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エメラルドの国へ

エメラルドの国といって思い浮かぶのは、オズの魔法使い?
それともコロンビア?

私が今年の夏のホリデーに訪れたのはそのどちらでもない。
海峡を挟んだお隣の国「アイルランド」である。

国の色は緑。
国の花は三つ葉のシャムロック(クローバー)。

ちなみに三つ葉の草のことを総じて英語でシャムロック(shamrock)というのは、そもそもアイルランド(ゲール)語でクローバーを意味する「seamair」が語源だそうな。

とにかく見渡す限りなだらかな丘陵地帯が広がり、それが濃淡のある緑色に塗りつぶされている国。
それがエメラルドの国、アイルランド。

コロンビアのようにエメラルドが産出されるわけでも、ましてや肥沃な大地ですらない。
1845年からのジャガイモ飢饉では、当時併合されていたイングランド政府により救援策が取られなかったこともあり、1890年までの数年で100万人~150万人が死亡、飢餓を逃れるために多くがアメリカに移民しさらに人口が激減したほどの国だ。
つい近年こそ「ケルトの虎」と呼ばれる経済的大発展をみせたものの、どちらかといえば貧しいイメージがつきまとう国かもしれない。

アイルランドと聞いても、ジャガイモ飢饉かせいぜい聖パトリックデーのお祭り騒ぎにギネスくらいしか思いつかない、というひとは多いだろう。

私もそうだった。

それが変わったのは、今から15年ほど前のこと。
東京のオフィス時代、日本向けの製品がアイルランドの工場で生産されていたからだ。
私の夕方は彼らの早朝。
何かの会話をきっかけに、私がギネス飲みであることを話したら、それ以来、何か問題があって夕方に電話会議を始めると

「うんうん、わかったから。後はこっちにまかせておいて、おまえはもうパソコンを閉じてギネスを飲みに行きなさい。明日の朝にはちゃんと解決しておいてやる。安心して今日はもう終わっていいから」

と港町の工場で働く彼らはのんびりと引き受けてくれたものだ。
当時はまだZoomやSkypeなんてなく、電話回線の音声のみ。
いわゆる「口の中にビー玉をいれているような」強いアイルランドなまりで、相手の表情も年代も想像しかできなかったけれど、とにかく気のいいひとたちがこの製品を作ってくれているんだということが伝わってきた。

英語ではなく本来はゲール語であるアイルランド語があること。
ありがとうは「Go raibh maith agat」でめちゃくちゃ長いこと。
バイキングの影響もたくさん受けていること。
イングランド人と間違われるのは痛烈に嫌だということ。

アイルランドという国のことを知るにつれ、遠くにあるはずのその国がなんだかどんどん身近なものに思えてきた。

実際、その工場を訪れたのは、仕事でやり取りしはじめてから1年ほど経った後だったろうか。
ブリティッシュ航空の大きなボーイング747でヒースロー空港に到着したあと、乗り継ぎをしたコーク空港行きのエアリンガスの飛行機の実に小さかったこと!

到着したコーク国際空港にはゲートがたった8つ。
工場までのくねくね田舎道は、まさにオズのエメラルドシティ。
左右に緑のじゅうたんが広がっていた。

その後、アイルランドには何度も行っている。
ダブリンで作りたてギネスを飲んだり、コークでケルト音楽を楽しんだり、ケリーでシーフードを食べたり。

ただ、今回、アイルランドを訪れたのには、すこし特別な面があった。
それは、アメリカ「妹」からの誘いだった。

発端はコロナの数年前。
双子のひとり、ジャネルが「今度の休みにナポリにいかない?」と連絡してきたときにさかのぼる。



ニューヨークの自由の女神が建つリバティ島に行ったことがあるひとは、その横にあるエリス島のこともご存じだろう。

19世紀後半から60年余りの間、ヨーロッパからの移民は必ずこの島にまず上陸しアメリカへ入国した。その数は1200万人とも2000万人ともいわれ、アメリカ人の5人に2人はエリス島を通ってきた移民を祖先に持つといわれる。

エリス島移民センターでは、その2000万人ものデータを検索できるらしい。移民の名前、到着年、到着した船、生年月日、生誕地、出発した村名。

そこで、アメリカのお父さん側の曾祖父母が移民してきたときのデータが見つかったのだという。
そこには、白黒写真と共にポンペイ近くのイタリアの小さな村の名前が記載されていた。

その誘いがきたとき、オフィスにはたくさんのイタリア人仕事仲間がいて、みなその話を嬉しそうに聞いてくれた。
ナポリ出身のアレサンドラはその村への効率よい電車での行き方と、おいしいレストランを、ミラノ出身のステファノは電話帳オンラインサービスで、その村にいる同じ苗字をもつ「もしかして親戚かもしれない」ひとたちの電話と番地を探し出してくれた。

灼熱のポンペイ。
真夏のアマルフィ海岸。

それは、おいしく、楽しく、そして「自分の」家族ではないけれども、30年来「アメリカの家族」であるひとたちのルーツをたどる、思いのこもった旅だった。

「でね、お母さん側のおばあちゃんなんだけど…」

これまで、お母さん方の親族はドイツ系だといわれていた。
そもそも私のことをホームステイ受け入れしてくれたのも、お母さんが学生時代にドイツに留学した経験からだ。

ところが、双子たちのいとこが、最近「自分のルーツをたどる」ことに熱心で、DNAでつながっているひとを見つけるサービスや、外国の戸籍閲覧サービスまで駆使して、いろいろと家族の歴史をさかのぼっているうちに、新しい発見をしたのだという。

「キャロルおばさんの息子よ、覚えてる?そのジョンってば、なんだかすごい熱心でね。もともとナナ(おばあちゃんの愛称)は実の妹と二人とも孤児院で育てられたっていうのは私たちも聞いていたじゃない?ところが、なんと生物学上のお父さんがアイルランド人だったって判明したのよ!でね、だから…」

「だから、次は、アイルランドに行きたいというんでしょ」

そう私は後を続けた。

「その、生物学上の曾祖父っていうのが、ティペラリーっていうところの出身らしいのよ」

ジャネルのメッセージを受けて、グーグルマップで調べると、それはダブリンとコークの間くらいにあるようだった。

よし、じゃあダブリン集合して、レンタカーを借りて、ティペラリーを回って、コークからケリー半島、ついでに西岸のディングルあたりでおいしいロブスターと牡蠣を食べて断崖を眺めて戻ってこようか。

こんなときオートマで左ハンドルしか運転できないアメリカ人に強く出られるチャンスだ。
右ハンドルでマニュアル車を運転するんだもの。代わりにコースは私が決めるわ。任せなさい。まかせなさい。

こうして、ルーツをたどる旅第二弾のプランが始まった。

コロナのためにリスケを余儀なくされ、1年半越しとはなったものの、今回もサンフランシスコとロンドンからアイルランドで落ち合うことになったのだ。

「風と共に去りぬ」というと、何を思い出すだろう。
コルセットをうんうんと締めつけるスカーレット・オハラの姿?
ニヒルに笑うレット・バトラーの乗馬姿?

この小説の著者はマーガレット・ミッチェル。
彼女の母方の曾祖父フィリップ・フィッツジェラルドは、アイルランド移民で、1825年、アイルランドのティペラリーから、ジョージア州クレイトンにやってきてやがて農園を持つに至ったという。
そう、ティペラリー。同じ町だ。

「えー!もしかしたら私たちってマーガレット・ミッチェルと縁があるかもしれないの?すごい発見!」

私がそう伝えると、ジャネルは興奮した。

「風と共に去りぬ」の舞台は、まだ奴隷制が残る1860年代のジョージア州。アイルランド系移民で一代で成功した農園主の娘がスカーレット・オハラだ。
スカーレットの父ジェラルド・オハラはイングランド人地主の代理人をケンカの上殺害、夜をぬって故郷アイルランドを捨てアメリカにやってきたという設定だ。

イングランドのアイルランド侵略は、12世紀、アイルランド国内の権力抗争につけ入るかたちで、アングロ・ノルマン人が侵入し土地を略奪したところから始まった。
イングランド国王ヘンリー二世がアイルランドの宗主と宣言したのが1171年。
これが、その後約800年続いた長いイングランドによるアイルランド支配の始まりである。

これは、もともとアイルランドにいたケルトの原始宗教そしてカソリックを信仰していた層に対するプロテスタントの宗教的支配でもあった。

グレートブリテン島(イングランド)に近い東側は主にアングロ・ノルマンの入植者たちが占め、ダブリンを中心に発展し、アイルランド人たちはどんどんと西側に追いやられていった。
だから、現在アイルランド(ゲール)語を日常的に話す地域はアイルランド島の西側に限られている。

そんな中、1685年にカソリック信者であるジェイムズ二世がイングランド国王に即位すると、ここぞとばかりアイルランドのカソリックたちは一同に蜂起し、土地所有の変更とカトリック教会の容認を求め立ち上がった。

しかし、地主であるイングランドのプロテスタント達が国王の信仰くらいで既存利益を諦める訳はない。彼らはジェイムズ二世の娘婿でプロテスタント信者であるオレンジ公ウィリアムをかつぎだし戦争が始まる。
結局ジェイムズ二世たちカソリック軍は追い込まれ、ウィリアムの軍とダブリン近郊のボイン川で激突、敗退し、リムリック条約に署名することになった。(7月12日は「ボイン川の戦い記念日」。アイルランドにプロテスタントの勢力が確立された記念日としてイギリスの一部である北アイルランドでは祝日だ)

リムリック条約は「イギリス国教会こそ唯一の合法教会」と制定した。
これにより、それまでスコットランドからアイルランドへの入植政策として移民させられていたプロスビテリアン(プロテスタント長老派教会)信者たちも、信仰を否定されてしまった。

ゆえに、18世紀ころアメリカに移民した最初の「アイルランド人」とは、実は前世紀にアイルランドに移民させられていたスコットランド系(長老派教会信者)アイルランド人であった。
その後19世紀になると、あとを追うようにカソリックのアイルランド人たちがやはり迫害に耐えかねてアメリカを目指すのである。

現在も残るイングランドとスコットランド、アイルランドとの複雑な関係がここにも垣間見える。

こうして自分の帰属する地を奪われ続けた歴史を考えると、スカーレットの父、ジェラルドのセリフが染みてくる。

Why, land is the only thing in the world worth working for. Because it’s the only thing that lasts.
(この世で唯一価値あるものは土地だけだ。土地は永遠に残る)
「風と共に去りぬ」

土地を取り上げられ、故郷を追い立てられ、新天地としてアメリカの地にたどり着いたアイルランド移民の、今度こそここでという土地への執着が、このセリフにあらわされている。

「風と共に去りぬ」ではジェラルド・オハラが裸一貫で築き上げた農園はタラと名づけられている。
それはマーガレット・ミッチェルがジェラルドの出身地として選んだダブリン郊外のタラの丘から取られている。

今回私たちは、ボイン川周辺の歴史地区、タラの丘、そして巨石遺跡として世界遺産でもあるニューグレンジにも立ち寄った。

タラの丘とは、写真の通り緑の美しいなだらかな丘陵地で、ケルト神話における王を選ぶ神聖な場所であったといわれている。

小説におけるスカーレットにとってのタラ農園は、恋しい故郷というだけではなく、南北戦争によって奪われる前の豊かで幸せだった日々の象徴でもある。
その後の苦しい日々においても、心の安らぐよりどころであった。
同時にそこは、スカーレットに流れるアイルランド人の血を、彼らの土地への執着を、象徴する場所でもある。

苦難が立て続けに起こる中、「Tomorrow is another day(また明日があるわ)」とたくましく前をみて立ち上がる、希望を抱きながら、スカーレットが見渡すそのタラ農園。

以前、タラの丘を訪れたときには、パワースポットとして、また小説の舞台はここから名づけたとしか思わず歩いた。けれど、アメリカの家族の歴史を風と共に去りぬに重ねるようになった後、そんな話をジャネルとしながら丘を見渡すと、また少し重みが違ってくる。

ひとつ嬉しかったこと。
それは、アイルランドという国に、一般的な貧しい国、移民を送り出さなくてはならなかった国というイメージばかり持っていたジャネルに、自分の祖先たちは貧しさからアメリカにやってきたのだと思ってばかりの彼女に、アイルランドの有史以前のすばらしい遺跡を見せられたことだ。

ニューグレンジとは、今から約5000年前、紀元前3100年~紀元前2900年に建設された巨石遺跡である。

その翌日から日が長くなり始める(最も日が短い)冬至の明け方にだけ、太陽の光が細い回廊の奥にある祭殿まで真っ直ぐに入射し床を照らすよう設計されている。
そんな技術が、エジプトの大ピラミッドよりも500年、イギリスのストーンヘンジよりも約1000年先行しているというのに、この二つに比べたら、ニューグレンジったら、ほとんど世の中に知られていない遺跡なんである。

私は個人的に、これこそがアイルランド人気質をあらわしていると思っている。おひとよしというかシャイというか、もっとガンガン観光の目玉として売り込んでもいいんじゃないの?

アイルランドが、長くイングランドに支配され抑圧されていた国で、ゆえに多くの移民をアメリカに送り出したという面だけでなく、ケルト神話の豊かで創造的な古い歴史のある国だということを、そしてさらにもっと遡れば紀元前3000年ころには、肥沃で温暖で、古代人が移り住みたくなるような場所だったからこそ、ニューグレンジのような巨石遺跡が作られたと推察されていることを、生物的にアイルランドにつながるジャネルに、しっかり知って誇りに思ってほしかった。

勝手ながら、アイルランドに思い入れがあるだけに。

「じゃあ、またね。次はどこかな?」

最終日の朝。
ダブリンのホテルで、ハグをしたあと、手を振りながらそういった。

ご先祖様をたどる旅。
イタリアもアイルランドも、ドラマチックに想像を駆り立ててくれる素晴らしい旅だった。
だから、いとこがまた新しいゆかりの地を見つけてくるのなら、大歓迎だ。

さて。次は、いったいどこの国かしら?

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。