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「私の舞台鑑賞記」楽しい鑑賞のすすめ

バレエ評論家の赤尾雄人さんに聞く「私がバレエ鑑賞にハマった、きっかけ」

人生の根っこには、いつもロシア・バレエ

私が初めてバレエを観たのは1965年ですので、もう半世紀以上も前のことになります。それはチャイコフスキー記念東京バレエ団の旗揚げ公演で、演目は初心者にとって定番!とも言える《白鳥の湖》でした。このとき私は白鳥を踊ったバレリーナではなく、「黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ」で王子役の男性が見せた高く大きな跳躍に驚喜しました。「すごい!なんて高く跳ぶんだろう!かっこいいなぁ!」それは芸術に対する感動と言うよりも、むしろ優れたスポーツ選手に対する憧れのような感情だったと思います。

このように最初は「体育会系」ギャラリーのノリでバレエを観たのですが、1968年に初めて来日したマイヤ・プリセツカヤの《白鳥》を観て衝撃を受けました。彼女は第2幕「湖の情景」の幕切れで、舞台上手に向かってパ・ド・ブーレで退場する際、手首や肘の関節が無いのではないかと思うほど、両腕を柔らかく流れるように震わせました。今なら「柔軟で流麗なポール・ド・ブラ」と表現するところですが、当時7歳だった私にはそんな技術用語もレトリックもありません。でも、あのとき東京文化会館大ホールの観客席から「おおっ」と言う大きなどよめきが起こったことを今もはっきり覚えています。人間の身体って、とても人間技とは思えない見せることができるのだと、プリセツカヤのポール・ド・ブラを観てそう思いました。

1-1 プリセツカヤ 白鳥の湖 

マイヤ・プリセツカヤ「白鳥の湖」

○追加1&2 1968年プリセツカヤ公演プログラム(サイン入り:筆者提供)

[左]1968年プリセツカヤ公演プログラム(サイン入り筆者提供)[右]映画「スパルタクス」パンフレット1978年(筆者提供)

それからもバレエはよく観ました(もっぱら《白鳥の湖》ばかりでしたが…)。相変わらず舞踊のテクニックはまったく分かりませんでしたが、バレエを観るのは嫌いではなく、どちらかと言えば音楽を聴きながら芝居を観るといった風に楽しんでいました。

それがある時期から、バレエの美しさやテクニックの素晴らしさが分かったと思えるようになりました。1976年、ちょうど高校2年生のときで、折しもこの年のゴールデン・ウィークに第1回世界バレエフェスティバルが開催され、世界の一流ダンサーたちの踊りを間近に、短期間に集中して観る機会に恵まれました。8月にはレニングラード・キーロフ劇場(現サンクトペテルブルグ・マリインスキー劇場)バレエが来日して、イリーナ・コルパコーワ主演で《眠りの森の美女》を観ました。翌77年にはボリショイ劇場の名花エカテリーナ・マクシーモワが東京バレエ団に客演した《眠り》と《シンデレラ》を観て、《白鳥》だけはない、古典バレエの世界に引き込まれました。 そして極めつけが1978年に観たボリショイ・バレエの映画《スパルタクス》でした。これは古代ローマで起こった奴隷剣闘士の叛乱を題材にしたバレエですが、まず圧政に立ち向かう英雄というテーマに痺れました。私は世に受け入れられないアウトロー的なヒーローに惹かれる性格なんです。主役を踊ったウラジーミル・ワシーリエフは人間の自由を求めて立ち上がる奴隷叛乱の指導者の内面を深く熟考して、優れた演劇表現(演技)と、信じられないくらい大きな跳躍や雷鳴のように急速な回転などの超人的なテクニックによって、スパルタクスの形象を完璧に表現しました。プリセツカヤのポール・ド・ブラと同様、それはダンサーの踊りが音楽の律動と劇場の空気の振動を通して観客の身体に直に伝わり、さらにそれが情動に変わる――ダンサーの情緒が踊りを通して観客の心を鷲掴みにする――、そのような「全的」な感動でした。

写真1-2 ボリショイ劇場「スパルタクス」カーテンコール(筆者提供)

ボリショイ劇場「スパルタクス」カーテンコール(筆者提供) 主演:Nグラチョーワ(中央女性)、V.ネポロージニー(左)

このようなバレエを受験勉強中(浪人中)に観たことは致命的、もとい、私が進路を決める上で決定的な要因になりました。《スパルタクス》は凄い!ロシア・バレエは素晴らしい!そう思った私は大学でロシア語を専攻することにしました。

1980年代に入ると欧米のバレエ団が頻繁に来日するようになったので、ソ連(当時)以外のバレエも数多く観るようになりましたが、それでも私の人生の根っこにいつもロシア・バレエがありました。本場でナマのバレエを観たい、ロシアで仕事がしたいと考えて、大学卒業後はソ連ビジネスができる会社に就職しました(当時はまだソ連との間に国費留学の道がありませんでした)。

入社後6年して、1991年にようやくモスクワに駐在した数ケ月後、ソ連が崩壊しました。ロシアの政治・経済はたいへんな混乱でしたが、バレエや劇場は懸命に活動を続けていました。苦しいときこそ芸術を守り続ける――旧ソ連の人々の芸術に対する愛情は尊敬に値するものです。

私は最初の駐在期間中(1991~95年、約4シーズン)に約200回劇場に通いました。駐在地を勝手に離れる訳にはいかないので、ほとんどモスクワの劇場でバレエを観ていましたが、当時はボリショイのナデジダ・グラチョーワやモスクワ音楽劇場のナターリヤ・レドフスカヤが頭角を現していた時期でした。彼女たちの舞台を観るため繰り返し劇場に通ったお陰で、バレリーナの踊りの美しさ、バレエの本当の魅力がどのようなものか、ようやく肌で感じられるようになったと思います(モスクワに行くまでは、まだ体育会系のノリが優先していましたから)。

写真1-4 モスクワ音楽劇場「ドン・キホーテ」カーテンコール(筆者提供)

モスクワ音楽劇場「ドン・キホーテ」カーテンコール(筆者提供) 主演:N.レドフスカヤ

最初の駐在から数えて三度、通算12年ほど日本にいなかったのと、日本に戻ってからも出張が多かったので、私が光藍社さんの招聘・主催したバレエ公演を観るようになったのは、他のバレエ・ファンの方々に比べるとやや遅かったと思います。

最初に観たのはマールィ劇場(公演名:レニングラード国立バレエ=現ミハイロフスキー劇場)バレエの来日公演で、1996年だったでしょうか?グーセフ版の《海賊》を観ました。次いで2000/01年の来日公演でパリ・オペラ座のニコラ・ル・リッシュとマリ=クロード・ピエトラガラが客演した《ドン・キホーテ》を観ています。ただし、ふだん劇場に関わりのないゲストを真ん中に招いた来日公演では、そのカンパニーの個性が見えにくくなるので、あまり感心しません。やはりミハイロフスキーならミハイロフスキー独自の演目を、劇場座付きのアーティストたちが演じるのを観るのが一番面白いと思います。

その意味では2009/10年の来日公演で観たミハイロフスキーの《白鳥の湖》は良かった。ミハイロフスキー劇場では現在、かつてボリショイ劇場で掛かっていたゴルスキー=メッセレール版を上演していますが、この年の来日公演ではまだプティパ=イワーノフ版に基づくヴァージョンを上演しました。その次の来日公演ではゴルスキー=メッセレール版を観ることができたので、新旧の演出を比較することができたのも有意義だったと思います。

写真1-6 ミハイロフスキー劇場バレエ「ローレンシア」  

ミハイロフスキー劇場バレエ「ローレンシア」

最近では2016年に日本ではほとんど上演されることのない《ローレンシア》(音楽クレイン、演出チャブキアーニ=メッセレール)が、また昨19年には《パリの炎》(音楽アサフィエフ、演出ワイノーネン=メッセレール)が上演されて話題になりました。ミハイロフスキーでは2007年以来、実業家のウラジーミル・ケフマンがディレクターを務めていて、首席バレエマスターとしてプリセツカヤの従弟で、長年英国ロイヤル・バレエで教師を務めたミハイル・メッセレールを迎え、また芸術監督としてスペインのナチョ・ドゥアトを招致するなど、芸術的にも経営的にも積極的な活動を展開しています。昨年の来日公演では待望久しかったドゥアト版《眠れる森の美女》も上演されました。次回はぜひ、メッセレールが復元したザハーロフ版《シンデレラ》や、ドゥアト振付の《くるみ割り人形》を上演して欲しいと思います。

◎再追加  キエフ・バレエ 「シンデレラ」 A.ムロムツェワ、O.フィリピエワ    DSC04222

キエフ・バレエ「シンデレラ」A.ムロムツェワ、O.フィリピエワ

キエフ・バレエは18年末、久しぶりに観た《くるみ割り人形》や《シンデレラ》が良かった。前者ではアンナ・ムロムツェワの美しい肢体、後者はオレーシャ・シャイタノワのダイナミックなテクニックに惹かれました。また今年初めの《白鳥の湖》でムロムツェワとエレーナ・フィリピエワが昼夜公演で競演するのを観て、ベテランから新星に続く伝統とダンサーたちの層の厚さを感じました。

フィリピエワは今シーズンからキエフ・バレエの芸術監督に就任しました。残念ながら今年はコロナ騒ぎのせいで来日公演が無くなりましたが、往年のプリマが指導する新しいカンパニーのこれからの活動が楽しみです。

(※文中の名称などは、筆者の希望によりロシア語の発音に近い表記のままになっています。)

赤尾雄人(バレエ評論家)


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