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往復書簡⑩小齋→清尾「組織の中の特別な『ふたり』」

清尾さん、こんにちは!
今回はちょっと迂遠な導入をお許しください。

どのような組織でも、その中には馬が合う者同士もいれば、どうにも反りが合わない者同士もいるものです。
「プロサッカーチーム」と言ってもそれは当てはまり、浦和レッズにおいても例外ではありません。
さらに言えば、馬が合う者たちの中には特に「コンビ」と呼ぶのがふさわしいような組み合わせもいました。
2007年当時で言えば、坪井慶介と阿部勇樹、都築龍太と永井雄一郎、そして田中達也と長谷部誠。
ノックアウトステージでの最初の相手・全北現代モータースとの2試合はどちらも、このふたり――達也と長谷部――の印象が強いゲームです。

今回の主題である全北現代との第一戦、実はその4日前、選手たちはサンフレッチェ広島とのアウェイゲームを戦っていました。
結果は4-2での勝利。
先制点は達也、2ゴール目をあげたのは長谷部でした。
そして迎えた全北との第1戦。
9月19日、ホームでの試合は開始早々の4分、レッズが先制。
決めたのは長谷部。
奪ってから早い展開で達也が右サイドを崩しゴール前の永井へ。DFを背負った永井がしっかりキープし、ボールを後方の長谷部へ。
長谷部はドリブルをひとつ入れ、右足を振ってシュート。
ペナルティアーク右脇から飛んだボールはDF陣の隙間を縫うようにゴール左下へと吸い込まれていきました。


ケガもあり2007シーズン序盤は苦しんだ長谷部(撮影:清尾 淳)

この2007年、長谷部は開幕前に負傷。順風満帆な船出とはいっていませんでした。6月に入るまでは途中出場・交代とフル出場がほぼ半分ずつ。
長谷部がレッズに加入したのは5年前の2002年。
2004年シーズン中盤に定位置を掴むと、同年のナビスコカップにてニューヒーロー賞を獲得。リーグのベストイレブンにも選ばれました。その後は日本代表にも選出されるようになりはしたけれど、2006年ドイツでのワールドカップには選外。W杯後、新たに代表監督に就任したイビチャ・オシムのお眼鏡にもかないはしたものの、常に選ばれるという状況までには至っていない。
著しい成長曲線を描いていた彼の軌跡が若干の停滞を見せていたのが、2007年序盤だったと言ってもいいでしょう。

そんな長谷部が決めた全北現代との第1戦での先制ゴール。
本人は苦笑と共にこう振り返っています。

「はじまったばかりなので打とうと思って打ったら、入っちゃいました」

これは、彼自身初となるACLでの得点でもありました。

全北現代戦、達也は前半から相手ゴールを脅かし続けた(撮影:清尾 淳)

長谷部のゴールで先制した試合は1-0のまま後半へ。
欲していた追加点が生まれたのは14分、相手CKを跳ね返してのカウンターが契機でした。
左サイドを達也が運んでゴール前の闘莉王へ。自陣ゴール前から猛然と駆け上がってきていた闘莉王は、達也からのボールを軸足後ろを通すトリッキーなワンタッチでリターン。このひとつのタッチで、完全に相手守備陣は翻弄されました。
闘莉王からのリターンを受けてエリア内左に達した達也の正面には、GKだけ――。

達也にとってはこの試合がACLデビュー戦でした。
2005年の右足首脱臼骨折以降、あの負傷に起因するコンディション不良に達也が毎年苦しんでいたことは、周知の通りです。
この2007年も同様。シーズン初出場となったのは6月、中国山東省で開催されたA3チャンピオンズカップ。

「試合勘は結構戻ってきてると思います。あとはシュートのところだけ。まずはゴールに向かってプレーして、チャンスを作って、シュートシーンがあったら落ち着いてやれればと思います。最後はそこだけ」

A3での戦いを終えた頃、自身のプレーを達也はそう評していました。

闘莉王からのリターンを受けた達也は、GKの位置をしっかり見て、反応する暇も与えず「落ち着いて」右足アウトでシュート。
ゴール右下に収め、自身ACL初となる得点を記録しました。

全北戦でのゴール後、闘莉王からの祝福を受ける達也(撮影:清尾 淳)

4日前の広島戦につづき達也と長谷部のゴールでリードした試合は、その後の全北現代の猛攻を凌ぎきれず。アディショナルタイムにCKのこぼれ球を押し込まれて2-1で折り返すこととなります。
(了)

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