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「2020年3月の日記より」

東京都内の感染者数は
今日、とうとう1万を超えたそうだ。

すでにコロナ禍が始まって
丸二年が経過している今、
私自身の心のどこかで
「もう平常の生活に戻りたい」
「この程度ならば、騒ぐ必要もないのでは」
という弛緩が起きている気がする。

そうした弛緩には個人差があり、
それゆえに人々の社会の中で
諍いや、いがみや、
軋みのようなものが
生じてはいないだろうか。

ならば、
もう一度、
過去の日記に目を向け
あの時の心を取り戻したいと思う。

※ ※ ※ ※ ※

かつてのペスト災禍のとき、
当時の街では
今のヨーロッパの各都市と同じく
「自宅隔離」
「都市封鎖」
「外出禁止令」の布告が行われ、
外を歩いているのは
市や町から任命された役人ばかり。
人々は、暗い家の中で息を潜め
疫病という名の死神が
いつ自分の家に入り込んでくるのか
ただ、ひたすらに怯えていた。
 
それは
電話もテレビもネットもラジオも、
そういった情報を得る手段が
全くなかった時代の話。
 
当時の人々は
街の教会が鳴らす弔鐘と
誰のつきそいもない
死体処理の役人に担がれた棺が
それぞれ疫病死者を出した家から
列をなして通りを行進し
墓地に向かうのを見て
「ああ、あそこでは何人死んだのだ」
と、僅かに知るだけだった。

今は、
家に居ながらにして
離れた親戚縁者とも
親しい友達とも
簡単に連絡が取れるし
家の窓から見える範囲の
町の様子だけでなく
国中のニュース、
世界中のニュースを
簡単に知ることができる。
 
世界中の国が
この疫病災禍から
人々の命と
社会の秩序を守ろうと
智恵を出し合い
国によっては
一日に600名を越す死者を出す
地獄のような環境の中で、
死と絶望とが背中合わせの中で
それでも挫けず
踏みとどまって
必死に
この未曾有の災禍に
抗い続けていることを
私たちは
知ることができる。

どれだけ、それが心強いことか

やみくもに恐れるのではなく
疑心暗鬼に陥るのではなく
いがみ合うのではなく
この未曾有の災厄に
立ち向いたいと思う。

私たちの手は
殴り合うためにあるのではない
繋がり合うためにある。

私たちの口は
罵り合うためにあるのではない
励まし合うためにあるのだ。

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