53. 死にかけた話/ Unas historia cercana a la muerte(3)
ジョニーは背泳ぎで、ほんの少しだけ顔を上げて、
背泳ぎでゆっくりとタクミが待っている防波堤まで泳いで行きました。
その時の僕には体力は残っていませんでした。
ただジョニーの体にしがみつきながら、高いに波を浴びながら、
ようやく防波堤に辿り着きました。
そのシーンは今でも鮮明に覚えています。
タクミは最後まで冗談だと思っていたようです。
でも、本当にジョニーがあの場にいてくれてよかった。
僕は多くの海水を飲み込んでいました。
足は痙攣したように、重く、思うように動きませんでした。
苦い思い出となってしまった。
夏の海水浴だったのですが、まだ続きがあります。
翌日のことです。
家に帰って、ふと夕方の県内ニュースを見ていました。
「遊泳禁止の浜で男性一人が溺死」
「あれ、これ昨日俺が溺れた場所じゃん・・・」
こんなことがあるんでしょうか。
僕が溺れた場所と全く同じ場所で、翌日男性が溺れて亡くなったそうです。
嘘のような話ですけど、本当でした。
改めてその男性のご冥福を心からお祈りします。
それ以来、僕は、海で泳ぐ時は必ず浮き輪を使うようにしています。
足がつかないところまで行くと、トラウマで怖くて仕方がないです。
ご先祖様や神様が僕の命を救ってくれたんだなとおも思いつつ、
とにかくジョニーには感謝しかないですね。
彼は、軟式テニスで3年間一緒で、ペアもよく組んでいました。
僕は前衛、彼は後衛、普段はおとなしいジョニーですが、
試合で気合いが入ってくると、熱く燃える男でした。
ちなみにタクミは、高一の3学期の終業式で、退部してしまいました。
勉強に集中したいと言っていましたが、
後から聞いた話だと、その時から薄毛が気になっていて、
テニス中のキャップと汗が原因だと思い、辞めてしまったそうです。
タクミも相当に面白い奴だったので、退部の話を聞いた時、
僕はマジギレしてしまい、人生で初めて人の胸ぐらを掴んでしまいました。
その後、僕はナーバスになって、終業式の体育館で一人号泣をしていたのです。
あの時は寂しかったなあ。。
そして、昨年2022年の5月には東京で14年ぶりに二人に再会しました。
全然に変わらない二人に安心しました。
ジョニーに関しては命の恩人なので、何かしてあげたいんですが、
命に対してのお返しって、何ができるんでしょうね?
ジョニーが死にそうな時には、僕の臓器を差し出す、
それくらいのことはやらないといけないでしょうね。
彼が闇金で1000万円の借金があれば、
やはりそれは助けてあげないとでしょう。
二人との再会は大いに盛り上がり、
わざわざ南米から来たん僕の飲み代まで奢ってくれました。
タクミは薬科大学を卒業し、薬剤師として働き、
ジョニーは病院の社会カウンセラーとして活躍していました。
僕らは大人になってしまった。
みなさん、どうか海では気をつけてくださいね。
大学で同じゼミだったシュータも東南アジアの海で
波にさらわれていなくなってしまいました。
みなさん、どうか海では気をつけてくださいね。
怖い怖い思いででしたが、
そんなこんなを乗り越えてこうせつは生かせてもらっています。
***
昨日JICAボランティアで学校教員のゆりさんから聞いた話ですが、
原稿用紙400字を書くのに大体15分かかるそうです。
そんなに内容にこだわらず、ただ文字を埋めていくだけでもそれだけかかるそうです。
僕は今20分で1500字を書けるようになったので、
ほぼ3倍のスピードで書き上げているということですね。
小学生の時から文章を書くのは、嫌いではなかったし、
他の人よりも早くて、量も書ける、そんな自覚はありました。
ただ、文才があるかというと、全然まだ自信はなくて、
もっと本を読んで勉強したいと思います。
僕のnoteを速読で全部読んでくれたゆりさんは、
こうちゃんは文才もあるよ!
なんて、いかにも学校の先生らしい褒め方をしてくれましたけど、
やはり人に褒めれれるのは嬉しいですね。
これからも無理せず、つらつら適当に書いていきたいと思います。
来週は4年ぶりにアルゼンチンのブエノスに遊びに行ってきます〜。
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