若者に足りないのはワガママを言う能力、ジジババに足りないのは我慢
今の若者は聞き分けが良すぎる
それはいいことだろうか?
本来いいことであるが、今はその行為が裏目に出ている
日本に住んでいると、社会の全体最適のために個人はワガママを封じて、我慢することは美徳とされている
確かに全員が全員、全体最適のための行動をとっているならば、回り回ってその我慢はプラスになるであろう
しかし、実際はそんなの理想論である
自分さえ良ければ良いというマインドの人間が社会にいれば、その我慢はただただ搾取されるのである
そしてそれは現実世界で起こっている
社会の諸々のジジババ優遇制度である
例えば後期高齢者医療制度は、75歳以上は1割負担になる保険制度である
普通の感覚からすれば、とんでもなくおかしな制度だが、今のジジババたちはこの権利を死守したいようである
個人的に、75年も生きていたら、あとはとっととくたばるだけだとおもうが、どうやら今の老人は生き恥を晒してでも生にしがみつきたいようである
魂のレベルの低さに唖然とする他ない
70年の月日は魂を精錬させるのではなく、ただ単純に風化させて行くのだなというのがいやと言うほどわかる
老いはとりたくないものだなと、自らが老いてもないのにそのような悲壮感を感じさせられる
他にもおかしな制度は色々ある
公共交通機関のシルバーパス(無料)やら、公園での老人のゲートボールは許可して子供の球技を禁止すると言ったことや、博物館などの老人割引などである
電車の優先席なども老人が入ってるのは違和感しかない
あれらをみていると、毎回ヘイトしか溜まらない
実際あれに対して疑問を持っている若者は多いだろう
しかし、今までの教育で高齢者を敬えと言う洗脳を受けてきたために、違和感を感じていても、はっきりとそれは変だよと言えないのが普通の若者の感覚であろう
おじーちゃん、おばーちゃん、長生きしてね、なんてセリフを子供に言わせて育てる、卑怯な大人たちがいるからである
しかし、今や、あまりにも歪みは大きくなりすぎた
是正の時はもうすでに超えた
歪みは溜めすぎると壊れるのである
実際に、自分の高齢者に対する認識はもうすでに普通の人と比べれば壊れている(自分は至極当たり前の感性だと認識しているが、、、)
高齢者というものは高齢者というだけで、日本の敵であるという認識である
敵は滅ぼすか、従えるしかない
ワガママな敵に、若者が我慢を強いる必要はないのである
むしろ、我々のワガママをジジババ共に強いるくらいでちょうど良いのである
老い先短い命であるのならなおさら、後世のために有意義に使っていただかなくてはいけない
老人に自律を期待できないのは火を見るより明らかであるので、仕方ないが若者からアプローチする他ないだろう
もうそろそろ引導を渡す頃合いである
そう思うならワガママになろう
リアルな世界でジジババへのヘイトはもう隠さなくてもいい
ジジババを見かけたら汚物を見る目で舌打ちをするところからまずは始めたらよいのである
僕は許します
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