愛知県時代②

①の続きです。

専門学校の入試は、それまで国公立大学の入試勉強をしていたので、難なくクリア出来た。

そうだ、高校の担任(女性)に「センター試験だけは受けて」と言われて受けた。
担任は、センターで思いのほか点が高かったら、大学に行く気になるかもしれないと思ったんだろう。

そして、学年平均を超える点数が出てしまった!
あ、実力なんて全然思ってないです。
マークシート方式だから運が良かったんだと思う!
この時、肩の力を抜くことの大切さを実感した。

案の定、担任から「この大学なら行ける」攻撃が始まったけど
お互い泣くほど言い合いしたけど

手に職をつけて社会に出たい

この思いは曲がらず、専門学校入学。
姉が看護の専門学校行ってたから、
専門学校って必要な科目がぎゅうぎゅうに詰まってて大変なんだろうと思ってた

でも、私が通った専門学校は割とゆっくりだった!
休みも大学生並みにあったし
1日1講義の日もあったし

そんなこんなで専門学校生活を楽しみ
国家資格じゃないけど立派な資格もgetし
狙い通りそのメガネ屋へ就職。

この頃(2004年入社)、就職氷河期?だかなんだかで
まわりは就職しにくい状況だったけど
早めに就職が決まったので良かった
(小さな自己尊厳のために…
 専門学校から全員そのメガネ屋に
 ストレート入社出来るわけではなく、
 ちゃんと入社試験もあったし
 約40人→10人に勝ち残ったのだ!)

まあなんとも運がいい人生。

そしてメガネ屋勤務。

メガネ屋っていうと
お客様に似合うメガネを一緒に探してーっていう
単なる接客業だと思われる。
いや、間違いではないし接客業って大変だけど

就職した会社は

見えるメガネ じゃなくて
快適に視えるメガネ を求めていて

メガネの度数を決めたあと
メガネを加工(レンズを削ってフレームに入れる)するのも
顔に合わせてメガネを調整するのも
全部「快適さ」を求める仕事に含まれる。
各店の担当者はいるけど、基本、全社員やる。

だから接客業だと言うのも言われるのも
腑に落ちないなぁと思いながら
(会社としての登録は製造業らしい!)
昇格試験も運良くクリアしていき
管理職前の最後の試験も受かった頃

まあ色々あって(家族のことなので割愛します)

会社辞めるならどうしよう?と悩む。

そうそう、この頃、定年退職した父が
家庭菜園よりちょっと規模が大きい畑いじりをしていて
休みの日に気分転換を兼ねて夫と手伝いに行っていた。
直売所にもついて行って
父が作った野菜を消費者が買っていく光景を
キラキラした瞳でみつめる夫。

ああ、農業が向いているのかも。

誰かの下で働くのはもういいや。

と今思えば浅はかな思考で農業に携わる決意を。

で、旅行で訪れたことのある山梨県で
農業の求人があったので応募。
誰かの下で働きたくなかったけど
農業について何も知らないし
縁もゆかりもない土地になにもアテもなく飛び込むのは怖かった。

あの頃はどうせ農業やるなら父に頼らず自分たちの力でやりたい
農業をしっかり学びたい、だから愛知県を出なきゃっていう気持ちがあったけど
愛知県って農業大国なんですね。
出てから知りました。

そんなこんなで、やっと山梨県に来ました。

挫折を知らない人生だと我ながら思う。

では続きはまた後日ー
お読みいただきありがとうございました。

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