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愛と背徳感、そしてお得感。

会期終了間際の「ルーヴル美術館展~愛を描く~」にすべりこんできた。まさか、会場中の絵という絵に「ジャンヌの曲か」を発動することになろうとは。テーマがテーマであることを取っ払っても、満島ひかりさんの声でフラゴナールの「かんぬき」に関する説明を聞きつつ、森川智之さんの声でアポロンとキュパリッソスの耽美な物語を読まれ、ついでにKAMIJOさんが言いそうな「愛とは」「人とは」という話が入ってきたら、そりゃもう「ジャンヌか」以外にツッコミの着地点がない。そもそも君は美術館の絵にツッコむのかという、ノットエレガントな話は却下の方向で。

「ほー、これはchild visionですね」「-R-TYPE『瞳の色』が聞こえてきそうだな」「じ・・Judgement~死神のKISS~?」「おう、リリカルナイト」「だ、断罪~black or whiteかぁ~?」と、ジャンヌどころか後輩バンドの曲名まで出てくる情報量の多すぎる展示室は、背徳感とお得感(ネタ的な意味で)に満ち溢れていて、シンプルにものすごく楽しかった。一番ツボったのは「部屋履き」という、人間を描かず官能的なモチーフのみで構成された作品の前で「この床、新横浜NEW SIDE BEACHと同じじゃん!」で、絵の情報が吹っ飛んだこと。あの床を知ってるとね、もうそういう風にしか見えないのよ。

ね、まごうことなきサンホの床!(机ドン)

この展示、神話の中の愛、キリスト教における愛、人間の愛という展示構成が見事だった。「確かに愛ってこういうものかも」「愛にはこういう側面もあるよね」「今の感覚では理解できないけど、これが究極の愛の形とされていた時代があったんだなあ」なんてことを、改めて考えさせられるような。結局何を美しいと思うか、何を愛だと思うかって、いろいろ踏まえたうえでの主観でしかないんでしょうね。愛は比べるものでもなければ、押し付けるものではもっとないので。

ところで、新美術館の近くに「デンメアティーハウス」という紅茶屋さんがある。去年赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットで買ったザッハブレンドが美味しかったので、それをエリザベートの缶に入れてもらった。ベリーエレガント。お店の人に「美味しい淹れ方ってありますか?」と聞いたところ、見るものすべてを魅了するような笑顔で色々教えてくださった。人が好きなものを語っているときの姿って、どうしてこうも魅力的なんだろう。そういえばデンメア、ウィーンに本店があるので、茶葉の名前も缶に書かれているのも当然ドイツ語。ただ「商品名」としては英語が使われているので、お店の人はこの結構な種類の茶葉のドイツ名と英語名を全部一致させないといけないのかと。これ愛がないと覚えられないよなあ。愛は不可能を可能にするって、こういう意味合いもあるのかも。だってほら、愛がなければ彩冷えるの「masquerade」のフリ、必死になって覚えようって発想にならないでしょ。その昔、彩冷えるとBAROQUEのツーマンで「インテツさんのファンっぽい子の後ろにいる」と待ち合わせに使われたことを思い出しながら、六本木を歩く。そんな休日のおはなし。

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