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ほっとする言論環境 NIFTY Serveを思い出したので思索する

今回はふとしたことからNIFTY Serveを思い出す ことになりましたので、ネット上の言論環境について思索したいと思います。

以前のnote記事にnoteの存在を教えて下さった大山賢太郎 氏がコメントを寄せて下さっていました。
その記事は以下のものです

そこで、大山さんは記事の内容についての詳細な考察やコメントを寄せて下さいました。(詳しくは記事の中のコメント欄を参照ください)
それに対して、少し時間はかかりましたが、私の方もコメントをお返ししました。私も根本的には同じような考えを持っていたのでその旨を記載し、そして自分の実際にやっていることについて簡単に報告しました。
それに対しての大山さんのコメントは以下のようなものでした

「コメント返しありがとうございます。こういうやりとり、大好きです。お互い、この後から飛躍していけると良いですね。楽しみです。」

なんとも温かいいコメントを返して下さいました。
こちらまで温かい気持ちになりました。
感謝申し上げます<m(__)m>

大山さんのリアクションで考えたこと

大山さんのリアクションをいただいた後にふと思ったことを書き出していきます。
noteでアウトプットをすることは非常に大事 だと思います。アウトプットすることによってインプットは整理できるし、インプットした後も自分で思索することになりますので、自分の思索に非常に良い影響を及ぼす ことになると思うのです。
その上で、自分の思索に対して、第三者の他者が、感想を述べてくださったりその上で良い議論ができると、共に、さらに飛躍できるのではないか 、と思いました。
もちろん建設的な議論、というのが前提にはなりますが。

このような経緯から、自分にとって、そして周りの方にとってもいい言論環境というのはどのようなものか ということを思索してみました。

言論環境についての思索

小理屈野郎にとっての言論環境とは

ちょっと回り道にあるかも知れませんが、小理屈野郎の、アウトプットやそれにかかる議論をする空間や環境(ここではちょっと大きな言葉になりますが言論環境 と定義します)のうち大きな影響を与えたものについて振り返ってみました。
学校教育なども大きなものではあると思うのですが、小理屈野郎の場合は、ネット上での出来事も大きかったと考えます。

NIFTY Serveが心のふるさと

小理屈野郎は大学生の間にNIFTY Serveでネットデビューしました。

その当時は、ネットデビューといってもいわゆるパソコン通信が花咲いていた時期 で、同級生とメールで連絡を取れる(まあ、別にメールにしなくても良かったのですがなんとなく物珍しかったというのが一番の理由でしょう)、そして、ちょっとしたフリーやシェアのソフトをダウンロードできる、ということが一番の理由でした。シェアウェアの料金は郵便振替、なんてのどかな時代でした。
また、アメリカの現地の友人もCompuServeの会員だった 、ということもあり、連絡がファックスや電話のように非常に高価で時差を考慮しなくても、電子メールで非常に安価に連絡が取れる 、というのも大きなポイントでした。
もちろんメールなどのサービスも存分に使いましたが、それ以外にフォーラム で色々な主題でチャット(2チャンネルのような感じ;内容はあんなにあれていません)を楽しむことが多かったです。
フォーラムには管理人がいらっしゃってその人達がうまく管理をすることによって、いわゆる炎上案件というのはあまり起こらない 状態になっていました。ある程度管理はされていましたが、それは最低限の管理であり、みんなが場を楽しくすごすことができるように、という配慮があったようです。

お作法を学んでから会議室に参加

この時代は面白くて、「会議室でのお作法」 みたいなことが結構いわれる時代でそれにまつわる本もありました。内容としてネットでは相手のことを考えて発信する、文字ベースのコミュニケーションなので丁寧にコミュニケーションしたつもりでもうまく伝わらないことはあり得る、その時は丁寧に話を片付けていこう、等ということが書かれていたような気がします。私も見ず知らずの人とネットで話する、ということでちょっとした不安もありましたので、そのような本を一冊読んでから会議室デビューをしました。
今考えたらなんと窮屈な、という風にも思えますが、いわゆるネットリテラシーをゆっくりと書籍で収集・咀嚼して、深呼吸してからネットに飛び込むことができた のではないか、と思っています。これ、結構良かったのではないかと思います。
現在であれば、ネットネイティブな世代(生まれた時からネットがある)ほとんどですので、このようなことはあまりいわれませんもんね。
フォーラムの会議室で色々な方とお話することができました。色々なことも教えてもらうことができました。ほかの方のお困りごとの解決をお手伝いすることもできました。現在もまだ交流のある人もいますし、実際に何度もあった人もいます。
また、議論というのはどのように深めていくのかという手法や、議論によって出てくる結果が予想を上回ることが重々起こりえることや、利益がお互いに相反することも頻繁に起こること、そして落としどころを探るのも一つの重要な解決策である、ということなども学ぶことができました。このようなことをネットで学ぶことができ、これらが小理屈野郎が生きていく上で大きな財産 になっているのではないかと考えています。

インターネットの商用利用開始

そうこうしているうちにインターネットの商用利用が始まりました。私もインターネットを利用するようになりました。
進化は現在も続いており、どんどん便利になってきています。インターネットで色々な情報を取れるようになり、そのうち買い物ができるようになり、オンライン会議もできるようになり、と一足長の進歩ですね。

NIFTY Serveの衰退

2000年を待たずしてNIFTY Serveはインターネットに押されるようになり、閉鎖されました。
それと同時に、私の方もネットに入ってやることというのは情報の収集などで、あまり発信などは行わなくなりました 。まあ、ちょうど就職して新人として働き出していたので時間がない、ということもありましたが。

インターネットの進化および深化

インターネットは徐々に発信も楽に行えるようになってきました。
誰でもが発信できるために、色々な人がどんどん発信します。これによってネットの中の情報量が飛躍的に増えたのは皆さんもご存じの通りだと思います。
それと同時に発信のみに重きが置かれるようになり共感やリアクションが簡略化され(「いいね」ワンクリックになりました)、特に発信に対する議論が一段下に見られるよう になっているような気がします。
事実、小理屈野郎もnoteで発信するようになるまでは、ネットではほぼ発言をしないような状態がかなり長く続きました
また、情報の受け手は、発信されたものが膨大なためそれらを吸収するだけで精一杯 の状態になっているようです。

ほんわかした言論空間

以上のように小理屈野郎の言論空間での行動を俯瞰して思うことは、ほんわかした言論空間があったら良いな 、ということなのです。
noteに参加したのはアウトプットを意識して、という動機だったのですが、アウトプットをする、ということは言論空間に参加するということでもある ことに気付きました。そこで繰り広げられる言論空間に自分の身を置く 、ということも小理屈野郎は希求していたのかも知れません。
そのほんわかした言論空間の原体験、というのはNIFTY Serveのフォーラムや会議室にあったのかも知れない な、と考えたのです。

noteの中での言論空間とNIFTY Serveのそれとは違うかも知れませんが、ほんわかとした雰囲気のある建設的な言論空間を小理屈野郎の思索部屋ではつくっていければ良いなと思っています。

それには、まずは、小理屈野郎が発信者として、しっかりと思索をしたり、調べを行った上で、精一杯良い記事を投稿する ということが第一義になると考えています。
その上で、読者の皆さんの気軽な参加をお願いしたいと思っています。どんな意見でも、どんな反論でも歓迎しています。
記事を読んで議論をしていければ良いなと思っています。

まとめ

最近note記事のコメント欄のやりとりで感じたことをまとめてみました
小理屈野郎のネットでの活動履歴を振り返り、どのようなネット空間が個人的には一番いいかを考察しました。
その上で小理屈野郎の思索部屋ではそのようなほっとする場所になるように努力していきたいと思いました。
具体的には、自分の記事を中心にNIFTY Serveの会議室のようなリアクションの応報ができるようになるのが目標であり夢であることに気付きました。
そのような言論空間を実現していくために、さらに記事の質を上げていこうと考えました。


これからも皆さんに楽しんでいただける質の高い記事を投稿するとともに、その記事をもとに色々なお話がコメントスペース上でできればなあと思っています。

これからも引き続きよろしくお願いします。

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