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プロフィール

【10秒Ver】

名前:れん
生年月日:1991年12月24日
出身:北海道札幌市
大学:横浜国立大学経営学部
職業:心理カウンセラー/バーテンダー/マーケター
性格:論理よりも感情重視。穏やか。女子会にいても害がないとよく言われます。
愛してるもの:ドラム、本、ラーメン、つけ麺、からあげ、ピザ、サンドイッチ、古着、お酒、歌

【キャリアver】

大学3年次、サマーインターン(某外資銀行&証券含む)に参加するも、「なんで社会のほんの一部の会社のインターン参加しただけのなんも社会のこと知らない状態で就活始めなきゃいけないんだろ」と一斉に始まる就活のタイミングの意味がよくわからなくなり、大学を休学。イベントプロデュース会社で長期インターンを行う。

社長含め4人だけの会社で働かせてもらい、社長の考えを聞いているうちに「あ、自分はフリーランス・起業家向きなんだな」と腑に落ち、就活しないことを決定。

家賃とか、食費とか、生きるために払わなきゃいけないお金に腹が立ってきたり、生きるためにしょうがなくイヤイヤ働く同級生や先輩を見たりしてるうちに、「自給自足のムラ」のような生活ができる場所、自給自足のスキルを身につければ自分らしく生きられる人が増えそうだよなーと考え、概念の近いシェアハウスをつくろうと決意。

とは言ってもシェアハウスのなんやかんやを何も知らなかったので、大学3年次の終わりから鎌倉のシェアハウスに移住。普通にシェアハウスライフを楽しむ。


大学4年次の8月から湘南でwebライティング、シェアハウス運営、Airbnb物件運営、イベントスペース運営、イベント企画運営のフリーランスとして活動開始。

(運営物件のBBQ時↓)


新卒フリーランスとして1年半活動した後、「地元で活動したい」と思い、札幌に戻りベンチャー企業に就職。シェアハウス事業のコミュニティマネージャーを中心に、不動産事業、インバウンド事業のマーケティング事業にも従事。地元北海道の面白さを差し置いて、マーケティングの面白さに目覚める。

(会社員としてだけど本当に楽しく関わらせてもらった↓)


マーケティングに専念するためベンチャー企業を退職し、日系シンガポール企業に就職。しようとするも「シンガポールの暑さに殺される」と身の危険を感じ、就職予定の会社からお仕事を受注しつつ、ToB, ToC向けのマーケティング支援事業を行うフリーランスとして再度独立。国内外放浪しながら仕事をする。


移動して、人と会って、を繰り返す中で「対面の1対1の繋がりを大事にする仕事がしたい」と思い、心理カウンセラー(カウンセリング、コーチング、コンサル)とバーテンダーを合わせた「聴くスペシャリスト」として活動開始。(セッション30人突破)

新卒フリーランス→ベンチャー就職→シンガポール就職未遂→再度フリーランスとして独立、の経験を活かしたマーケコンサルもたまにやってます。

お仕事の依頼はこちらからどうぞ

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職種(?)だけ見るとだいぶ右往左往してるけど「そこにいけば、これがあれば大丈夫と思える物質的・精神的な場所をつくって自分らしくイキイキと生きる人を増やす」というミッションが軸。

大学に進学する必要性がわからなかったり、一斉に始まる就活のタイミングに疑問を持ったり、就活をしないで新卒フリーランスになったり、海外就職(未遂)したり、またフリーランスになったり。

人生の節目節目で自分の心に正直に生きて、なんの確証もないまま友達や常識と違う方向に進み出して、めちゃくちゃ不安で手探りで進んで、そんな中でもちょっとずつ仲間ができてきた。

自分は運がいいのか、自分を信じる力が強かったのか、今まで生きてこれたけど、途中でダメになってしまう人だってたくさんいる。自分の正直な気持ちがわからなくなってる人だっている。

ちょっと前の自分がずっと欲しかった、正直な自分を絶対的に肯定して寄り添い続けてくれる存在

そんな存在になれるように「聴くスペシャリスト」として活動を続けてます。


【人生Ver】

興味があればどうぞ。
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北海道札幌市で生まれ、
「揚げ足を取らないの!」と頻繁に親に注意されながらスクスクと育つ。

小学6年生の時に父が事故で他界。
「人って本当に死ぬんだなぁ...」と深層意識に刻まれる。

よく目が小さい、細いとイジられるが、小さい頃は目がクリクリだった。
中学生頃から親に「なんでだろうねぇ...」と言われ始める。
大学のテニスサークルのシャカシャカした上着(アップと呼んでた)の肩の部分に一人一言ずつ何か刺繍するときには「寝てないです」と勝手に一言を刺繍されていた。

幼稚園の頃から剣道を始め、中学3年生まで続ける。剣道弐段所持。
よく声が小さいと言われるので「剣道やってました」と言うと大抵驚かれる。「どんな声出してたの?」と聞かれるけど、「声を出さない剣道部員」でした。

剣道を引退して、暇になったのでドラムを始める。同時期にカラオケにもハマり始める。
勉強とスポーツはそこそこできてたけど、「ドラムできる」「ちょっと歌がうまい」という、人と違う立ち位置を意識することで今までと違う層からモテることが判明。

自分の学力で無理せず入れるそこそこの進学高校に入学。軽音楽部がなかったから、クラスの自己紹介の時に「ドラムやってます。バンドやりたい人いたらやりましょう」と言うと、左前にギターやってるやつがいたり、隣のやつがギターとベースと歌がうまいやつが同中だったりで、その日のうちにバンド結成。バンドと女の子とスマブラ(ゲームキューブ)に明け暮れる。

進路を考え始める時期、大学に進学する意味が見出せずドラマーとして生きたいと思うようになる。も、親の大反対にあう。よくよく考えてみると、ドラマーとしても大学に行った方が道開けそうだなーと思い、浪人。

現役時代、全く勉強をしてなかったので学力の伸びが浪人生のそれではなく、現役と同じ伸び方をする。最初の方は全く点数が伸びず、泣きそうになりながら勉強をしていた。


なんとなく「起業家って響きかっこいいよなぁ」と思っていたので、経営学部を目指す。家計的に国立大学が良さげだったため、横浜国立大学か神戸大学に絞り、神戸より横浜の方が人生開けそうだよなー、と思い横国を第1志望にして、無事合格。

初めての一人暮らしを横浜で開始。ドラムとサークルと飲みと女の子とバイトと家系ラーメンに明け暮れるくだらない幸せな毎日を過ごす。


大学3年生の時に同級生が自殺をし、色々なことを考えました。

【キャリアVer】を経て、今に至る。

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