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広津柳浪、樋口一葉、そして大貫妙子の日

 sakuさんから、広津柳浪の短編「雨」についての感想に「スキ」を頂き、嬉しくて「雨」の振り返りとともに一時を過ごしました。

 「雨」は「妻を大切に思う男が貧しさによる困窮で選択を誤り、愛する人と共に、慣れ暮らした世界を追われる物語」。様々な物語が溢れる現代では、珍しくはないストーリーかもしれません
 しかし、そこに描かれている世界は百年以上前(発表年は1902年(明治35年))のもの。当時の人々の貧しさは頭で想像するしかないのですが、「雨」の中で人々が募らせる不機嫌や不安は、流されないまま滞留し、そこから立ち上がる臭いがしんどい。その結末は絶望感しかなく、読了後の心地の悪さマックスという作品です。
 そんな「雨」という作品から思い起こすのは、樋口一葉の「にごりえ」。この作品に描かれる「やるせなさ」は半端ない、「雨」はそう教えてくれる気がするのです。

 「にごりえ」は「雨」に先立つ1895年(明治28年)に発表されたもの。この翌年樋口一葉は二十四歳で亡くなります。
 「にごりえ」は、女主人公がたどる長くはない不幸せな結末への道筋を描いています。物語の中で彼女は、終始鬱のプールに浸かって静かに絶望しています。一度迷いのように水面から頭を出して「望み」を掴もうとしますが、かなわず再び鬱に沈んでいきます。
 一方女主人公以外の登場人物も、打開できない問題を抱え、鬱々としています。自分の執着に呆れ苛立ち、手放そうとしますが叶わない。そうした「八方ふさがり」の中で人々の不機嫌と不安は、幾重もの層をなしていく。
 こうした人々と女主人公とのつながりは、やがて、ある人物に暗い決断をさせる、そんなお話です。

 ブリタニカ国際大百科事典の「にごりえ」の項には次の一文を見つけました。
 「その薄幸なヒロインの半生には、貧窮にさいなまれた一葉の怨念が託さ れている」
 「一葉の怨念」が託されている作品。そう書かれた方がどなたかは確認しておりませんが、樋口一葉とその作品に対する強い思いを感じました。

 以上のようなことを思った後、大貫妙子さんの「黒のクレール」(1981年(昭和56年))を聴きました。クレールはフランス語のclairで「明るい」「透明な」を意味する形容詞らしく、「黒のクレール」というタイトルは、大貫妙子さんの歌詞と歌唱で表現される美しく静謐な世界をドンピシャに表しています。
 瞼を閉じると、やがて真っ暗な世界の奥に小さな点が白く灯り、少しずつ勢いを増していく。決してそれに触れることはできないけれど、その灯は懐かしい時間を呼び起こしてくれる。もしかしたらそんな事実はなくただの妄想かもしれない。それでも、「雨」や「にごりえ」に出てきた誰かが、そんな一時をもってくれたら・・・、と余計なお世話で想うのでした。

 



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