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耳注ぎ(みそぎ)

  変わった神主がいると聞いて、面白い記事になりそうだから取材に行ってこようと、軽い気持ちで御影神社を訪ねることにした。

 御影神社には事前に電話で取材の日時を伝えたが、「いつでも居ますから、好きな時に来てくれはったらよろしいですよ」と良い声で話す男性が言ったので、お言葉に甘えて、特集記事の原稿が終わった次の日の朝に御影神社に行くことにした。

 御影神社は皇居の鬼門を守る神社とされているそうで、小社だが早朝ということもあってか、清々しくてとても気持ちの良い神社だった。

 鳥居をくぐって参道をまっすぐ歩いて拝殿に向かうと、白い狩衣姿の男性が朗々と変わった節のある祝詞を奏上していた。その祝詞を聴いていると、懐かしいような、揺さぶられるような、不思議な感覚になったが、しばらく聴いていると変わった所作の柏手を何度もパンパンと打ち、その音で目が覚めたようになり、祝詞が終わった。

  座を立って拝殿を下がろうとした神主に、名刺を差し出しながら「先日お電話したフリーライターの松平玲子です」と挨拶すると、その神主はニコリと笑いながら「ああ、取材したいというお話の方でしたね。とりあえず社務所に入ってください、そこでお茶でも飲みながら話しましょうか。」と拝殿の手前にある社務所の客間に案内してくれた。

「改めまして、松平玲子と申します。本日は突然お邪魔致しまして。」

「いつでもどうぞと言うたのはこちらですので、御気遣いなく。私が宮司の幸徳友久です。」

 幸徳宮司は三十代か四十代くらいで体格が良く、ニコニコと笑顔で話してくれているが、目つきは鋭くて、黙っていると精悍な顔つきになり、神主というよりも武道家のようだ。

 伊勢丹で買った羊羹を幸徳宮司に差し出すと、「ありがとうございます。ではこれはお供えに上げさせて貰います。」と一礼してから受け取られた。

「では、今日はどのような取材ですか?」

「はい、率直に言いますと、凄い神主さんがいるとお聞きしまして、色々とお話をお聞きできればと思いまして。」

 幸徳宮司は笑いながら聞いていたが、少し居ずまいを正しながら、

「何も凄いことはあらへんのですが、変わった神主さんやとはよく言われます。それは私が神社神道の神職でありながら、教派神道の神職でもあって、一般的な神社では行われない古伝の神道を伝え、実践しているので、それを活用して普通の神社では受けないような相談や祈祷や占いなどもしていることが、多少広まっているのかも知れません。」

「神社神道と教派神道とは、どう違うのですか?」初めて聞く言葉に戸惑いながら尋ねると、幸徳宮司は頷きながら答えた。

「神社神道とは、日本の大半の神社で行われている神道です。明治以降にそれまでの古伝の神道を排して、国家主導で霊的なことにはあまり重きを置かず、最大公約数的な当たり障りのないものにした神道と言えると思います。現代ではほとんどの神社がこの流れに属しています。それに対し明治時代により宗教的な神道を行うために神社神道とは国家主導で分離して教派神道というものが成立しました。これは伝統的な古伝の神道いわゆる古神道だったり、神社神道とほぼ変わらないものもあったり、神懸かりなどで教祖が建てた教団を主体にしたものもあり、大きくは十三派の教団がその流れの主体となっています。神秘的なことをあまり言わず切り捨てた神社神道に対して、神秘的なものを多く残していると言えます。仏教でいうと神社神道が顕教で、教派神道が密教みたいなものですね。もちろん顕教も密教もどちらも同じ仏教というのと同じで、神社神道も教派神道もおなじ神道であることは間違いありませんから、あまり気にすることは無いのです。」

「なるほど。私は学生時代に剣道をやっていたのですが、祖父は古武術をやっていて、祖父が時々剣術を教えてくれたのですが、剣道と剣術の違いみたいなものですか?」

「そうですね。まさにその通りです。振るうのが竹刀か真剣かというような違いもあります。」

 私は数年前に亡くなった祖父を思い出しながら、幸徳宮司に話を聞き続けた。

「先ほど唱えておられた祝詞は、普通の神社で聴く祝詞とは少し違う感じがしましたが、あれはどのような祝詞なのですか?」

 幸徳宮司は腕組みをしている手を解きながら、話し出した。

「あの祝詞は古伝の伯家神道という流儀の祝詞です。詳しく言うと宮中の神道の祭儀を司っていた神祇伯家に伝わる祓詞などです。この御影神社は江戸時代半ばまでは吉田神道という流儀の神道だったのですが、幕末に当時の宮司に当たる人が神祇伯の白川伯王家の門人になって伯家神道の神社になったのです。それで神社の蔵にはまだその伯家神道の伝書などが残っています。そういう歴史があるので、今も伯家神道を伝える方に入門して、祝詞も含めた修行を行っているのです。」

「あの祝詞を聞いていると、なぜか懐かしいような、切ないような、ふわっとした不思議な感じになって、心が揺さぶられて感情が溢れて来そうになりました。宮司様がパンパンパンパンと柏手を打たれて、それでハッと意識を取り戻したような感じがしましたが、何か不思議な力があるように感じました」

 幸徳宮司は少し驚いたような表情をしたが、またすぐに笑顔に戻って、話を続けた。

「あの祝詞は、何通りかの奏上法があって、一つは普通に棒読みのように平坦に奏上する方法、もう一つは先ほどのように節のある特別な奏上法をする方法があり、先ほどのは後者の方です。これは一部の神道家などには非常に霊験のある祝詞だと言われているのですが、この節は宮中の内侍所という今でいう宮中三殿の賢所に当たる神殿で修行していた時の祝詞奏上の節だと私は聞いているのですが、これは聴いているだけで修行になるのです」

「聴いているだけで修行になるのですか?」私は驚きつつも話が面白くなってきたことに喜び出していた。

「はい、聴くだけで禊祓になります。禊(みそぎ)とは耳注ぎ(みみそそぎ)という神道の秘説があるのですが、耳から清らかな言霊や音霊を聴くことによって、聴いている人の魂や心が洗われ、祓い清められていくのです。ですから、松平さんが不思議な感じがしたというのは、祓われて禊がれていたのだと思います。」

「禊というのは水をかぶったり、滝に打たれたり、そういうのじゃ無いのですか?」

「確かにそれも禊なのですが、それは外清浄と言います。それに対し内清浄と呼ばれる心や魂の禊は必ずしも水を注がなくても良いのです。ちなみに禊という言葉は、水を注ぐので水注ぎ、禊という説が重視されていますが、霊的な禊は言霊や音霊を聴くことでも達成できるのです。そして、この耳注ぎを継続して熟練していくと、魂が祓い清められ、ついには神懸かりして神人合一に至るのです。そういうシステムが伯家神道にはまだ伝承されています。」

「神懸かりですか?」

「ええ、そういうことを言うから、変わった神主だと言われるのですが、そう言う神懸かりのシャーマン的な修行は古来から女性が得意としていたので、宮中でも内侍という女官がそれを修行していたのだと思います。」

「女性の方が向いているのですか?神道ってもっと男性主体のものだと思っていました。女性は生理などで穢れがあるからダメだとかよく聞きますが。」

「それは明治以降の神社神道が男性主体に変えてしまっただけで、本来は巫女が神様を降ろして神懸かりになるのですから、巫女の方が神職より立場は本来は上なのですよ。伊勢神宮には斎宮様という皇族の巫女姫がいたのは有名ですが、残念ながら今の神道では巫女は神職以下で、巫女舞などを除けば神職の補助や雑用係みたいな低い扱いを受けているのは、本来ならおかしいことなのです。」そういうと幸徳宮司はお茶を一口飲んだ。

 女性重視の神道観というのはあまり聞いたことがなく、新鮮に思えた。これは記事の書きようで、女性読者に非常に反響を持ってもらえる記事になるかもしれない。最初は歴史雑誌でと思っていたけれど、これは女性誌で記事にした方が良いかなと思いながら、ふと思いつきたことを提案してみた。

「宮司様、さっきの祝詞は私でも奏上したりする事は出来ますか?もし出来るならば祝詞奏上を体験してみたいのですが?」

 幸徳宮司は少し目を瞑り、10秒ほど黙って考えていたが、目を開いてこちらをじっと見て、頷きながら話だした。

「他の人は知りませんが、私は祝詞奏上は誰でも出来るし、自分で奏上したいと真摯に思うなら、祝詞奏上をお教えしても良いと思っているのです。それで、そういう熱心な人だけに、祝詞講座を時々行なっているのです。よろしければ、今度は来週の春分の日にここで行う予定になっているので、参加なさるならば良いですよ。参加者はいつも三十名前後ですが、ほとんどが女性の参加者です。」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いします。」私は深々と頭を下げて、参加をお願いした。

「わかりました。では、当日お待ちしております。今日はこの辺で、続きはまたその日に行ないましょう。」

「はい、今日はお忙しい中、ありがとうございました。」

 挨拶を終えて、社務所を出ようとすると、着物に白いエプロンをした女性が入ってきた。

「宮司の妻の瑠璃でございます。松平さん、よろしければ今から朝食を食べますが、ご一緒に如何ですか?」

 幸徳宮司からも「そうしていきなさい」と言われ、お断りしようとするタイミングを逃し、結局ありがたく宮司家族と一緒に朝食を頂くことになった。

 朝食は食事の前後に一度ずつ拍手をしただけで、あとは普通のどこの家でも行われるような家族の食事風景だった。幸徳宮司には一人息子の友晶くんという幼稚園児のお子さんがいて、幸徳宮司は友晶くんを溺愛しているようで、食事中もずっと友晶くんの世話を焼いていた。私は宮司の奥様の瑠璃さんのアンティーク着物話を興味深く聞き、気付いた時には今度瑠璃さんに着付けてもらってアンティーク着物を着て、瑠璃さんと銀座に行く約束までしてしまった。瑠璃さんは私とほぼ同世代の三十代の女性だけど中身はもっと若いというか幼い感じがした。神社の奥様になると少し浮世離れするのかも知れない。

 宮司夫妻に何度もお礼を言って、食事を頂いたあとは家に帰ったのだが、取材に言って何か記事のネタになりそうな面白い話を聞くだけのつもりが、気付いたら祝詞の奏上作法を教わることになったが、これも伯家神道の祝詞の持つ力に私が魅了されてしまったのかも知れない。春分の日が楽しみだ。



 

 

 


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