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2023年に初めてやったこと

2023年も終わります。
振り返れば、いつになく、初めてやったことが多い一年だったように思います。でも、そんなに無理した感じでもなく、マイペースで落ち着いて家族ともたくさんすごした一年でもあったんです。それも私にとっては新しいスタイルな感じです。自分の人生において、まさに転機になる一年だったのかもしれません。このnoteも今年の7月から始めましたが、すごい大きな存在になっています。今年初めてやったことがどんなことだったのか振り返ってみたいと思います。

1.憧れていた北海道のべてるの家と鹿児島のしょうぶ学園、熊本の坂口恭平展に行ってきました。

 私にとって憧れの福祉施設である北海道の「べてるの家」と、鹿児島の「しょうぶ学園」と鹿児島のついでに熊本の「坂口恭平展」に行ってきました。「べてるの家」は当事者研究で世界的にも有名な精神障害者のための施設。トランプの大富豪の革命のように、半端なく寂れた過疎地で、精神障害というハンディキャップを負った人たちが、自分達の当事者研究を武器に世界から人を集めてしまうという衝撃。障害者の支援者としての可能性を一気に広げてくれるような目の覚める体験になりました。「しょうぶ学園」はアートで有名な知的障害を持つ方のための施設ですが、驚いたのはスタッフにすらも作る人、表現する人となることを(良い意味で)強要していること。スタッフが利用者さんを同じアーティストとしてリスペクトしていこうという崇高な理想にとにかく衝撃を受けました。「坂口恭平さん」は双極性障害を持ちながらも革命的な思想で障害を克服して、アーティストとして、思想家、活動家として活躍されている方で、とにかくリスペクトしていて大ファンなので、鹿児島のついでに熊本の個展に行ってきました。障害者の支援を通して、地域社会にインパクトを与えていけるような活動をしたいと思っている自分にとって、今後目指していきたい方向性に大きな影響を与えてくれました。

2.仕事で6月からオープニングスタッフとして立ち上げに加わりました。

 6月からオープンする障害福祉の生活介護事業所の立ち上げに初めて参加しました。生活介護事業自体は自分のフィールドなのですが、立ち上げは初めてですし、代表やスタッフのほとんどが医療系の中で、医療と福祉の考え方の違いに戸惑うことも多く、どうしたら自分らしさを活かして働けるのだろうかと悩むことも多かったです。そういう意味ではしんどかったですね。新しい自分のスタイルを作るための産みの苦しみだと思って、前向きに取り組んでいきたいと思っています。

3.モーニングページを毎日するようになりました。

 ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本にとにかく感銘を受けて始めました。毎朝起きてすぐにノートを開いて、頭の中にあることをとにかく何でもよいから手書きで3ページ書きまくるというもの。45分くらいかかりますね。体調不良で休んだ日も数日ありましたが、もう300日続けています。人に見せる目的ではなく、脳の中のまとまらないごっちゃごちゃの考えの排水をすることが目的だそうです。しょうもないことばっかり書いていて、こんなの意味があるのと思う時もありますが、とにかく続けることで何か見えてくるものもあるかなと思って続けています。
 ジュリアの誰もがアーティストであり、表現するために生まれてきたという言葉に、そうなんだろうなとシンプルに納得できました。誰もが表現者で、その人にしか見えない世界の見え方があって、その表現が、誰かにインパクトを与えていくことができる。それは障害者の支援者として私の目指すところであり、それを目指すにはまず私自身が表現をしていく人にならなくてはならないといけない、だからやろう!表現者になろう!そんな風にスムーズに思うことができました。

4.noteを始めて文章を書いて公開し始めました。サポート500円をもらえました!

 前述のように自分自身が表現していく人になろうとの思いからnoteを始めました。内容は障害者の支援のことだったり、ライフスタイルのことだったり、犬との生活のことだったり、さまざまです。その中でも、自分が力を入れていきたいのは障害者の支援についてのことです。これまでも自分の仕事の本質って話すことだな、対話することだなと思っていたのです。障害者の支援において、利用者さんと、ご家族と、職員と、連携機関とボランティアと地域の人と、自分の考え方をいつも誰かに話をしたり、話しを聞いたりしていて、対話を通して、影響を受け合っていたなと思うのです。障害のことだったり、支援のことだったり、地域のことだったり、いろんなことについていつも誰かと対話をしていたんだと思います。対話できるってことは、書けるってことだと思います。書くことで、身近な人でも、仮に一度も会ったことのない誰か一人にでも、もしインパクトを与えられるようなことがあるならば、それは書いた方が良いのかなと思ったのです。書いてみたら、思いがけない人からコメントをもらえたり、年末にはサポートの500円までもらえてビックリ!やり始めて本当に良かったなと思います。

5.米や小麦粉をあまり食べない生活を始めました。体重が減って糖尿病の薬がいらなくなりました。

 ジョン・レイティの「Go Wild」に影響を受けて、米と小麦粉をあまり食べない生活を始めました。人類は農耕文明が始まって米や麦などの炭水化物を大量に摂るようになって、狩猟時代にはなかった病気にかかるようになった。だから、米や小麦は食べない方が良いという考えになるほどと思い、導入しました。でも、厳密に米と小麦を食べなくなったわけではありません。毎食必ず米や小麦を食べるのをやめたということです。炭水化物をじゃがいも、さといも、さつまいもとかを順繰りに食べたり、豆や煮干しや野菜や海草でお腹をいっぱいにしたりと、とにかくいろんな種類を食べるようにしました。米を小麦粉を減らしたら、もともと運動はたくさんしていたのもあって、一気に体重も減って、血糖値も下がって、糖尿の薬もいらなくなったといううれしいことばかりの食生活習慣になりました。

6.高円寺阿波踊りの連に入りました。高円寺の町を踊りながら練り歩きました。

 前から阿波踊りは好きだったのですが、利用者さんが踊るのを応援しに行くだけで、自分で踊ることはありませんでした。踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損と言いますが、いよいよ踊る阿呆に格上げした感じで、めちゃくちゃ嬉しかったです!町中を阿呆になって踊って練り歩く快感はやめられませんね。今年は踊る仲間をもっと増やしていきたいですね。

7.チームあけぼのとして、ハモニカ横丁の朝市に出店を始めました。

 小豆島に移住する前に働いていた杉並の作業所でやっていたイベントの中でも、最も人気のあるイベントの一つだった吉祥寺ハモニカ横丁の朝市。朝早くから、利用者さん達がなかば押し売り状態で「買ってください!」と叫び、終われば打ち上げで午前中から道ばたでビールを飲んで騒ぐというやりたい放題さが最高の毎月一回のお楽しみイベントでした。でも、私がその作業所を辞めたタイミングで、朝市の出店をやめてしまっていました。その作業所の利用者さん達からも、また朝市を再開してほしいとずっと言われていました。わが家の子ども達も小豆島に移住していた時に東京に帰ったら朝市をやりたいっていってたくらい、わが家にとっても大切なイベントだったのです。それで、その作業所の利用者さんたちと、我が家と仲間たちとともに朝市を再開することにしたのです。コロナの影響で朝市の規模も半分以下に縮小されてしまったり、チームあけぼのとして売るものがあまりなかったりという問題もあります。今は娘や自分の描いた絵をポストカードにして売ったり、野菜やお菓子を売ったりしています。これもいろんな人に出会いながら、地道に続けていくことで道もひらけていくと思います。楽しみながら仲間をどんどん増やして、もっともっと盛り上げていきたいですね。

8.絵を描き始めました。犬の絵のTシャツを作りました。ポストカードが朝市で100円で初めて売れました!

 わが家の子ども達は絵を描いたり、工作したりするのが好きで、好きで、いつも何かを作っているので、じゃ、自分も描いて一緒に遊んでみようかなということで始めています。色鉛筆もファーバーカステルの100色の水彩色鉛筆を購入して、みんなでたくさん描いています。描くのは犬が一番多いですかね。それから子ども達や、自分の顔や景色なんかも描いています。犬の絵はTシャツにもして自分と息子が着ています。ポストカードも作って売ったりして遊んでいます。まだまだ恥ずかしくてあまり公開しておりませんが、新年は恥ずかしがらずに堂々と公開できると良いなと思います!

振り返ればこんな一年でした。

新年もnoteをたくさん書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


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