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これからの社会の形について考えてみた

ここのところ急に寒くなってきましたね。

秋まっただ中。

読書にいい時期になりました(小理屈野郎はいつでもそうですが)。

今回は久しぶりに読書感想文および書評を書いてみたいと思います。

今回取り上げる本は3冊としました。

読んだ順番は、古い順に3→1→2の順番ですが、読んでいるとこの3冊がつながってきました。

1.仕事に悩む君へ 働く哲学

・本文は対話形式になっているので非常に読み進めやすいです。哲学の著書を優しくかみ砕いて実際の生活に落とし込んで解説しています。そういう意味で納得もしやすかったです。

あと、教養書という意味では各章のまとめが秀逸だと感じました。

・この本で佐藤氏のいいたいことは、「頑張りすぎてはいけないが努力は必要。人生に運、不運があっても前向きに生きていれば必ず道は開ける」ということだと思います。

内容について気になったことや小理屈野郎の考えたことをつらつら書いてみます。

・新自由主義のようなお金が大きな価値を持つ原因の一つは、お金には実態がないのでいくら手にしても満足感は得られない、というお金の持つ暗い一面が浮き彫りにされています。そしてお金から離れたところに幸せを求める方が結局幸せになれると言うところは共感します。
・悩むことは悪くないが悩みを自分なりに分析していくことが重要とも書かれています。悩みを因数分解していると悩みのコアが見えてくるわけですね。
・自由主義経済の理念から抜け落ちやすいのは「道徳」や「規範」です。これの元になるのは「共感」だと佐藤氏は言います。だからこそこの頃のビジネス雑誌には「経営者には共感の心(EQ)を持ってほしい」というような論調が出てくるのではないかと思います。
・悩みのうちのかなりの割合のものは無い物ねだりをしているから、とも説明しています。なるほどなぁ、と感じました。
他人と比較しても仕方がない、比較するなら前の自分と今の自分とすべき、と考えました。この基準にいる限り幸せを感じられるのではないかと考えます。

今手にしている自由を見直し、他人と比べて感じる幸福よりも自分自身の中に安心して楽に過ごせる場所を考える

と書いていますが、これは氏が今回伝えたいと思ったことのかなり部分が詰まっている考え方だと思います。

・やりたいことが見つからない場合はまず何でもいいからやってみる。そうするといろいろなことがわかって自分にフィットすることがわかってくる。それが天職ではないか、とも言っています。動かなければ変化はないですから、これも重要な考え方だと思いました。

人から嫌われるのは健全な証拠と考えるとのことですが、嫌われる、現代人は嫌われることに対してすごく敏感になっていると思います。すべての人から好かれるなんて、絶対に無理ですよね。だから、気にしすぎるのは善くないと言うことだと考えました。
・学生であったときの友達と社会に出てからの同僚や知り合いは全く違うと言うこと。これも突き詰めて考えたことはなかったですが、そうですよね。ここから発生する考え方として、会社における人間関係は友情や愛情という尺度とは別軸につながっていると著書では考えています。

いかに普段ありきたりなことについてしっかりと自分は思考をしていなかったのかと思わせるところでした。

・その上で著者の行動規範として

「ある選択をしてその責任を最終的に負うのは誰かと考え、他人であれば自分は介入しない、自分であれば他人を絶対に介入させない」

としています。厳しいようですが、この考え方には賛同します。
最終的には家族も含めて他人は他人なんだと思います。自分のテリトリーの範囲が家族と他人は少し違うけど、発想としては同じなんだなと納得しました。

・劣等感と嫉妬心は持たないようにすべき。嫉妬心はいいものと悪いものがある。いい嫉妬心はやる気に消化するが、悪い嫉妬心は(いわゆる妬みですね)なるべく排除したい。そのとき信頼できる友人に客観的に評価してもらってはどうか、といっていました。
・次は非常に厳しい一言ですが「自己嫌悪に陥りやすい人は実は自分を甘やかしているだけの可能性がある」と言うこと。厳しいけど、そういう一面はあると思います。小理屈野郎も気をつけなければ…と思いました。

・孤独について
ここではアンナ・ハーレントの「一人でいること」の3つの定義を用いて話を進めています。
1.孤独;自分自身との会話が成立しているのがポイント
2.孤立;人々が共同生活をする機会を失われている政治的な孤独
3.寂しさ・見捨てられている状態;これはまずい。こうなったら生活する場所や仕事など環境変化を起こす必要がある。


これもここまで突き詰めて考えてなかったです。小理屈野郎は最近上記で言う「1.孤独」なことがある意味居心地がいい感じを受けています。これ以上深みにはまらないように、孤独と社会の関係を持つことのバランスをとりたいと思いました。
また、自由と孤独はコインの表裏とも書いています。現在小理屈野郎は「1.孤独」が居心地がいい感じを受けているのは自由を感じているからではないかと考えています。

いやぁ、普段何気なく生活していて自分で深みにはまってしまっていることの多いこと多いこと…
そういうことに気づかされた本でした。

さて、この本を読んでいて、また佐藤氏が貨幣価値の考え方について述べるときに他の本でも触れていた本が2番目の本で、これを続けて読んでみました。

2.ぼくはお金を使わずに生きることにした

実際に金なし生活を1年したルポです。
金なし生活をする前からかなりきっちりと準備をしていたことが印象に残りました。
なぜ、金なし生活を送りたくなったかについてもしっかりと自分のなかで考察していて、行動に結びついていると思います。小理屈野郎は理屈は理解できますがここまで徹底できるか、といわれれば絶対無理です。そういう意味で純粋に尊敬します。また、ここまで自分の中でしっかりと貨幣価値や社会の情勢をしっかりと咀嚼していたからこそうまくいったという側面もあるだろうと思います。
どこまでをお金を使わない生活と定義するか、の線の引き方も非常にうまいです。(逆に、それって結局金なし生活じゃないじゃないか、と小理屈野郎的には思うところもありましたが著者なりの考えの筋道は理解できました)。
著者の作りたい「これからのお金という理念のない世界」が3.「人新世の「資本論」」にもつながっているなあ、ふとひらめきました。


3.人新世の「資本論」

現在の資本主義はそろそろ行き詰まりを見せていると思います。かといって次に来る社会体制はないかと問われて小理屈野郎はなかなか正解というか選択肢を示すことができません(これは誰でもそうだろうと思います)。
そんな中でマルクスの資本論をしっかりと研究し直す事によってあえて「資本論」から社会を立て直すことができるのではないかというのが本書の中心論です。
SDGsやその他のエコに関わる諸政策については結局おためごかしでしかないと喝破しています。
確かに実際に計算をしてみればそういうことだなあと思います。

「ファクトフルネス」

などではそれほど心配する必要がないとはいうものの本当にそのようになるかどうかは実際に先の状態を見てみないとわからない。そういう不確定な状況の中できる限りのことを考え行動するという姿勢は評価できると思います。
現在の資本主義はどこか安いところで生産をして、それを先進国が安く買うことで経済的な効果を享受することになっています。また資源は発展途上国に偏っていることが多くそれを採掘するのに搾取が行われていることが多いことなど、今まで不都合だと思っていた事実にはすべて触れていることが印象的でした。
生活の規模を1970年代レベルに落とすことが必要とのことですがこれを実現するために経済成長ではなく既存のリソースの再分配が重要と提起しています。
これが果たして可能なのだろうか(といっている段階で問題ではあるのだが)?しかしこれができなければ社会の分断は進んでしまいます。
これらを克服するために緩い社会のつながりを大切にし市民みんなが参加する社会にすることが一番大事というのが本書の言いたいところだと考えました。
しかしこのような理想ができたとしても人間の社会で生きるモチベーションを保てるか(社会主義諸国が頓挫したのはこれが理由と考えています)という「その先」については一切議論がいっていないところが少し気になりました。


最終的に佐藤優氏の 1.「仕事に悩む君へ はたらく哲学」から、2.ぼくはお金を使わずに生きることにした」、そして 3.人新世の「資本論」につながっていたのが非常に印象的でした。

まとめ

個人的には現在の資本主義社会は、かなり限界に近い状態ではないかと思います。じゃあこの次の社会のあり方はどうしたらいいの?という答えには小理屈野郎的にはまだ答えが出てきません。
それを求めて読書をする、というのも私の一つの読書の動機ではあります。

じゃあどうしたらいいかということを考えたのが3.「人新世の「資本論」」、それを実際に活動としてみたのが2.ぼくはお金を使わずに生きることにした、それらの根の通底した感がれ方を提示したのが1.「仕事に悩む気味へ はたらく哲学」の一部、と感じました。

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