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往復書簡⑥小齋→清尾 「ホーム&アウェイ」

清尾さん、お疲れさまです。
ステーキのこと、よく覚えてらっしゃいますね(笑)。
あの一件から「インドネシアってこんな国かも?」と極論めいたことを展開することもできなくはないのですが、今回は字数を考慮して早速『本題』に入ることとします。

清尾さんが往信で記されている通り、アウェイでのペルシク・ケディリ戦は

「ホームとアウェイでこれほど違うものなのか」

と痛感させられた出来事でした。
オーストラリア、中国、韓国、そしてグループリーグ後に訪れることとなるイラン。どこへ行っても「ホームとアウェイの差」は多少なりとも感じるものでした。
それらの国々の中で、ギャップが最も大きかったのがインドネシア。
なぜあれほどの違いが生まれたのか。
今回はそれを念頭に置きつつ、振り返っていきたいと思います。

ペルシク・ケディリとのアウェイゲーム、日付は2007年5月9日。
ゴールデンウィークが終わったタイミング。
GWと言えば、Jリーグにとっては繁忙期です。
かなりキツいスケジュールだったのではと思い確認してみたのですが、予想以上のヒドさですね、コレ(苦笑)。
前回の往復書簡③④で触れた上海申花戦からチームの連戦はそのまま続いており……具体的には

・4月21日 川崎フロンターレ戦(●1-2)
・4月25日 上海申花戦(△0-0)
・4月29日 鹿島アントラーズ戦(〇1-0)
・5月3日 ジェフ千葉戦(△1-1)
・5月6日 大宮アルディージャ戦(△1-1)
・5月9日 ペルシク・ケディリ戦

中3日または2日での6連戦!
ちなみに、ケディリ戦の4日後にはホームでガンバ大阪戦。
この後にようやく6日空くことになるのですが、そこからまた中3日でシドニーFCとのホームゲームが待ち受けていました。

日程と結果の確認には、リーグ・カップ関係なく日付順となっているMDPが必須

過酷なスケジュールの中でのインドネシア行き。
環境も過酷でしたね。
5月9日15時30分、キックオフ時の気温は持ち込んだ寒暖計で35.0度、湿度は44%。こまめな水分補給が欠かせない状況。
そこで清尾さんが書かれていた【ラベルをはがしたペットボトル】の登場となるわけです。
実はあのラベルはがしの作業、私も手伝っていました!

それというのも、ACLでは現地での交通手段も限られていたため、会場に『前乗り』するスタッフの車に便乗させてもらうことが多々あり、その御礼も兼ねて荷物の搬入などのお手伝いもさせてもらっていたからです。
その一環としてラベルはがしも。
私がラベルをはがし、他のスタッフさんがMDP300号記念ステッカーを貼っていくという流れ作業で完成させたのが、あのペットボトルでした。
なお、このラベルはがし作業の際に清尾さんが同行されていないのは、ケディリ戦の4日後に控えたホームゲーム用MDPの最終校正作業にホテルで取り組んでいらしたからだと記憶しています。

あの高温多湿の気候。
レッズの選手には足かせ以外の何ものでもなかったでしょうが、ケディリの選手たちにとっては違ったようです。
それこそが『ホーム』ということなのでしょう。
前日の公式会見にて、ケディリの監督がホームでの強さの理由を問われ、こんなふうに応えています。

「気温がやはり一番大きい。前に埼玉で試合をした際(3月7日)は、夜のゲームでとても寒く、選手たちは寒さで動けずに負けた」

「インドネシアのリーグで優勝を決めたのもこのスタジアムなので、ここにはグッドラックもある」

相手の監督が「幸運」と評したスタジアム。
対するレッズの選手たちにとっては、非常に厳しいものでもありました。

ご存知の通り、選手はピッチ状況によってスパイクを替えるものです。
ものすごく大雑把に言ってしまうと、安定したピッチならばスタッド数の多いものを。滑りやすい場合はスタッド数が少ないものを選びます。
ですが、このマナハンスタジアムのピッチはそういった言わば「小手先」の対処ではどうしようもないレベルでした。
どちらのスパイクを履こうが、芝生が根を張っている土の層ごと「ズルリ」とめくれ上がるような状況だったからです。
しかも、そのピッチで普段は試合が行われ、前日には両チームが公式練習を行っています。至るところデコボコで素直にはボールが転がってくれないピッチ状態は、あの小野伸二をしてこう言わしめるほどでした。

「普通に蹴ったり止めたりするのも難しい感じ」と。

このピッチは、レッズの選手たちにとっては負の要素でしかありません。
一方で、相手にとっては「実力差を縮める」プラス要素として作用しました。
象徴的だったのは開始4分、自陣右サイドを崩された場面。
啓太が芝生に足を取られてかわされ、後方の坪井が啓太に替わり対応。しかし、彼がチャレンジする前に相手はパス交換で坪井を置き去りに。それを見てカバーに入った阿部がスライディングで脚を伸ばすも、ボールには届かず。結果、やすやすとクロスを許すことに。
鈴木啓太、坪井慶介、阿部勇樹。
当時の日本代表「オシムジャパン」に名を連ねる3人が為すすべなくやられた場面でした。

それでもレッズは先制。
8分に永井とポンテのコンビネーションからエリア内に侵入、PKを獲得。これを小野が決めて1-0。
しかし21分、今度は逆にPKを与えることに。
エリア内に放り込まれたボールに、ネネが相手の身体に寄せつつ頭で弾き返した直後、主審のホイッスル。
この笛はDF陣にとって、警戒心を強める方向へ作用することとなります。
不安定な足下のピッチと吹かれやすい主審の笛。
この日のDFライン中央にいた堀之内はこう振り返っています。

撮影:清尾 淳

「難しいピッチでした。それでも相手は意外とボールを繋いできたから、慣れてるなと感じました。ディフェンスとしては、ファウルも取られやすかったのでマークに付きづらい、厳しくいきづらい状況でした」

ネネが吹かれた笛からのPKで試合は1-1に。
さらに32分、エリア内から相手の見事なシュートを許して1-2とされてハーフタイムを迎えます。

ケディリはホームゲームに強い。
そのことは事前に把握してはいました。
ですが、それはあくまで『情報』にすぎませんでした。
実際に目の当たりにした試合展開からは、3月に埼スタで3-0と勝利した際と同じ相手とは容易に信じられない『違い』が存在していました。



撮影:清尾 淳

1-2で迎えた後半、開始からオジェック監督は岡野を投入。右サイドでの岡野の献身的な上下動を契機として、前半にはあまり見られなかったリズムが生まれていきます。
5分には同点ゴール。
エリア右わきからの永井のクロスをポンテがゴール前で右足ワントラップ、ピッチに弾んだボールが落ちはじめたところへ再び右足を振り上げて一閃、ゴールに叩き込みました。

ポンテの右足で2-2に(撮影:清尾 淳)



さらに17分、CKから阿部が頭でネットを揺らして3-2とします。場所が埼スタであれば、このまま逃げ切ることもさらに突き放すこともできたかもしれません。
しかし、そこはアウェイ。
気温はまだ34度以上を示し、不安定なピッチに加えてセンシティブな主審の笛。
押し込まれる時間が増え、38分には3-3の同点に。エリア右からの突破を許してパスを繋がれ、最後は3人が棒立ちに近い状況でシュートを打たれてしまっていました。試合はそのまま3-3のスコアで終了。

アウェイでのこの一戦は勝ち点3を『計算』していた試合といっても過言ではないでしょう、3月に3-0で勝利したホームゲームを思えば。
ですが、実際のアウェイゲームはそれほど『たやすいもの』ではなかった。
それでも、敵地で勝ち点1を獲得したことは、負けなかったことはとても大きかった。
それが私の総合的な感想でした。
加えて、同節にて中国で行われた上海申花対シドニーFC戦で2位シドニーが引き分けたことは僥倖だったと思います。
その結果、レッズはグループ首位を維持したままリーグ最終戦を埼スタで戦えることとなるわけですから。

さて最後に。
ここまで長々と書き連ねてきました。
ですが、ケディリ戦で最も強い印象を残している記憶は、実は他にあります。

トイレです。

え~っと、順を追って説明しますね……(笑)。
ACL出場が決まって以降、クラブはタイトル獲得のために様々な努力を積み重ねてきました。
たとえば、往復書簡③にて清尾さんが触れられていた「入念な調査の上で埼スタでのキックオフ時間を19時半とした」というのも、これに当てはまるかと思います。
そういったいくつもの努力の内のひとつが、強化部スタッフがおこなっていたアウェイでの事前視察。キックオフの時間に合わせて宿泊予定のホテルからスタジアムへ移動し、移動にかかる時間や現地の状況を精査するという一連のシミュレーションです。
当然、ケディリ戦で使用されるマナハンスタジアムにもスタッフが直接足を運び、ピッチ状態はもとよりロッカールームやシャワー・トイレの設備などを確認していました。
その視察結果をもとに下されたのが『日本からトイレを持ち込む』という決定。
より詳しく記すと、介護用品として流通している工事不要の洋式便座を持ち込んで、現地の「金隠しのない和式便器」のようなトイレの上に据え置くという形でした。

このトイレの一件が、試合結果にどんな影響を与えたかはわかりません。
ですが、ハードスケジュールという一言では言い尽くせないような日程で戦っていた選手たちは、ささいなことでもストレスが溜まる環境下にあったはずです。
そんな中、ストレス要因となるものを少しでも取り除いておくという意味において、このトイレの一件は一定以上のストレス軽減効果はあったのではないでしょうか。

『アウェイ』という異なる環境を、いかにして『ホーム』のそれに近づけるか。

その点にクラブは手を尽くしていました。
それはまごうことなき事実です。
そしてその尽力は、タイトルという果実を得る上でたしかな役割を果たしていた。
今でもそう思っています。

今回の返信は、この言葉で締めくくりたいと思います。
戴冠後、『アジアチャンピオンズリーグ』という戦いを振り返ってくれた際の、永井雄一郎の言です。

撮影:清尾 淳

「スタッフがしてくれたことのすべてを僕らは知ってはいないです。
『これはこうだったのを、こうしたんだよ』なんてことを一々言う人たちじゃないですから。
でも、だからこそ、僕らは余計なことを考えず、サッカーに集中できた。
すべてにおいて、選手は何もしなくてよかったんですよ。
そういう環境の中でやらしてくれてることに、本当に感謝したいと思いました」

(了)

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