ココロほぐ師 睛 -Hitomi-

学生時代から自己表現や主張が大の苦手。 更に身内の自死や父親の死をキッカケに自分の生き…

ココロほぐ師 睛 -Hitomi-

学生時代から自己表現や主張が大の苦手。 更に身内の自死や父親の死をキッカケに自分の生き方に悩み、心のバランスを崩してしまった過去があります。 その後心理学を学び、現在は自己対話・自己理解を深めながら心理カウンセラーとしても活動させていただいています。

最近の記事

「やりたいこと」 と 「求めてもらえること」

​「自分のやりたいことで生きていく」 ​ っていう信念は大事。 ​ だけど、自分で気づけていない自分のスキルや魅力を ​ 周りの人が教えてくれることもある。 ​ 「周りから求めてもらえること」 ​ 「あなたのここが素晴らしい」 ​ と教えてもらえることも、 ​ 自分を開花させていく貴重なサイン。 ​ ​ 周りに振り回されてしまうと度を越してしまうから ​ その匙加減はすごく大切で難しいけれど ​ 一度振り切ってチャレンジしてみることは ​ 自分の未知の世界を開拓していくた

    • 生き方は在り方

      心理学に出逢ってからの8年を振り返ると 自分を「思い出す」作業がすごく多かったなと感じる。 最初の2・3年は 学べば学ぶほどに自分が分からなくなってしまったり 変えられない自分に絶望感を感じてしまったりの連続。 そのうち、 同じ問題に何度も出くわして 根本的な「ココロのコリ」に向き合えなくて逃げている自分に気がついた。 心の中の螺旋階段を ぐるぐると降りていくような間隔で 学びに比例して落ち込んでいくような時期もあった。 自分はこのまま苦しみながら終わっていくのかもし

      • ココロをほぐす

        カウンセラーの道に進もうと決めた時 「どんなカウンセラーで在りたいか?」 と先生から問われる機会がありました。 迷わず返した言葉は 「人のココロをほぐす人で在りたい」 でした。 身体にコリを感じた人が 整体師さんに身体をほぐしてもらって楽になるように 私は人の「ココロのコリ」をほぐす役目を担いたい。 そして同じように私自身も 常に自分の「ココロのコリ」に敏感でありたい。 「ココロのコリ」を持っていることに気づけば 取り除こうと努力することができて 結果的に心が軽くなり

        • 熱中症から生き方と在り方を見つめた日

          一昨日、猛暑の中外出をしていて体調を崩してしまった。 おそらく熱中症。。。 帰宅してから丸一日、頭痛に悩まされながらも ゆっくり身体を休めることに専念。 気持ちが休まるように流した 自然音のBGMが心地よい。 人間の心拍と同じリズムを刻んでいる「1/fゆらぎ」の音に癒やされる。 葉っぱの付き方も「1/fゆらぎ」らしい。 自然界が生み出しているものからはたくさんの癒しを受けている。 昔 田舎から上京して一ヶ月ぐらい経った頃 情緒不安定になった過去がある。 街の騒音

        「やりたいこと」 と 「求めてもらえること」

          いのちの日

          7月9日が「いのちの日」になって もう24年も経ってしまった。 忘れもしない。 その日は金曜日だった。 一週間の仕事を終えて自室で寛いでいたところに 突如血相を変えて飛び込んで来た母の姿を今でもはっきり覚えている。 わずか24歳という若さで 自ら人生の幕を降ろしてしまったという事実を目の前にして 「彼の人生って、いったい何だったんだろう」という無念な気持ちを 私は長年引きずっていた。 その後月日が経ち 私もいろいろあって心理学と出逢うこととなり 心理カウンセラーの道に進

          「わたし」というドラマの配役は

          一人ひとりの人生 自分の人生の主人公は自分 それはわかってた でも集団になった時 「自分は脇役だなぁ」って思うこともあるかもしれない っていうか、ずっと人生そう思って生きてきたし それでいいと思ってた だけど最近 その考えってちょっとなにかが違うなぁって思って 思考を整理したらすごく腑に落ちた 主人公ってリーダータイプの人だけに与えられるものじゃなくて 傍でサポートしてる人が主人公のストーリーだって充分存在する だって 絶対一人では生きていけないから 野球チームの

          「わたし」というドラマの配役は

          何十年も分からなかったこと

          友人の一挙手一投足に警戒してしまう自分が居た それがなぜなのか、自分にはずっと分からなかった 自分の気持ちを分解していくと 行き着いた先に答えが出てきた 「かつての自分の嫌だったところを投影していたんだ」 友人は、 自分に気づかせてくれているために 私の目の前に居てくれる 「気づかせてくれてありがとう」 "世の中に色眼鏡をかけているは自分" カウンセラーとして学ぶ中で 先生の言葉が蘇る そして改めて思った。 学んだ瞬間には、本質まで気づけない 受け取った言葉は

          何十年も分からなかったこと

          混沌

          30代を苦しんだ先に心理学に出逢った 学べば学ぶほど、深みに嵌る自分が出てきた 自分の無意識に埋もれている様々なものが絡まっている 今はそれを少しずつ、解きほぐしながら学びを深めている 学びを深めるための様々なジャンルへの興味が止まらない 心理学・脳科学・仏教・占星術… 思うがままにガムシャラに学んでいる時間が 自分でも驚くほどに楽しい 結局のところ、人はそれぞれ自分の世界・自分の宇宙を創っていると思う 自分の中では超有名人でも、隣の家の人はその人を知らないかもしれない

          生き方が分かってきた…かも

          生まれる時から人生の脚本は決まっていると思う でもそれは、最初から書いてあるわけではなくて、主人公である本人には見えていない 歩んでいく中で、炙り出しのように浮かび上がってくる脚本 どこで分岐点があるかは、進んでみないと分からない どこで転機が訪れるのか 何をキッカケに目覚めるのか 実は決まっているのかもしれない 人生のどん底を味わっている時 「自分はこのまま苦しみながら一生を終えてしまうのか…」 と絶望しそうになったことがある 周囲の当たり前な日常さえ眩しすぎて

          生き方が分かってきた…かも

          人生の豊かさをUPさせるために

          人との出逢いが大切だと思っている。 いろんな価値観に触れることが大切だと思っている。 価値観の多様性に触れることで 人生は豊かになり 人としての器が大きくなると思っている。 そのために必要なことは 「受け取る力」を絶えずUPさせていくことなんじゃないかと思う。 いくら素敵な人と出逢って 素敵な言葉を聴いても 自分の受け取り方が弱いと 自分の中に取り込むことができない。。 最近、少しずつだけど 受け取る力がついてきたような気がしている。 自分の人生の歩き方が 少しずつ

          人生の豊かさをUPさせるために

          それぞれの役割

          いつしか自分が強く思うようになったこと。 人は誰しも、生まれ持った特性があり、何かひとつは秀でたものを持っている。 そしてそれを他者にGIVEするためにこの世に生まれる。 生まれた時に光輝いていたその特性は、次第に周りの大人や社会によって、躾として抑圧され、いつしか蓋をしてしまい、自分自身でも忘れてしまう。 やがて、何かをキッカケに抑圧されているものに気づいた人から、本来の役割として特性を思い出す・・ そのキッカケは、おそらくハッピーなことというよりは、辛くネガティブな

          ホコリから学んだこと。

          今日は朝から部屋の片付け。 始めて間も無く… ココロが掻き回されるような感覚になり、涙が溢れて来た。 隙間に溜まっていたホコリを拭き取っている時、 ホコリと自分のココロがリンクした。 自分のココロの底に隠れていた「何か」が顔を見せたような感覚。 掃除をしていてこんな感覚に陥ったのは初めてだ。。 我慢することなく涙を出し切り、掃除を終え、ゴミを捨てに行く。 スッキリするか、と思いきや、とてつもない疲労感。 なぜかって… おそらく、「無意識から届いた手紙の内容

          ホコリから学んだこと。

          見えない壁

          自分の素直な気持ち・自分のあるがままを洗い出して来た時に 自分の進みたい道が見えて来ることがある。 進路変更をしたいと思うことがある。 そのためには。 「進路変更するための、方向指示器をちゃんと示さないといけない」 そう思えるようになった。 意思表示。ともいう。 それには、大変なエネルギーが要るかもしれない。 うまく話せないかもしれないし、理解してもらえないかもしれないという不安もある。 自分の人生なんだから、そんなのわざわざ話さなくてもその場から自分の行き

          あるがまま、わがまま、ワタシらしさ

          ここ数年 「あるがまま」に生きるとは何か?、と考える。 するとその中でどうしても それって「わがまま」なのでは?、というループにハマり 自分がわからなくなってしまう。 ところで。 「わがまま」は悪いことなのか? そもそも 「わがまま」とは、一体、どこからどこまでを言うのか? …そのモノサシってきっと、人によって違う、、よね。 人によってはそれを 「貴方らしくていいじゃん」と言ってくれるかもしれない。 じゃぁ 「ワタシらしさ」って何だろ? ワタシは周

          あるがまま、わがまま、ワタシらしさ

          幸せに目を向ける

          昨日の大雨から一転した青空。 朝から数ヶ月振りにカフェへ。 窓際の席で陽の光を浴びながら、ふと思い出した光景。 それは14年前の病室。 病と闘っていた父親の元へ毎朝通っていた頃。 父の病室に着く頃にちょうど朝日が登ってくる、冬の季節。 「今日もええ天気じゃね。はい。手を合わせて。」 父はよくそうワタシに声を掛けてくれてた。 そんな光景を思い出していたら、続け様に思い出したもう一つの景色。 それはもっともっと昔。 小学生だった頃のワタシ。 家族4人で父の実

          感謝と反省と。コレカラ。

          「生きる」ってなんだろう。 子供の頃から、誰かの顔を見ながら生きて来た。 子供の時は、もちろん両親。 大人になって、自分の子供時代がとても恵まれていたことに改めて深く、そして何度も気づかされている。 金銭的にはそれほど裕福と言える方ではなく、父も母もいろいろと苦労していたようだけど、娘であるワタシと妹には極力不自由をかけないように、と心掛けてくれていたのが痛いほどわかる。 何かを決める時、決まって言ってくれた言葉は 「好きなように決めていいよ」 「やりたいことを

          感謝と反省と。コレカラ。