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俺のスポーツ

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生涯スポーツを中高校時代から運動部だったので、既に50年実践していたが、病気になる不思議
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ランシューズ、登山靴、トレランシューズの靴紐

人は馬鹿になっている  夜空を見上げても東京では星が見えない。ようやく見えた星の光は過去のもの。これは時間の概念をおかしくさせる。おかしくなった頭で宇宙の起源を思い浮かべる。  宇宙は138億年前に起きたビックバンより始まった。 ハワイ島のマウナケアにおいて、TMT(30mの口径レンズの巨大望遠鏡、これが近々完成して、近所の三鷹の天文台のコントロールセンターにおいて、世界の始まり、ビックバンの光が見られる。生きている内に実現するようだ。  ちなみに46億年前に太陽系ができ

スマホの写真データからひもとく話           2015年 自転車三昧と介護生活

タイムマシン タイムマシン、生きている限り、確実に未来へ行くことが出来る。 一方、過去へ行くには頭の中で思い出すしかない。 歳を取ると時間の間隔がドンドン狭まる。 ついこの間、iPhoneの写真データをパソコンと同期するようにした。 しかし同期を始めたのは2015年、もう8年前になる。 スマホの写真データは毎年増えていく。それに伴い写真1枚の価値が亡くなっていく。 2015年の写真 では2015年当時の写真を見てみよう。子供達はまだ学生だ。私はまだ大丈夫、老化してない!

1995年、最後の夏休み 

8月最後の日曜日、快晴。気温36度。連続夏日の記録更新中。 トライアスロン駅伝 残暑厳しい日曜日、私は静岡県の沼津港近くにある千本松海岸にいた。 ここで開催されるトライスロン駅伝に出場するのためだ。 私にとって3週連続のトライアスロン出場、さらにこの夏日、連日の佐渡トライアスロンに向けての練習も加わって、私の疲れはピークだった。 佐渡の前に一度身体をクールダウンしないと行けないなぁ。でも駅伝は仲間がいるのでやるしかない! トライアスロン駅伝とは、名前の通り、トライアスロン

2015年のレース活動、最後の花火を上げてみた

 2015年から2016年、年齢だと59才から61才。ここが私の最後のレース活動だった。 2017年はお袋が亡くなって、その後の処理と自分の気持ちの問題でレース活動は少しだけとなった。 2018年以降は体調不良が続く。故障・怪我をする。試合でもリタイヤする。疲れが取れない。寝られない。体が変調を来たしていた。 この時は歳のせいだと思っていた。しかし本当に病魔に蝕まれていた。  コロナ禍の2021年、会社を辞めた後、一気に疲労が来たのだろうか、マウンテンバイク乗っている時に急

Endurance Raceを続けたその結果  富士登山競争は別格だった。

Endurance Race (超・長距離レース)  私は、当時としては珍しいEndurance Race (超・長距離レース)、トライアスロンをメインとしてレース活動をしていた。当時それが私のライフワークだった。つまり人生の全てであった。 モトクロスレース引退後、自転車(ロード)にハマり、偶然か必然かトライアスロンを始めた。この時30才だった。  1985年、ここからEndurance Raceを63才まで切れ目無く続けていた。 トライアスロン以外では、自転車(ロード、マ

泳ぎ続けた果てに 本当に長い間泳いでいる

1983年 28歳 事始め  28才でトライアスロンに出ようと思いたち、地元のスイミングスクールのマスターズコースへ入会する。 想像で、おっさん、おばさん達がちんたら泳いでいると思っていたら、その練習メニューに驚く、完全に体系化されていた。  当時からスイミングスクールは子どものコーチングがしっかりしている。また大人のコーチングもかなり進歩的なものが多い。自由きままに我流で泳がせるのではなく、基礎から練習方法も含めて指導された。  このスイミングスクール、入るまで全然知ら

フリスビーで遊ぶ

フリスビー 正式名称はフライングディスクだけど、私の歳だとフリスビーの方が馴染みが深い。 昔昔、アメリカの大学生が近所のパン屋、「フリスビー・ベイカリー」のパイ皿を投げて遊んでいたのが、この遊びの始まり。 フリスビーは、そのロゴ入りのパイ皿からつけられた名前だ。 スケートボードと同じようにアメリカ人の思いつきから産まれた遊び そんなことなので、ここではフリスビーとする。 1950年代から60年代、アメリカの大学生は元気に遊んでおり、その遊びが昇華して1970年代、アメリカの

ジジイのトレーニング  若い頃からの積み重ねが重要だろう

人生100年というが、元気な高齢者の色恋沙汰の話をたまに聞く、老いらくの恋。皆さん元気なんだね。 さて、今回はそちらの話ではなく、純粋に体力面での話だ。 私のトレーニング事情 私のトレーニングのメインでもあるスイミング。28歳から今まで泳ぎ続けている。63歳までは最低週一回、元気だった30代はほぼ毎日泳いでいた。 スイミングの状況 実は今、少し困っている。家から歩いて3分、市の総合体育館のプールが老朽化により昨年の12月より使えない。 改修工事には入っているが、来年の3月

君はOWS(オープンウォータースイム)を知っているか? セコい男の話

過去何度かOWS(オープンウォータースイム)に出場している。 基本トライアスリートなので練習の一貫だが、トライアスロンと違い、皆さん速いし、上手い。 最近マスタースイムより人気があるかもしれない。完泳の喜びがある。 OWS(オープンウォータースイミング) 海や川・湖といった⾃然の⽔の中で⾏われる⻑距離⽔泳競技。 ⽔質、天候、潮汐等、⾃然条件の影響を受けることから、競泳とは異なる技術や知識が必要とされる。オリンピック種目で、一斉スタートで順位を争う。10キロ 5キロがオリンピ

トラアスロンの日々 (ランニング編)アイアンマンよりキツい富士登山競走を走った思い出

練習時間の捻出 1984年からトライアスロンの練習を始めていた。まだ練習方法は暗中模索状態、一部の雑誌か、仲間内から情報を集めるしかなかった。だた、どれも膨大な時間を要する。 少し途方に暮れたが、最悪会社を辞めてもいい。そんな気持ちだった。 この時代、まだバブル前で、フレックスタイムもない、タイムカードでの出退勤。パソコンもデカいのが課に1台程度で、Basicが動いていた。 業務は設計で手書きだ。 残業は休出なしで、最低でも40時間はあった。この状況で入社3年目の私。 「ど

トライアスロンの日々 (バイク編) 意地悪した幼なじみの女の子、彼女の弟と走った。切ない思い

1987年の春 出会い 「こんにちは」 自宅の近所で同い年くらい、30代くらいの女性が私に声をかけてきた。 「誰?変な営業」 つい最近「車に誤発注したスーツがあり、安く売るから買ってくれ」と若い男が声をかけてきた。手であっち行けとするとなんと喧嘩売ってきた。本当にいい迷惑だった。 昔から「手を替え品を替え」延々と続くこの手の商売。 「私だよ、覚えてない、この前弟が世話になって」その瞳が黒く大きな目の女性が言う。思い出した。 「おーっ、井本か」暫く会ってない、小学校卒業以来話

トライアスロンの日々(スイム編)20代、全力で泳いでいたような気もする。そんなサラリーマン生活

「30秒ジャストです」 関さんが息を弾ませて言う。今泳いだばかりの50m自由形のタイムだ。 今日は地元のマスターズスイムの大会、会場は私の所属するKスイミングクラブのプールだ。 ホーム開催だから、Kスイミングクラブのマスターズクラスに在籍する人達が沢山参加している。 1985年、Kスイミングクラブのマスターズクラスは盛況だった。 さて、関さんは身体のデカイおっさんだ。新日プロレスの坂口選手の様な風貌と体格をもつ。頭は角刈りだ。 そして見かけどおり柔道部の出身、格闘技系の迫力

練習を開始、病気からの復活 練習スキルの話

サムネイルの自転車はベルギーのリドレー。 カーボンフレームのシクロクロス車。タイヤ32mm。ブレーキはショートリーチのVブレーキ。ホイールは現在はマビックアクシウム。グランベルにも転用可能。2015年に手に入れた。 練習開始 ローラー台 まずはローラー台を始める。現在GTローラー台を使っている。立ち漕ぎも出来る矯正器具みたいなローラー台だ。3本ローラーより実走感がある優れもの。 心臓のリハビリなので、心拍数を徐々に上げていく。まずは80(平均)/分のリミットで始めた。ケイン

65 歳のトレーニング(運動) リハビリから練習へ科学的な考察

現在 1984年(昭和59年)天草トライアスロンの初レース以来、38年間トライスロンを続けていた。 しかし、昨年(2021年)マウンテンバイクの練習後、急性心筋梗塞で倒れ、生死をさまよう。 それでも運良く生還する。 心臓機能は相当悪くなっていたが、回復のためリハビリを行う。 そして、4ヶ月後、心臓機能はほぼ健常者並になり、心肺機能は同世代の平均値に対して150%位まで回復していた。 しかし、降圧剤、アスピリン、血液をサラサラにする薬などは服用中だ。 医者には、近年まれに見る