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「家もなく」 02

(承前)

これが出て征く前夜の夫である。

無心に眠る幼児と
並んで眠る今宵の夫。

私は二人の寝顔をあかずながめて
一人目ざめてゐた。


何といふやすらかな寝顔であらう。

まだ生れぬ子に名さへもらつた。

女として妻としての
深いよろこびが心をみたして、
こころたのしい夜である。

そつと窓をすかして見ると
空のところどころに
星のまたたきが見える。

明日は晴、
心もすがたもはれやかに
夫の晴れの門出を送らう。

海もあれず波も静かに、
無事に上陸出来ます様に。

私は星のまたゝきの一つ一つに祈って、
そっと窓をとぢた。


私は静かに机の前に坐つて、
硯箱の蓋をあけ、
新しい墨をおろして、
ていねいに濃く墨をすつた。


  家もなく妻も子もなく天つ日の
  赤きにもえて征(ゆ)きませわが背


新しい筆にまごころをこめて歌を書いた。

そして、ともしの下によみかへすと、
泣くとはなしに涙がわいてきた。

それは
私がいまだかつて感じたことのない、
深い感激の涙であつた。

大君のみ盾の一人として夫を奉る。

そして如何なることがよしあらうとも、
必ず正しく強い妻の道、
母の道をあゆみつゞけて、
たふれる日までつとめよう、はげまう。


  家もなく妻も子もなく天つ日の
  赤きにもえて征きませわが背


これは夫を送る歌であつて、
ひとしく
又我と我が身に教へる歌であつた。

二度三度、
私はつたないその歌をくりかへしつつ、
ますらをとしての夫の武運を
いつまでもいつまでも
祈りつゞけたのであつた。

(野村玉枝『御羽車』より)

※ ※ ※ ※ ※

この「家もなく」の歌は
歌集『雪華』の第6首となっており、
次の第7首が「かへるとは」になっている。

また、「かへるとは」については
歌の頭に「出発の前夜」と記されており、
出征前日の夜に
この一首を書いたかのように読めるが、
『御羽車』を読む限りにおいて、
出征前夜に書いたのは「家もなく」であり、
「かへるとは」はそれより少し前、
一泊の外出許可を貰い、
父母のいる実家での
最後の夜を過ごした時のものとなる。

歌集『雪華』では
盧溝橋事件のニュースが
全国に流れた時の一首から始まっており、
野村玉枝の住んでいた
富山県青島村(現在の庄川村)でも
多くの住民が召集され
中国に出征していったらしい。

そうした中、
夫に召集令状が届くのだが、
その時のことは、こう歌に記している。

  小夜更の門うちたたく人の声
  飛びいでてさと門押しあくる

  まなこ閉じ押しいただきて開く眼に
  まさしくはうつる君がその名の

令状が届いてから入営するまで、
そして日本を離れ
遠い戦地に出征するまでの間に、
残される妻や家族たちは
夫や父・子との永久の別れを覚悟し、
誉れの軍人の家族として
ふさわしく送り出す覚悟を
しなければならなかったのだろう。

「家もなく」の首の前にもう一首、
野村玉枝は、同じような歌を書いている。

  今は我が夫にあらず大君の
  御旗の下の一人と思ふ

「家もなく」と比べると、
明らかに言葉が戸惑っていて
「理屈としてそう考えている」程度の
心の弱々しさを感じさせるが、
これもまた人としての
正直な心情の発露とはいえないだろうか。

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