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【でも】の威力

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。


さっき人の話をきいていました。
私以外にもきいている人がいました。
お話されていた方が、「何かご意見や質問ありますか」と仰ったんです。
促しがあって、他の方がお話を始めました。

「○○はよかったです。でも…」
「○○は面白かったです。でも…」
「○○はその通りだと思います。でも…」

お話が全体的にこの構成でした。
とても印象に残りました。


全体的には「あなたのいう事はとってもいい。してきたことにも意味がある」、「他では別の情報が出ている」、「自分が調べたら話していた内容とは別の情報が出てきた」というものでした。


この場合、【でも】を使うことってそ珍しい話ではないですよね。
ただ、この【でも】が他のことを打ち消してしまっていたり、【でも】を使って誤解されたことはないでしょうか。


私たちは人と違うことを表現するときに、非定型の表現をつなぎにして自分の意見を言うときがあります。

今回も、最初に話してくれた人に対してプラスのフィードバックをして、そこに【でも】という非定型の表現を挟んでご自身の意見を述べる形をとっています。

この表現をしすぎると、プラスの評価ってとても薄れてしまって、【でも】の威力だけが残ってきたりすることはないでしょうか。

そもそも私たちは、否定されることに慣れていませんし、否定されることにしんどさを感じます。そういう意味では、否定の表現にはとても敏感ですよね。

私たちは【でも】と言われると結構ネガティブな反応をすることが多いのではないかと思います。
ただ一方で、結構【でも】を使っているかも…とも感じました。


先に相手の発信があり、その上で相手の発信と異なった自分の持っている情報、自分の意見、他の視点を伝えるときなど、あらゆる場面において、非定型の表現を使わずとも表現することは可能です。

ただし、時と場合によっては明確に否定をしなければならないときはあります。否定をしないといけない場面は必ず存在します。
そうしたときは、非定型を使っていくことは必要です。

私がお伝えしたいのは、「自分の意見も言いたい」、「自分の情報も提供したい」、「他の視点についても話したい」などという場合に、否定をわざわざしなくてもいいのかな…という意味のものになります。


【でも】は、発信する側にそのつもりがなくても、否定のエネルギーを相手に伝えることが多いです。
もし、伝えたいことが否定ではなくて他のところにあるのであれば、【でも】じゃなくてもいいかなと思っています。


代わりに何を使いましょうね…という話になってきますよね。
私だったらどうでしょう。
「ここからは私の意見です」や、「自分で調べたら△がでてきました」などという言い方をして、接続詞として使われている【でも】を取り払ったり、「これは私の視点だ」ということを明確に伝えることをしそうです。

本当に何が正解かはわからないですし、そもそも【でも】にあまり引っかからない人もいるかもしれません。

ただ今回の経験から、相手を否定することが第一の目的ではないはずなのに、【でも】を使ってしまうとそれだけで本来伝えたいことがかすんでしまって、勿体ないなぁと感じたわけです。


みなさんだったらどんな風に感じるでしょうか。



ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。




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