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偶然の一致

鎚起銅器。

「ついきどうき」と読む。

で叩きこして一枚のの板から作られるだ。

もう10年ほど前だろうか。当時新潟に住んでいた友達夫婦を訪ねたとき、玉川堂という工房へ連れて行ってもらった。

まるで茶道の先生のおうちにお邪魔するような風情のある玄関をぬけ、さらに歩みをすすめていくと、ひろい畳敷きの作業場で、黙々と何人もの職人さんが作業をしていた。
その手元で少しずつぺらりとした金属板が個性を身に着けていく。

何と美しいんだろう。

ポンド高のいきおいもあって、最後に私はシンプルな皿を購入した。

お刺身やスモークサーモンを盛るときは、あらかじめ冷蔵庫でキンキンに冷やして使う。
が、普段は美しいので棚の上に飾っている

「あのね、すごく素敵な工房にいったの。燕っていったら洋食器のイメージだったけど、ザ・日本って感じでさ」

東京に戻ってきた私は、そう話しながら、母親に自慢げにその皿を見せた。

「ついきどうき、っていうんだよ。このお皿は、ヨーロッパとか海外の市場を意識して作ったシリーズなんだって。
こんなシンプルなお皿でも結構いいお値段だったけど、欲しかったコーヒーポットなんてとても手が出なかった。びっくりだね」

皿の裏に二つ入れられた銘をみせながら、興奮してあれやこれやと説明を続ける私。

「なんか、その話、どっかで聞いた気がするわねえ」

そういって、母はキッチンテーブルを離れ、二階へと消えていったかと思うと、両手にやかんを下げて戻ってきた。

「ほら、おじいちゃん、ボロ市とかにいくの大好きだったでしょう?
それともどっかの骨董屋さんで買ってきたんだったかな。
このやかん、同じようなこと言ってた気がするのよ」

確かに二つとも鎚起の技法で作られたぽい。
大きいほうは銅の美しい色をしているけれど、ラインが優雅じゃない。
でも、小さく美しい曲線を描いているほうのやかんは、まるきり黒ずんでいて、輝きもない。

「これでコーヒーのお湯注げばいいじゃない。いいわよ。好きなほうをロンドンに持って帰って」

せっかくなので、小さいやかんを連れていくことにした。

母はもう一つのやかんを玄関のドライフラワーの横に飾った。

「へえ、そうだったんだ。こじんまり素敵な形のやかんよね。
私もナナ(おばあちゃん)から譲られた銅のお鍋があってさ。
受け継ぐっていうの?そういうのっていいよね。
私はBar Keepers Friendで磨いてるわよ。キレイになるから、使ってみなさいよ」

ナポリ旅行のあと、サンフランシスコへ帰る前にロンドンの私のいえに立ち寄ったジャネルは、やかんをみせると、そういってアメリカ製のクレンザーを勧めてくれた。

うーん、磨いちゃっていいのかなあ。
半信半疑ながらも、まあどうせ実家で長年しまい込まれていたんだしと思い切った。
そして、ジャネルが勧めるクレンザーをネットで注文し、磨いてみることにした。

バーテンダーの仲良し、という名前がイイ。

こすってはぬぐい。
こすってはぬぐい。

さすがジャネルのお勧めだけあって、真っ黒にみえていたやかんが、色を見せ始めた。
けれど、注ぎ口の横のところにある焼きついてしまったようなシミが、なかなか取れない。

もう少し。
もう少し。

ん?

あれ?

これ、みたことがある。

注ぎ口の右にあるシミの下に姿をあらわした「玉川堂」の銘。
びっくり。

そう。そこには、私が新潟の工房で買ってきた皿と同じ銘が刻まれていた。

祖父も、同じ工房の鎚起銅器に惹かれていたとは。

時間を越えて、隣同士。

りのさんのこの傘のnoteを読んで、最初は前原光榮商店の16本骨傘を愛用されているという奇遇にうれしくなり、さらに、家業継承ことにも触れていて驚いたのだけれど。

さらに読み進んで、前原の傘をおじいさまも所有されていたというエピソードに差し掛かって、あれ、と思った。

私にもそういうことがあったじゃない、と。



世代を越えて、意識しないところで同じものを愛用していた家族の繋がり。

同じものに惹かれるという不思議な連鎖。
少しほっこりする気持ち。

さあ、今日もおじいちゃんのやかんを火にかけて。

猫には白湯。
ニンゲンにはコーヒーを淹れよう。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。