「気使わなくていいよ」に気をつかう

 僕は無色で少し濁っていて、自分の意思なんかほとんどなくて。
どんな色にも染まる事が出来るかもしれないけれど、発色はイマイチで。
 あの人だったらこう考えるかな。あの人が見たらきっとこう思うだろうな。
他人が中心だけど他人には興味なくて。自分がどう思われたいかを考えるけど、そこに自分の意思なんかなくて。
あの人と歩いて、違和感のない服はこんな感じかな。あの人が着るとしたらこんな感じの服かな。今日は誰にも会わないからこの服でいいや。
自分がどうしたいかなんかわからなくて、他人がどうしてほしいかを考える。
普通はどう行動するのが正解なんだろう、こういう時どうしてるのかな、とかそんなことばっかりで。
 自分が傷つかないために、出来るだけ他人を不快にしないように生きている。
気を遣っているつもりは無いけど、無意識に気を遣っているみたいで「気使わなくていいよ」とか言われるけど、自然体とか、普通がわからないから、それ以外に他人との接し方がわからないから、そうして無意識のうちに気を遣っているのだと思う。「気使わなくていいよ」と言われるとどうして良いかがわからなくなって、意識的に気を遣ってしまう。
 気を使わずに一緒にいれる人なんて人類でただの一人もいないし、家族でも親友でも、猫や犬に対してでも気を遣っているんだと思う。誰かと時間を共有するってそういう事だと思う。無意識に気を遣っている時は、人との付き合いに疲れることなんて殆ど無いけど、意識的に気をつかうと疲労困憊。そういうもんだよね。
 


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