見出し画像

「そう私怒ってるんですよ炭治郎君、ずっとずーっと怒ってますよ」

三十歳になるかならないかという担任教師が、十歳になるかならないかという女子児童を毎日「ババア」と嘲笑する。そんな異様な光景が小学校では毎日繰り広げられていたので、四半世紀以上がたった今でも、先生が「ババア」と歪んだ笑顔で嬉々としてからんできそうな物事にびくっと音を立ててしまう自分がいて、不定期に背筋が凍る。

物を持ち上げるときに「よいしょ」と言えばババア。荷物をアンバランスに持てばババア。流行りを知らなければババア。何をしてもババア。これと並行して、活発ではない男の子に対して「オカマ」と罵倒しまくっていたのだから、もうどこまで偏っているのだと。一回、紫のセーターを着て学校に行ったら「お前オカマか、それともオナベか?」と言われ「確認のため」と男子トイレに叩き込まれたことすらある。なんでこれ、問題にならなかったんだろう。まあ、この精神年齢小二のまま年齢だけ重ねたような担任は、悪ガキたちには格好の「お仲間」になりえたので、ここがお代官様と越後屋の関係に発展して、問題になるべきことも問題にならなかったことだけは確かなのだが。

事態を重く見ていたのは母ぐらいのもので、何かあるたびに「事実関係の確認をお願いします」と、何度も学校に訴えてくれた。でも先生は母に「きちんと対応します」と言ったその口で「なんだよ、お前んちのクソババア。いっつもいっつもうっせーな。あんな長い話を聞いたふりして『ハイハイ対処します』って言うのも大変なんだよ。暇なのか、よっぽど旦那に相手にされてなくて欲求不満なんだな」と、お取り巻きの男子たち(本来なら起こったトラブルについて事実確認をしないといけない相手である)と一緒に「けいこの母ちゃんクソババア」と連呼する。変わることといえば、時々クソババアがオニババアに変わるだけだ。相手にするだけ無駄だけど、相手のほうからうざったく絡んでくるので、我慢する以外に傷を浅くする方法がないことが、何よりの地獄だった。

正直寂しくなかったわけはないし、孤独だったことは言うまでもないけれど、それを誰かに話そうという気にはなれなかった。父は激務で日付が変わる直前にくたくたになって帰宅するような生活だったし、母も祖父の介護で毎日のように徒歩で一時間かかる病院まで往復していたので、私がこんなしょうもないことで深刻に悩んでいるなんて、言えるわけもなかったのだ。ネタが切れたのか、先生は私の家庭環境まであげつらうようになり、母が結婚と同時に退職しなかったことに「お前の父親が甲斐性ないせいで、三年も余計に働かされたかわいそうなババア」と罵倒を始めたり、祖父に郷土の歴史について特別授業をしてもらおうという計画を、こっちに何の断りもなく勝手にすすめていたことに「入院中なので無理です(訳:そもそも無許可で話進めるとか失礼にもほどがあるだろう)」と抗議をした時も「今にも死にそうなジジイのことなんか誰が知るか」と吐き捨てられた。結局この人にとって、自分にとって都合の悪い女は全員ババアで、都合の悪い男は全員ジジイなのだろう。ちなみに利用できる人は「尊敬しているひと」なので、言葉もここまで歪曲されると、Google翻訳もお手上げである。「カモ」を「respect」と訳すのは翻訳ではなく忖度の分野だろう。

今でも一番引っかかっているのは、祖父に対する「ジジイ発言」だ。私が生まれた時から祖父は入退院を繰り返していて、そのために両親は祖父の家から徒歩五分の場所に家を借りていたのだけれど、それを先生に「一緒に住めばいいのに住んでないってことは、ホントは仲悪いんじゃねえの」「母方のじーさんってことは、なんだお前の父ちゃんマスオさんなのか。かっこわりい」と何度も馬鹿にされて、いい加減頭にきていたところだった。そもそも、くだんの郷土史の授業だって、そのレベルでボロクソに言っていた相手に「そうだ、けいこのじーさんがいるじゃねえか」と言える神経もわからないし、挽回と同時に手柄まで独り占めしようとした結果、盛大に当てが外れたという、身勝手な話に巻き込まれる筋合いはもっとない。そりゃ同僚の先生や隣のクラスのカースト上位の女子たちに「今回は勝ったようなもんだ」「うちのクラスにはけいこのじーさんっていう最終兵器がいるからな」などと、わざわざドヤっていたのが全部おじゃんになってしまったうえに、一年分の教材を失くしたというアホみたいなポカまでついでに挽回しようと出した色気で大損したのだから、この身勝手な人の行きつく先は、逆恨みと八つ当たりしかないだろう。だから未だに許せないのだ。世界っていうのはあんたの脳内で完結するほど、狭くも甘くもねえんだよ。それに、お前の妄想に付き合わされるために、私は小学生やってたわけじゃねえからな。

そんなことを、浅草花劇場へライブを見に行った帰りに、浅草寺の境内を歩きながら思った。正直今でも怒っているし、今でも許せない。でも、私が生きているのは今なのだ。今を生きるためにネガティブと向き合うことからポジティブは始まるし、まずは自分のために行動ができないと、誰かのためには動けない。だから今、これを書いている。「俺が同じ境遇だったら、耐えられなくて自ら命を絶っていたかもしれない。だから今ここに立っているお前は本当に強いやつだよ」と、壮絶な人生を送ってきたギタリストさんを抱きしめていたあのボーカリストさんのように、私もきちんと自分を抱きしめてあげたかったから。この文章に「。」を打ったら、もう泣くのはやめにしよう。そして、夕飯とついでに何かおやつを買いに行こう。きっと、それでいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?