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「南京入城ニュース映畫を見る」 02

(承前)
再び第七信に戻り、
そこから連なる『雪華』

『南京といつて支那の首都ではあるが、
 左程立派とは思へません。

 世界の二三等国であるとの感を
 深くするばかりです。

 苦しかつたこともないではないが
 思ひ出の様です。

 體も少し太つた様に思ひます。
 只風呂に入れないのが困ります。

 もうしばらくしたらお正月ですね。
 達者で迎へて下さい。
 自分も品でお正月を迎へます。

 では御身御大切に。
 これで筆を止めます。』

   南京入城ニュース映画を見る

  この中にまさしくまさしく我が夫の
  並ぶを思い涙流るる

  わが郷土(くに)のますらたけをが攻めとりし
  中山門の日の御旗思ふ

(野村玉枝『雪華』より)

※ ※ ※ ※ ※

映画「南京」は記録映画であるが、
他のこうした映画と同じく、
プロパガンダ色の強い作品になっている。

今に生きる私たちは、
左右上下いずれの側にせよ
いわゆる「後世の眼」を通して
この映画を評価するなり、
あるいは批判するなりを
幾らでもすることができる。

・・・が、
野村玉枝の歌集『雪華』を読むと、
映画の政治的意図とは別に
見落としてはならなぬ
大事な部分があるのではと
強く感じることがある。

通常は
新聞やラジオを通じてしか
知ることのかなわなかった
夫の居る戦地の模様が、
動く映像として
見ることができるのである。

普段、
新聞の紙面に
またラジオから流れる声に
一喜一憂していた野村玉枝は、
この映画の画面を
食い入るように見たことだろう。

それは彼女一人だけでない。

幾千幾万の銃後の妻たちや
両親、子供たちが
この映画に出てくる兵士達の中に
夫を、父を、
そして自らの腹を痛めて
産み育てた息子を
探し求めていたのではなかろうか。

あるいは、
戦地で散った良人の影を
行進する兵士たちの中に
見出していたのかもしれない。

確かにプロパガンダ映画であろう。

現代の眼で見るならば
噴飯物であったり、
「事実とは違う」と
声を荒げる類のものなのかも知れない。

だが、
当時の人々においては、
本当に見たいもの、
知りたいもの、
そして
「信じたいもの」のひとつでは
なかったであろうか。

(写真は中山門に突入する第16師団歩兵第20連隊。
 『別冊一億人の昭和史 日本の戦史03 日中戦争1』毎日新聞社より)

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