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ギブとギブ

今から30年以上前のこと。アメリカに短期留学に行った。

それは、当時多かった旅行会社が主催するものではなく、けっこう歴史のある国際交流団体が募集しているもので、学校からの推薦やら出発前の合宿が必要なわりと真剣なものだった。

その出発前合宿には、短期ではなく1年間の交換留学を経験した「リターニー」と呼ばれるOB・OGたちがボランティアとしていろんなセッションを取りまとめていた。

当時の私の目には、膝から下を切り落としたジーンズを着て、ボールペンを齧ったり研修なのに冗談を言い合い大声で笑っているOB・OGの人たちがまるでガイジンみたいで、ちょっとうらやましい反面、なんかかっこつけてるなあと思えてならなかった。
特に、ある小柄で美人さんのOGさんは、周囲にちょっとアイドルみたいにもてはやされていて、それを自分でも意識している風で、嫉妬心も含めて、なんだか鼻持ちならなかった。

その、美人OGさんがいったことばは、でも、その後30年以上も私の心に刻まれることになった。

そのセッションは、この短期交換留学でどんなことを得たいか、という質問から始まった。

「英語がぺらぺらになりたい」
「アメリカ人の友達をつくりたい」
「いろんな生活の違いを経験したい」

あと数か月でアメリカに行く予定の私たちは、みんな口々になにを叶えたいか熱意をもって語った。

それをひとしきり聞いた後、彼女は静かにこういった。

「~を得たい、は素晴らしいことだけど、同じくらいに相手に何をしてあげたいかも考えてみてください」

してあげたい?

私は一瞬考えた。
だって、このために親も説得したし、貯金もぜんぶ使うし、成人式の着物代の代わりに差額を払ってもらうんだから、あれもこれも得て帰りたいって思うのは当然じゃない?

「英語でよく、ギブアンドテイクっていいますよね。でもね、それって、片方があげてて、片方が取られちゃうってことでしょう?そうじゃなくって、留学に行くって、ギブアンドギブなの」

ギブアンドギブ?

「あなたがアメリカに行ってあれやこれを吸収したいと思ったとき、同じくらいあなたが相手に自分や自分の文化について教えてあげられるかを意識してください。それが、たぶんあなたの留学を価値あるものにしてくれると思うから」

よくよく考えたらそうなのだ。
ニンゲンが二人いて、間に双方向の矢印がある状態は、お互いが与え合っている。そう、ギブアンドギブ。

それ以来、ずっとこのフレーズがこころのなかに残っている。

与えることは、自分が持っているものを減らすことではない。
だって、たいていのひとは、違うカタチ、違うタイミング、違う場所かもしれないけれど、与え返してくれるから。
もしそのひとじゃなくっても、違う誰かが。

そう。回りまわって、どこかで戻ってくるものだから。

以前私はそれを「バトン」として表現した。

もし、全体的な包括的な大きな視点でとらえたとき、与え合えるのであれば。

私がこの時代に生きて、そして次に引き継ぐことの意味があったような気がするのだ。


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