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#日記『2022年10月31日〜昨日は世界遺産の廃坑を見学しましたの巻〜』

せいひつです。

昨日は日記をサボってごめんなさい。甥っ子くんのお母さんがベトナムから帰ってきて、とうとう、彼も八代のお家に帰りました。

台風のような甥っ子くんがいなくなったら、我が家も穴が空いたように静かになりましたよ😅 そのせいか、気が抜けて寝込んでいました。

といっても、何もしなかった訳ではありません。

昨日は午後から、炭鉱博物館へ立ち寄って、地元の世界遺産である万田坑の見学へ行きました。

せっかくなので、撮った画像をあげてシェアさせて頂きたいと思います。

地元の小岱焼きの器が置かれてある万田坑博物館の玄関です。
博物館の奥では麻雀大会が開かれていましたよ。
味のある廃坑の油絵ですね。
右上のおいちゃんの写真が気になる、モニュメントのような写真パネル。
ちょっと怖い感じがしますね。
炭坑夫の方達の、当時の生活を追想できる写真群です。
お母さんが炭鉱へ行っている間に、赤ちゃんを預かっていたのですね。
ヤグラには、エレベーターの昇降機が取り付けてあります。今では真っ赤に錆びた鉄板を、ペンキでグレーに染めてあったり。
土佐馬と呼ばれる小型の馬を、狭い坑道で働かせていたそうです。当然、失明もしました。

続いて、廃坑となった世界遺産の万田坑の見学の様子です。

炭鉱の建物の外にある、女神を祀ったお社です。安全祈願と事故者の供養が行われていたのでしょう。
このヤグラは先にも書きましたが、真っ赤に錆びていたのを、ペンキでグレーに塗ったものです。
建物には工事中で、入れないものが多かったです。倒壊の危険があったからですね。
手前に、工場で使う水が貯められていますね。
こちらは、近隣にあるもう一つの廃坑世界遺産、三池坑の見取り図です。
この近くで映画『るろうに剣心』の撮影が行われたそうです。映画は見てないので、どのシーンかは、せいひつには分かりません。
坑道内で使っていたトロッコです。炭鉱では歩合制で、このオケに何杯かで給与が決まっていたそうです。
25人乗りといわれるエレベーターの成れの果て。これを昇降機を使って、上げ下げしていたんですね。
地下270メートルまで続く縦穴です。先のエレベーターの箱を、ここで使っていました。
ヤグラですね。新しい感じですが、もうボロボロで見学に登ることはできません。
こちらの右側の建物では、ご婦人たちがニットの毛糸を製作していたそうで。
今回、ガイドさんに付き添って見学させて頂きました。
エレベーターの昇降機械の一部、巻き揚げ機です。
手動と書かれてあるのが見えますか?そうです。19世紀当時は、人がエレベーターの上げ下げを担当していて、乗る方も止める方も命懸けでした。
ガイドさんが握ってらっしゃる鉄棒で、エレベーターを停めます。間に合わなかったことは無いそうですが、失敗したら25人分の命が一瞬で消え去ります。
このメーターを見て、今エレベーターがどの辺りかを見ながら、停めていたそうです。地下270メートルまで行っていました。
2回の建物から、外の風景を見れます。緑に囲まれた敷地内の地下には、迷路のような坑道が所狭しと広がっています。
昔懐かしい、受話器のついたダイヤル式の電話ですね。
ボタは石ころ。左の石炭を取るために、選り分けて捨てていました。
ガイドさんお疲れ様です。案内は20〜30分ほどで終わりました。見学は、1時間ごとにガイドさんが付きます。
おまけ:近くの山で、傘に入れながら、木の実を取っているお爺さんがいました。
当時はこの近辺に社宅が600件もあって、コンビニから、生活に必要なお店や設備が、ひしめいていたそうです。ちょっと想像できませんね?
こちらも、2階から撮影しました。

スマホの画像添付からは、掲載される順番が少しだけバラバラになっちゃいますね。

それはそうと、ちょうどガイドさんが見学者を先導する時間帯に行けたのがラッキーでした(1時過ぎに博物館へ行って、本屋で購入した本を読んで時間を待っていました)。

万田坑の近辺には、社宅が600件もあって、スーパーや生活圏に必要な雑貨屋や銭湯などもきっとあったようです。しかし、昭和27年に廃坑されて山を削った土でトンネルを埋めてから(地盤沈下対策です)人が離れて近辺の建物もほとんど残っていません。

せいひつの母が学生時代のときには、炭鉱列車で学校に通っていたそうでした。

そうなんです。母型の実家も元は炭鉱の近くにあり、今はなくなってしまいましたが、祖父が炭鉱で働いていたそうで。

炭鉱マンは当時の稼ぎ頭だったそうですが、男性はふんどし一丁、女性は腰巻に胸をさらして道具をかつぐなど、過酷な作業現場でした。

画像にもありますが、託児所に赤ちゃんを預けて女性や、産業革命の初期には学校へ行かずに、お子さんが働いていたそうで。

狭い坑道の中で滑車を運ぶ小型の『土佐馬』という馬は、炭鉱に入れられると死ぬまで働かされて、2〜3年の寿命でした。

総距離300キロメートルあるとされる地下のトンネルには、常に水が流されており、今は水没しています。

有毒なガスもあって、炭坑夫の方々はカナリアを連れて歩いたそうで🕊

鳥籠のカナリアは小さく、有毒なガスによる致死量が少ないので、カナリアが先に倒れれば、そこにはガスがある、ということです。

半裸体の炭坑夫さんが狭いトンネルで働いている白黒写真を見ても、厳しさが伝わってきますね、、、。

ガイドのおじいさんが、どんな経緯で世界遺産の炭鉱ガイドをされてらっしゃるのかまでは、伺えなかったのですが、あの方も知人や親戚が炭鉱で働かれていたのでしょう。

そのくらい、18〜20世紀の時代には、ご近所でも炭鉱がメインのお仕事でした。

ところで、今回は旦那さんが定年退職されたような、老夫妻とペアで見学に行ってきました。

炭鉱の見学は全て見れたのではなく、やはり倒壊の危険もあったのでしょう、、、建物の工事がされていて、室内には入れる所とそうでない場所がありました(今回入れた建物は、エレベーターの昇降機が置かれている部屋です)。

万田坑近辺は、ゴルフ場のある山と林に囲まれており、近くに川が流れる静かな場所です。

今までにも行こうと思えば行ける機会はいつでもあったのですが、今回、日記のネタにもなるという事で取材がてら見学しました。

世界遺産となった廃坑はこれだけでなく、数キロ近くに三池坑という廃坑もあります。

そちらは、平成9年と、わりと最近まで稼働していたそうでした。

工場排水が常に流されていて、万田坑が閉鎖されると、水の流れが集中して三池坑の流れがよくなったとか。

先にも書きましたが、地下270メートル、総距離300キロのトンネル内は、工場の設備を稼働させるために、常に水が流されていたんですね。

今回行ったのは秋も過ぎ去る涼しい季節でしたが、夏場行くとあの辺は林もあって、蚊が多そうです🦟〜

せいひつは障がい者手帳を使って100引きの320円でした。

モデルさんの撮影や、るろうに剣心の映画撮影にも使われる廃坑は、以前に夏の風物として肝試しイベントがあったような、、、。

ちょっと怖いけれど、異世界旅行にでも行った気分になれる、不思議な場所でオススメのスポットですよ。


今回も最後まで、お読みくださってありがとうございました!
また出かけて、色んなネタを集めていきたいと思います。
それではハッピーハロウィーンをご満喫ください🎃

 * * * * * 【おしまい】 * * * * *