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記憶は死に対する部分的勝利である

2023年の夏は暑すぎる。これがデフォルトとなったようだ。

記憶は死に対する部分的勝利である
カズオ・イシグロさんと2011年にNHKで福岡新一(生物学者)との対談。
そこでのカズオ・イシグロさんの言葉だ。
カズオ・イシグロの本は震災前に「私を離さないで」を1年ほどかけて読んだ。少し読み、暫く経ち、また少し戻って読む、どうしてか一気に読み進めなかった。
読後感はさっぱりしない。つまり納得出来ない。でも何故かノスタルジックな作品だった。

カズオ・イシグロ
1954年生まれ長崎で5歳まで育ちイギリスに移住(ロンドン、グラスゴー)、ノーベル賞作家(2017年)

福岡新一
動的平衡の生物論が有名 「生物と無生物のあいだ」 昆虫好きの人だ。


「ルリボシカマキリの青」エッセイ本も良かった。
ちなみに私はまだ生きているルリボシカマキリは見た事がない。

動的平衡について
「人間の身体は常に細胞レベルで入れ替わっている。3ヶ月後は全く違う人間になっているが、見た目は同じ。これを動的平衡という。しかし、平行移動なら何故老化がある、移り変わるときほんの少し、入れ替わらないゴミが身体に溜まる。これが老化」
と私は解釈している。

ここで問題がある。細胞は入れ替わっても同じだけど、この時記憶とはどうなる。新しいメモリに入れ替わらないのだろうか、リセットされない不思議。
つまり記憶は細胞にはないのということになる。
なら、何処にあるか・・・

福岡新一の回答
「記憶はおそらく細胞の外側にある。正確にいえば、細胞と細胞のあいだに。神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連携を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。・・・たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形づくる回路の形は保持される」

記憶は遺伝するのか?
「する」ようだ。
例として、私の父親や母親の歴史を私は物語として書いた。これを子供達が読んでいる。
記憶として残る。それも美化されてノスタルジックになっている。

自分の死に対する勝利
2021年夏、私は死を目前としたが、死なずに生き抜いた。
これは医療と運のおかげだ。
それでも基本死に抗う事は無理だと思う。人間が自然の一部である限り、これはどうにも出来ない話。
その存在が消える。
ただ永遠に自分を残せる手段として記憶の伝承があった。
記憶は死に対する部分的勝利である。

サムネイル 
ジョー・R・ランズデール 「SNSET AMD SAWDEST]
大恐慌に見舞われた1930年代、テキサス東部の製材所のある小さな町キャンプ・ラプチャー。大竜巻が襲ったある日、入り日のような赤毛のサンセット・ジョーンズは、治安官をつとめる夫ピートの暴力に耐えきれず、彼を射殺する。サンセットを無理矢理押し倒し、性行為を強要する。その最中に夫を撃ち殺す。
衝撃のオープニングだ。 

南テキサスの鬼才ジョー・R・ランズデールの小説。カズオ・イシグロさんの作品から相当離れた位置にある作品だけど、暑い夏にはピッタリ。

邦題サンセット・ヒート


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