といった弱い者に的を絞ること。クリア。その3、できる限り身なりの良い相手を狙うこと。クリア。ここまでは何の問題も無い。むしろ、アガリの良さそうな獲物を見つけられてラッキーだった。

 しかし、いざ実行する段階でしくじった。相手に手を伸ばしかけた時点で気付かれ、素早く腕を掴まれてしまったのだ。そして確保のために女が聖剣を抜いたのだが、これが逆にシトリンの望みを繋いだ。彼女は咄嗟に自らの聖剣を抜き、強引に切り結んでチャーミング・フィールドへと突入。無理やりプリンセス・クルセイドへと持ちこんだ形となった。

 そのまま闘いに勝利して意気揚々とアジトに帰るという腹づもりであったシトリンだったが、ここでまたもやしくじりに気がついた。こうして闘いに引きこんだ相手は、他ならぬ太陽のプリンセス、勇名高きイキシア・グリュックスだったのだ。戦闘開始直後から彼女の圧倒的な剣さばきに圧倒され、聖剣を容赦なく叩き折られる寸前まで追い込まれた。しかし、咄嗟に自分の左腕で斬撃を防ぐことで敗退を回避。なんとかこの現状までこぎつけたということだ。

(まったく……運が悪いにも程があるだろ)

 徐々に迫りくる殺気をひしひしと感じながらも、シトリンにはニヒルに笑っていられるだけの余裕があった。まだチャンスは残されている。彼女の脳裏に浮かぶ聖剣の能力のビジョンが、それを明確に知らせていた。

 彼女の聖剣は、ナイフ状に変化することが可能だ。リーチが極端に短くなるため、一見すると不利になるだけだが、この形状変化だけが能力の全てではない。ナイフへと姿を変えた聖剣は一度刺さると体を貫通し、さらにどんな壁や地面にも突き刺すことができる。その上、刃の密度が剣よりも高くなっているため、投げてぶつけるだけでも聖剣をへし折れるほどの十分な威力がある。片手でも問題無く扱えるというわけだ。

(このビジョン……まさに神の啓示ってやつか……)

 ラリアはほくそ笑みながら、イキシア王女の接近を待った。出来るだけ高く、急な角度から落下の勢いを乗せて直接聖剣を狙いたい。飛び出すタイミングを虎視眈々と見極める。また一歩、イキシア王女の足が動いた。

(……今だ!)

 シトリンは剣を素早く一閃させ、斬撃波を放った。

「……!」

 イキシア王女が斬撃波を回避しようと咄嗟に飛び退いた時には、すでにシトリンは斜めに高く飛び上がっていた。そして最高到達点で、ナイフ状に変化させた聖剣を力任せに投げ下ろす。

「くらえーっ!」

 イキシア王女はようやく膝をついたばかりで、再度の回避は間に合わない。剣で防げば刃を折られ、体で受ければ地面に串刺しになるだろう。そして思惑どおり、ナイフはイキシア王女の中心を捉えた。

(やったぞ……!)

 投擲の反動で体がゆっくりと回転する中、シトリンは勝利を確信して着地の衝撃に備えた。すでに石柱への復帰は敵わず、草原に墜落するしかないが、これは想定の範囲内だ。

「……なっ!」

 しかし、衝撃は想定よりも早く、思わぬ方角からやってきた。地面にぶつかる感覚の代わりに、右腕を宙に引っ張られるような感覚が走り、次に鋭い痛みが現れてすぐさま消えた。見上げると、右腕がいつの間にか黒ずみ、さらに先程まで足場にしていた石柱にナイフで留められていた。そのナイフは、見紛うことなきシトリンの聖剣だ。

「さて……これでようやく大人しくなりましたね」

 ゆっくりとこちらに歩を進めてきながら、イキシア王女が気だるげに呟いた。聖剣を折られてもいなければ、当然体の一部が地面に串刺しになっている様子もない。

「お、お前……どうやって!?」

「武芸十八般、隠術。正確には車返しの術というのですが……」

 無様に宙釣りになるシトリンに、イキシア王女は人差し指と中指を目の前で立てて見せた。

「このように投擲された刃物を挟んで掴み、瞬時に投げ返す術ですわ。まあ、あくまで知識として学んでいたのですけれども……役に立つ時がありましたのね」

 イキシア王女は不敵に笑い、さらにシトリンに近づいた。

「くっ……この!」

 シトリンは必死にもがき、右腕に刺さったナイフを外そうとした。しかしその刃はシトリンの腕ごと深々と石柱に突き刺さっている。そもそも、両方の腕がすでに黒ずんでいて、全く動かせない。剣を折られんがために自らの体を犠牲にした報いだ。その報いを体に刻みこませるように、イキシアは手元で聖剣をこれ見よがしに短刀へと変化させながら、踏みしめるようにして標的へと歩を進めた。その突き刺すような視線が、接近するたびにシトリンに底知れぬ恐怖を抱かせる。

「や、やめろ……聖剣は折るな! 折らないでくれ!」

「私はどちらかと言えば慈悲深い人間だと考えています」 

 懇願するシトリンには耳を貸さず、イキシア王女は彼女に右半身を見せるようにして石柱に突き刺さったナイフに向かい合い、自らの短刀を当てた。

「……ですがお生憎さま! 貴女に慈悲をかける義理はございませんの……はあっ!」

 イキシア王女が振りかぶり、短刀を振り落ろすと、ナイフの刃が折れ、柄の部分が宙を舞った。シトリンには、宙釣りになったまま太陽のプリンセスの気高い横顔を眺めつつ、チャーミング・フィールドの収縮を待つしかなかった。

6に続く

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