台風前夜に路上ライブをしている人

 雨の日。何故か僕の記憶に残りやすい。
晩夏、音を鳴らす程の強い風が吹き、雨が横殴りに降る台風前夜である。改札を抜けて駅を出ると、いつもは客引きや大学生で賑わっている駅前には、人影が少なく閑散としている。辺りには待ち合わせをしているであろう人や、足早に嵐の中にかけていく人がちらほら見受けられるが、自然の怒号以外に音はなく、時間の止まった空間にいるような静寂を感じられる。
 駅前を抜けたアーケード街からは、地面を叩きつける強い雨と、激しい風の音が散漫と響く。頼りない、ゆったりと優しい音色が響いている。路上演奏者である。どことなく希望に満ちて聴こえるその演奏は、住宅街のアスファルトに根を張った雑草のようにその場所や空気に似合わない。
 歩行者はまばらで誰も足を止めない。聴衆する者も居なければ、チラと目を向ける者もいない。奏者も歩行者に目を向ける事なく演奏を続ける。前を通る人たちは皆、音が聴こえていないのだろうか。その存在に気づいていないのだろうか。散漫と響く自然の怒号の中では、時間が止まっている様である。
 奏者は演奏を続ける。音を奏で続ける奏者は奏者の世界にいる。実像とするものは何も見えていない。奏者の聴衆は奏者の中にいる。誰かを思い、音を奏で続ける晩夏の台風前夜である。

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自由律俳句

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