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母が恋しくて泣いている

ひとり暮らしの家に帰ったら,母はもういない。


数か月前から,修士論文提出前の追い込みに取り掛かっている。
事情あって私の締め切りは周囲よりも1ヶ月ほど早い。
研究の道に進むのであれば、出来も重要だ。
週7で大学に通い、生活もほったらかして、全リソースを研究に注いでいる。

かといって、しんどさを周囲に振り撒くのは嫌だ。
そもそも今の環境に女子がいないこともあって、愚痴に共感してもらうことは諦めている。
自分の話は控え、周囲の話を聞いてあげたりしながら、なるだけ笑顔で過ごすようにしている。

殺伐とした現実と、人当たりを両立させるために
「修羅場の渦中にある自分」と「明るく真っ直ぐな自分」の2つの人格を脳内に設けた。後者の陽の状態の自分に、人前での主導権を握らせていた。中々上手くいっていたが、段々と「陰の自分」に「陽の自分」が圧迫されるようになってきた。
脳のリソースが限られるので、言葉が上手く出てこなくなったり。
朝起きるのがしんどくなったり。立ち上がるのも面倒になったり。
あっ、やばいかもなー。

クリスマスに、母が家に来てくれた。
母の顔を見たら安心して、縋りついて泣いてしまった。
ずっと泣きたかったけど、一度辛さを解放してしまうと、リカバリーに時間がかかってしまう。数日間働けないかもしれない。
そう思って、目を向けずに蓄積してきたものが、一気に表に出てきた。
泣きじゃくる私と、荒れ果てた部屋を見て、母は静かに
「しんどかったね…」
と背中をさすってくれた。

母は、3泊していってくれた。
1日目に、部屋の片付けをしてくれた。
2日目に、部屋の掃除をしてくれた。
3日目に、洗濯をしてくれた。
毎晩、部屋に帰ると電気がついていて、あたたかい食事が用意されていた。
感極まって玄関で涙する私を、優しく労ってくれる母がいた。

2日目の夜に、やっと「しんどい」と口にできるようになった。
話を一通り聞いてもらって、体が軽くなった。
怠慢ではなくストレスに体が蝕まれていたのだと気づいた。

映画を見に行こうと言うと、断られてしまった。
「楽しい思い出を作ってしまうと、残された後にあなたが寂しくなる。お母さんも寂しい」と涙を溜めながら言われた。
見送る辛さがが少しでもましになるように、あなたが大学にいる間に帰るからと言われて、今朝家を出てきた。
もう家に母はいないはずで、自分が追い込まれた現実に1人で立ち向かい直さなくてはならない事実に胃が痛んでいる。
そして何より、お母さんが恋しい。涙が止まらない。

こういう寂しさは考えない方がいいのかもなーとも思いもしたが、私は文章にすると心の痛みが軽くなるので、今キーを打っている。
明日から、母が来る前よりは元気に頑張る。


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