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私が死にたいと思わなくなった日⑥

こんにちは。おむすびころもです。

まずは前回までのお話のURLを貼っておきますので、こちらもご覧下さい。

前回のお話↓


前回までのまとめマガジン↓

それでは早速お話に入りたいと思います。

結局、元気になるんでしょ?

おじさんから電話を受け、私達家族はすぐに病院へ向かいました。
車の中で私は姉に、病院に向かっている事を伝えました。

祖母の病室に着くと、部屋にはおじさんが1人居ました。

私たちは祖母のベットを囲み、それぞれ椅子に座りました。

私は祖母が顔を向けている方に座り、隣には母が座っていました。

先程おじさんが私たちに電話をかけた時よりは、呼吸は安定しているみたいですが、お昼のお見舞いの時に比べたら呼吸も血圧も、良くありませんでした。

私たちは静かに見守ることしかできませんでした。

時々おばあちゃんと呼びますが、祖母はずっと横を向いたまま、一生懸命に息を吸って吐いています。

私は姉からの連絡をこまめにチェックしていました。

姉は今、コスモスの花を聞いていると言っていました。

祖母が大好きな歌。祖母がよく歌っていた歌。

お昼に聴かせたら少し反応していましたが、なんとなく今は聴かせる雰囲気じゃないなと思いました。

本当に苦しそうに呼吸をしているのです。

私は時々祖母の目の前に顔を持っていき、おばあちゃん頑張ってと声をかけました。

祖母と目が合います。祖母は私を見て何を思っているのだろう。

誰だこの人は?

そう思われているかもしれません。
それでも、祖母と目を合わせ話しかけることをやめませんでした。

看護師さんが何度か様子を見に来てくれました。

看護師さんは祖母の瞼をトンットンッと触りました。
そして私たちにこう言いました。

目はもう見えてないですね。

体の中全て空っぽになったような気分でした。
これが喪失感ってやつでしょうか。

看護師さんいわく、瞼を触っても反射で瞬きをしないので、目は見えていないとの事でした。

お昼のお見舞いの時は既に見えていなかったのか、それとももう随分前から、施設にいた時から、見えていなかったのか、それは分かりません。

しかし私は今までずっと、祖母に私を見て欲しいと思い目を合わせてきました。

お昼のお見舞いの時だって、祖母の大好きな愛犬の写真を見せたら、目を動かして反応してくれていると思っていました。

なのに、それも見えていなかったのでしょうか。

他に言いようが分からないので在り来りな言い方になりますが、とてもショックでした。

もう泣きわめいて病院内走りたいぐらいでした。

しかしそんなこと出来ないので私は頭の中で思いました。

まだ耳が聞こえる。

お昼にコスモスの花を聞かせた時、音に反応していたので耳は聞こえるはずです。

目が見えなくても、耳さえ聞こえれば会話ができます。
また歌を聴かせることができます。

だから大丈夫。

最後には祖母は元気になって、私たちにまた笑顔を向けてくれる。

私はそう信じて、祖母を見つめました。

ごめんね。

定期的に測られる血圧。
数字は上がったり下がったりを行き来していました。

私は姉に血圧値を報告していました。

明日遅くなるけど帰ろうかなんて言う姉に、少しだけ苛立っていました。

朝に帰った方がいいよと伝えると、

どっちみち東京から来てるから、病院に入れないし、会えないからなぁ。

と言いました。

確かにこのご時世東京から来た人間が病院に入るのは好ましいとは言えません。

しかし祖母は、人が集まると少しだけ元気になるのです。

お昼のお見舞いの時も私やいとこが集まると体調が安定しましたし、今だっておじさん1人の時より呼吸が落ち着いています。

だから1人でも多くの人に来て欲しかったです。

そうすればどんどん祖母の体調が良くなるのでは…
そう思いました。

しかし現実問題、それは難しいことでした。


病院に来て3時間ほど経った時、看護師さんが脈拍と血圧を同時に測る機械を祖母に取り付けました。

そして数字の見方を私たちに説明しましたが、私はあまり頭に入りませんでした。

理解したのは、死亡を表す数字は0だけではないということ。
そしてこの機械の数値はナースセンターにも表示されるということ。

そして看護師さんは私たちに言いました。

声をかけてあげてください。

私は、心のほんの隅の隅の隅の端っこの小さいところで思いました。

もうダメってことじゃん。

その計測器のおかげで、祖母の血圧を測る機械は外れました。

母は、祖母のパンパンに浮腫んだ腕を手に取り、優しくさすりながら、こう言いました。

こんなに浮腫んで、可哀想に。

祖母の呼吸は苦しそうです。
小さいけれど、激しい呼吸になってきました。

私は頭の中で大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫と繰り返しながら、祖母の見えていないという目を見つめました。

ふいに祖母が目を瞑ろうとしました。
みんなは祖母のベットに集まり、呼びました。

すると祖母は目を開きました。

脈拍の数値は低いです。

私は祖母の肩から腕にかけてさすりました。
何度も何度もさすりました。

また目を瞑ろうとしたので、私たちは呼びました。
祖母はまた、ハッと目を開けました。

閉じないで、お願い目を閉じないで。

このまま目を瞑ると、祖母がどこか違う所に行ってしまう気がしました。


母が私と兄に言いました。

おばあちゃんにお世話になったんだから、ありがとうって言いなさい。

言いたくない。
そんなこと言ったら、祖母が死ぬ準備をしているみたいじゃないか。

兄はか細い声でありがとうと言いました。

私は黙っていました。

でももし、もしもここで何も言わずに祖母がいってしまったら?

私は胸の奥から頑張って絞り出して、こう言いました。

いっぱい褒めてくれて、ありがとう。

声が震えすぎて、ちゃんと言葉になっていたか分かりませんが、兄はそれを聞いて泣きました。

私も泣きました。

私がずっと腕をさすっているからか、祖母は目を閉じなくなりました。

目を閉じていないから、私は少しほっとしていました。

私たちが必死に祖母を元気つけているその時、病院の先生が来ました。

私は祖母の腕から手を離し、ベットの角に立ちました。

やめて、来ないで、どこかに行って。

先生は祖母の目を見て、聴診器で胸の音を聞き、

残念ですが、お亡くなりになられました。

そう言ったのでした。



















祖母は何度も目を瞑ろうとし、天国にいこうとしていたのでしょう。
なのに私たちが何度も起こしたので、最後は目を瞑らずにいてくれたのだと思います。

時刻は午前4時40分過ぎ。

母から祖母の体調不良の連絡が来てから約1日と7時間。

よく生きてくれたと思います。
本当はもっと早く楽になりたかったでしょう。

ごめんね。














…こう思えるのは少し後のことであり、当時の私は何も受け入れられませんでした。

ただ病室で泣きながら立っていることしか出来ませんでした。

私が死にたいと思うようになった日

両親は直ぐに職場に連絡し、兄も祖母を家に連れて帰るための話しをおじさんとしていました。

私は病室の端っこで姉にLINEをしました。

おばあちゃん、さっき天国行きました

なんて送れば良いか迷いましたが、なるべく「死」や「亡」という字を使いたくないので、こう送りました。

姉からの返事は3つ。

ありがとう
実感湧かないね
また話聞かせて

きっと東京で1人、スマホを片手に姉は泣いているでしょう。

私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったので、トイレに駆け込みました。

鏡の前で鼻をかみながら、頭の中には祖母の姿が浮かびました。

先程医者に死を告げられた後、横を向いた祖母を看護師さんが仰向けにした時、祖母の首は少し左に傾いており、私を見つめていました。

その目は生きている目でした。
本当は死んでいないんじゃないかと思うほどに。

さっきまで確実に生きていたのに、息をしていたのに、温かかったのに…。

なのにみんなが直ぐに次の行動をしているのが不思議でなりませんでした。

…さっきなんで私はコスモスの花を聴かせなかったんだろう。
聴かせていたらもしかしたら生きていたかもしれない。
それとも他の曲の方が良かった?
もっと出来たことがあったんじゃないか?

そんな遅すぎる考えが頭に浮かんでは、もう遅いのよと体の下にストンと捨てられ、後悔が積み重なります。

それからは親に言われるがまま車に乗り、家に帰りました。

両親はまだやることがあるようなので、私に部屋に居るよう言いました。

部屋に行きベットに身を投げ、枕に顔を沈めました。

寝たら全部夢になるかも。

そう思い私は心の中で、生きてる生きてる生きてる生きてると繰り返しましたが、その途中時々誰かが言うのです。

死んでるよ

多分表面上では生きてると信じていても、心の奥底では現実を受け入れていたのだと思います。

振り払っても振り払っても、現実は突きつけてきます。

おばあちゃんが死んだら、私は何のために歌うの?
何のために生きてるの?
さっきまで病院で会っていたのに、手をさすっていたのに。

そう考えるうちに、私の心はきっと、手を伸ばしても届かない、深く暗いどこかに落ちてしまったのです。

そしてこの日から、私は死にたいと思うようになりました。

最後に

今回は悲しいお話の回だったので、思い出しながら書いていると目がうるうるとしてしまい、なかなか更新できずにいました。すみません(´;︵;`)

所々ショックでか記憶がぽかんと無くなっている所もこれから増えると思います。

祖母の死を受け入れるのは違う、生きていると思い込まなきゃ!と思う反面、ちゃんと現実を受け入れている自分がいることが、不思議で気持ち悪くて怖くて仕方ありませんでした。
これってだれでもそうなんですかね?

次回もまたお話は続きます。

それと今回の写真は、いつもの満開のコスモスとは違って、プランターの写真です。

この写真が次回どうなるのかお楽しみに(^^)

では、最後まで読んでくださりありがとうございました!
宜しければ『スキ』や『フォロー』もお願いします✩.*˚

また次回でお会いしましょう❁

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