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散歩のひと 東京散歩 九段から神保町

2023年4月3日 九段会館
今から34年前の12月、ここで結婚式を挙げた。何故ここに決めたのか、全く覚えていない。
時は経ち、2002年4月。
早期退職に応募した私、半年ほど無職だったが、その年の12月から、神保町の8階建ての古いビル、そこにある小さな事務所で新会社の準備を始めた。その後、会社は何とか軌道にのり忙しい日々を過ごしていく。

2011年3月11日、東関東大震災に襲われる。このビルの8階で被災した。
この時、ご近所の九段会館の天井が落ち大惨事となった。ビルの前の専修通りを消防車や救急車が走利回り、騒然としていた。
その日は夜道を25キロ歩いて帰宅した。
深夜帰宅すると、卒業式だった息子の高校の同級生が帰宅できず、我が家に一時避難していた。
大変な事になったが、家族が無事で良かったと思う。

さらに時は経ち、2021年8月末に事務所を閉じた。そして会社も解散した。
私はまた無職となった。

そして現在、久しぶりに妻と九段会館を訪れた。
神保町の「さぼうる」でナポリタンを妻と一緒に食べて、本屋を散策した。
何時もの場合、その後、お茶の水方面に向かうのだが、その日は何故か九段方面へ向かった。桜を見たかったのだろう。
靖国通りを歩いているとスカイツリーが視線の下になる。少し驚くけど、実はこの辺りは海抜25mある。

現在の九段会館は、震災後に全面改築された。エントランスだけ昔と同じで高いオフィスビルとなっている。駐車場だった場所はお堀が見渡せるテラスとなっていた。
時間が昼休みだったので、若い男女が数人、ビル内の会社員だろうか、ランチカーでご飯を買い、テラスのベンチで楽しそうに食べていた。

娘を思う
私には息子と娘が2人いる。姉は27才、仙台で外資系のMRをしている。 
先月まで4年間長崎にいた。人事はよくわからないが、結構な異動だ。
本日は外回りで、昼飯も食べずに1人で病院の前で医者を待っているそうだ。

そんな娘にとって、同期とのこんな明るい昼ご飯は遙かに遠い出来事のようだ。
「可哀想だなぁ」私
「そうねぇ、辞めて東京へ戻ってくればいい」と妻は言う。
「そんな簡単なものかねぇ」

アウトドアスポーツが好きな娘は、寂しさの埋め合わせのように、先週の土曜日は朝3時起きして、桜の名所の仙台の川をカヤックで漕いでいた。
その写真を送ってきた。その後、医者の講演会のサポートで仕事をしている。
どこが外資系かだ。まあ辞めても問題はないのかもしれない。

入学式と卒業式
そのテラスから見る桜は綺麗だった。ここはと穴場だと思った。
見ると日本武道館の方へ人の列が続いている。皆スーツ姿、大学の入学式だった。
そうか入学式か、私もここで入学式と卒業式をやっていた。
遙か昔1981年3月、この時は卒業式だ。
式後、同期とぷらぷらとお茶の水まで歩き、飲んだ気がする。
大学も終わり、社会人になる。俺も社会の歯車の一部となる。気が滅入った。面倒臭いなぁ、そんな気分だった。
途中でその歯車から抜けてはみたが、やはり代わりの効く歯車だった。
それでも、自分の意志で動ける会社だったので、そこそこ楽しく働いていた。

学生街
この地のランドマークの三省堂も建て替え中、大学も1970年代時にあった中大は多摩地区に全面移転。明大はビルになっている。他の東洋、専修、日大もビルの大学となっている。
それでも、大学生の都心回帰もあり、東京の学生街としの雰囲気は、この辺りには残っている。
私も神保町の事務所を閉めた後だが、バンド練習で近くの貸しスタジオ(リンキィディンクスタジオ)に通っている。
まだ縁は切れてない。

この日の食事とお土産
喫茶 「さぼうる2」のナポリタン

散歩の第一目的だった昼ご飯。
昭和の雰囲気残る「喫茶 さぼうる」のナポリタンも健在だ。
「量が多い!!」

写真は「さぼうる」「さぼうる2」でナポリタンは食べられる。神保町の本屋街にある。

「亀澤堂」の豆大福とどら焼き
白山通りと靖国通りの交差点にある。

大好きな和菓子屋も値段が上がっていた。
「神保町の亀澤堂」の豆大福とどら焼きはそれでも売り切れる。
「これは美味い!!」のだ。

古本を500円で買う
神保町と言えば本屋だ。古本屋、自分の嗜好にあったお店で妻と本を見ながら時間を潰していた。これが楽しい。
本の嗜好は違うけど妻も本が好きで良かった。

神保町の本屋街地図に自分のよく行く店に丸を付けてみた。こんな感じだ。

神保町の事務所を閉めて、私も仕事を辞めた。
たまに神保町、お茶の水、九段下、神田、辺りを散歩する。学生時代からこれは私の喜びだった。

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