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第3回 花屋の話――名前はまだない思いの話

 近所に花屋がある。物心ついたころからずっと建っていて、しぶとく住宅街の一角を彩り続けている花屋が。
 その生命力は雑草のようだけれど、そんな名前の花はないらしく、花を買いに行った少年のころのぼくはキョロキョロと店内を見渡すばかりだった。訳も分からず予算を伝え、小さな花束を買った。生まれて初めて、女性に渡す花束だった。

 生まれて初めて他人の絵が美しいと思ったのはいつのことだろう。
 真剣に考えれば考えるほど、その答えは出てこない。ぼくは幼いころから今現在に至るまで、絵心というののを体得したことがない人間だ。絵がへたくそということである。

 そんな悲しい性を自覚したのは幼稚園に通っていた、セピア色の記憶のなかにまで遡る。課外活動として動物園に行き、見てきた動物の絵を描くという取り組みの最中だった。ぼくのそばにいた保育士さんに吹き出されるほど、グリグリとクレヨンを押し付けていた画用紙を笑われたのだ。ぼくにしてみれば、それはなかなかに傷つくような体験だったと思う。泣いたりだとかの惨事には至らなかったけれど、ともかくとして人に絵を見せたくないと思ったことは確かだ。その保育士さんだけでなく、それからの人生で幾度か自分の絵はバカにされ、いつしか自分でも自分の絵をバカにするようになり、ついには立体、平面を問わず、視覚的芸術に対しての諦めはぼくの人生においての前提となった。

 まあ、そんな話はどうでもいい。ぼくが言いたいのは、そんなささやかな挫折を経験するのと時を同じくして、同じ幼稚園に通う女の子の絵画に対する才能を認識したということだ。
 その女の子が描いていた絵はとても上手だった。自分のそれと同じ道具を使って描かれたとは思えなかった。驚きだけははっきりと覚えている。

 その子とは小学校に入って以降、頻繁に話すようになった。小学校のころのぼくといえば、いわゆるドラ息子というやつでとにかく様々な問題を抱えたり発生させたりするやつだった。そんなぼくをたしなめるよう、彼女は冷静にかつ大人びて言葉を投げかけてきた。喧嘩やらなんやらも多少はしていたぼくは、なぜかその子の言葉には素直に従ってしまっていて、飼い犬とその主人のような関係性だったようにも思う。お世話になってばかりで、そのくせどうして彼女はぼくに優しくしてくれるのだろうかなんて、頭を掻いて考えては三歩を歩いてそれを忘れるような毎日だった。


 小学校も高学年になると、多少なり恋愛沙汰のひな型に足を突っ込んでしまうというのは少なからずあるある話なのではないだろうか。
 ぼくにとってもそれは例外ではなく、四年生くらいからは毎年のように複数のチョコレートをバレンタインデーに合わせて貰っていた。今のぼくからすれば大変うらやましい話ではあるが、当時のぼくにとってバレンタインデーという日は苦痛にしか感じられなかった。どうしてかといえば、ホワイトデーという習慣がその原因であるといえる。一か月後にやってくるお返しという義務が確定することが、当時のぼくにとってはこっぱずかしくて堪らなかった。
 だから、非常に残念かつ情けないことだが、ぼくはホワイトデー当日は基本的に学校をずる休みした。頭だかお腹が痛いと逃げたのだ。ぼくにチョコレートをくれた少女たちに比べれば、その数分の一でいい勇気すら発揮できなかった。申し訳ないとしか言いようがない。ただ、小学生の男の子にとって、また閉鎖的な学校という空間のなかでホワイトデーというミッションを行う度胸はなかなかに壮絶な覚悟を必要とするもので、それについては一定の理解を求めてしまうという感情も、少し分かってほしくはある。

 しかし、小学校六年生になったぼくは仮病という伝家の宝刀を使うことができなかった。休日とホワイトデーが被ってしまったため、学校の欠席で逃げることができなかった。母親もぼくが狙って休んでいることなんてお見通しだったので、いよいよちゃんとしろとお叱りまで受けた。それにしたって、なにをお返しすればいいんだと頭を抱えていると、鶴の一声として母の意向により花束を届けるということとなった。対案を持ち合わせていないぼくは、結果としてその意見を受け入れざるを得なかった。

 そういうわけで、ぼくは近所の花屋へと歩き出したのだった。

 花束を抱えて街を歩き、ぼくは花束を女の子へと届ける配達員となった。そんな体験をできたことを誇りに思わないでもないが、数年にわたって仮病を使ってきたことの清算だったのだから仕方がない。いや、本当に仕方がない。
 


 ただ、その年のバレンタインデーには以前とは少し違った点もあった。幼稚園からいっしょだった、あの絵の上手な女の子からチョコレートを貰っていたという点だ。その頃はほぼ毎日のように休み時間をいっしょに過ごしていたし、仲がいい女子の筆頭であったことは、疑いようがない。ただ、そのチョコレートの真意に関してはどう受け取ればいいのかは微妙だった。義理だと思ってわざわざなにかを問うこともなかったし、彼女にしてもなんの恥ずかしげもなくそれを突き出してきたのだから、やっぱり義理チョコレートだったのだと思う。

 何軒かの家を回り、あらかたの花束を配り終わったあと、最後に行きついたのが彼女の家だった。これを渡せば帰れるという一心で、悲しいかな慣れてしまったインターフォンへの指を伸ばした。 
 
 家族でも出てきたらどうしようかと思ったけれど、幸運にも絵が上手だった彼女は玄関へと直接姿を現してくれた。まどろっこしいやり取りもなく、自動機械のように花束を差し出し、すぐさま踵を返してぼくはわが家へと尻尾を巻いて逃げた。

 
 
 ぼくと彼女の関係は、それ以降の人生でなんの発展も見せなかった。恋愛関係としてはもちろん、友人関係としても高校生になると同時に形はなくなり、もう十年近くなんの話も聞かない。連絡先も知らない。
 
 近所の花屋を通りがかる度、ぼくはこのことを思い出す。もうずいぶん昔の話で、曖昧になってしまった記憶ばかりだ。誰にどれだけの花束を渡したのか、複数だったという事実だけが思い浮かばれるだけで、個人名はほとんど出てこない。その女の子たちの顔や特徴なんかもほとんど忘れてしまった。

 ただ、その奇麗な絵を描いていた女の子のことだけは忘れていない。
 ドアを開けた瞬間、あっけにとられたように口を開けた彼女の表情。ぎこちなく花束を受け取って、長い髪を揺らしながらお礼を言ったその声も。ハッキリと、覚えている。
 花屋を見ると、その子を思い出す。


 あれから過ぎた時間は、ぼくを恋愛にある程度能動的に動かすように変化させ、事実何人かの女性とそういった関係になってきた。
 その人たちにある程度共通していた点は、絵かそれに準ずる視覚平面的な芸術に長けていたという点だ。ぼくにはない才能を持っている人たちに、ぼくは惹かれてきた。

 それがなにを意味しているのだろうか、なんて考えても仕方がない。仕方がない。


 
 あの女の子の顔を思い出したって仕方がない。非常に残念なことだけれど、実はぼくは彼女がどんな絵を描いていたのか、具体的にはなにも思い出せないのだ。
 ただ奇麗な絵だったということは、それだけは覚えている。というか、信じている。
 事実彼女は絵の能力で進学を決めていたのだから、その腕は確かだった。

 だけどぼくは、その絵を思い出すことができない。
 覚えているのはあの表情ばかりだった。その顔は、絵ではなかった。題名だってついていない。彼女の作品ではない。


 もう二度と会うことはないのかもしれない女の子を、ぼくは探してもいなければ彼女の努力の証明を覚えてすらいない。
 こんな感情に名前がついているわけもなく、ただぼくは、花屋の前を通り過ぎるばかりだ。

 ぼくが人に贈る花を、あそこで買うことはないのだろうと思いながら。

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