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張霊(はらひ)

 皇居の東北を守るという御影神社の幸徳宮司を訪ねてから一週間後、宮司夫人の瑠璃さんにアンティーク着物を着せてもらって、銀座でお茶をしたり買い物したりして過ごした。彼女は神職資格は持っていないが、巫女舞は出来るので、神社の大祭では巫女舞を御奉納しているというが、実際の瑠璃夫人は巫女というよりもアニメオタクだった。結婚前はアニメーターをしていたそうで、その才能を生かして神社の看板やお守りや御朱印などをデザインしているそうだ。

「主人はそういう事には無頓着で、どうでもいいというのですよ」

 瑠璃夫人は納得いかないという感じで顔を膨らましながら、クリームソーダを飲んでいる。

「そういう昔気質の宮司様が少なくなって、今は派手な御朱印や宣伝ばかりしている神社が多いですよね。私も以前、関わっている雑誌で御朱印特集の記事を書きましたが、大反響でしたよ。」

 御朱印の記事を書いた時は、自分で行けない所は郵送で送ってもらったけれど、催促してもなかなか送ってくれないおじいちゃん宮司がいた事を思い出していた。

「松平さん、今度の土曜日にうちで祝詞の御修行をなさるんですってね。」

 「はい、お邪魔します。白衣と白袴と白足袋を買いました。今から緊張してます。」

「主人はああ見えて、初心者には優しく丁寧だそうですから大丈夫ですよ」瑠璃夫人はそういいながら、着物の帯からアイフォンを取り出して、時間を確認した。

「あ!いけない友晶を迎えに行かないと!じゃあ松平さん、また土曜日に!」

 慌てて支払いを済ませると、駅へと駆け出して行った瑠璃夫人の姿は銀座の街を泳ぐ金魚のようだった。



 土曜日の早朝に御影神社の鳥居をくぐると、拝殿から幸徳宮司の祝詞が聴こえてきた。手水舎で手と口を清め、参道を早歩きで拝殿に向かっていると、瑠璃夫人が「おはようございます!」と社務所から出て来てくれた。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」

「松平さん、とりあえず社務所で着替えて、拝殿に来るように宮司が言ってましたので、どうぞ」と社務所の和室に案内された。瑠璃夫人は神社の中では主人と言わず宮司と呼ぶが、これは公私混同しないためだそうだ。

 

 和室で白衣と白袴に着替えて、髪も後ろで一つに束ねて、社務所を出て拝殿に歩いて行こうとすると、「頑張ってね!」と瑠璃夫人は送り出してくれて、授与所に戻って行った。

 拝殿に上がると、幸徳宮司がちょうど祝詞を終える所だった。

 こないだの祓の祝詞ではなく、毎朝ご神前にお供えものをする日供(にっく)の祝詞と後で教えて頂いたが、色んな祝詞があるものだと思った。

「松平さん、ようお越しです。では、早速ですが、神拝作法の基礎からお教えしましょうか」

「よろしくお願いします!」

 神社で神職さんが行う作法というのを教わるのは初めてだったが、一番困ったのは、左右が反対だった事だ。つまり神様の方を向いて自分を基準にした時に左になる方を右、自分の右側を左と反対になる。これは左右の基準が自分ではなく神様であるので、神様から見た左と右が基準になる。しかし、自分の左右は変わらないので、その切替が難しい。

 歩き出す時は神様から遠い側つまり下位の足から歩き、戻る時は神様に近い側つまり上位から戻る。これを「進下退上(しんげたいじょう)」と呼ぶそうだ。そして神様おられる真正面の位置を正中(せいちゅう)と呼ぶけれど、その正中では必ず左足から進み、右足から退がる。これを「左進右退(さしんうたい)」と呼ぶと教わったが、頭ではわかってもなかなか覚えられない。

 さらにご神前で座るときも、正中では「起右座左(きゆうざさ)」これはご神前で起つ時は右の足から立ち、座る時は左の足から座る事。それ以外の場所では「起下座上(きげざじょう)」で、下位の足から立って、上位の足から座るという事。こういうことは頭でわかっても身体が覚えてくれるまで反復練習するしかないので、黙々と繰り返していく。

 「きゆうザサー!と言って擬音みたいに覚えるとたぶん覚えやすいやろ」

 幸徳宮司は基本的には冗談ばかり言って、教える合間もいつも笑いながら話しかけてくるので、緊張は解れるけれど、これで良いのかなと思うほど、笑いの絶えない指導スタイルのようだ。

 「ご神前に向かったら、後ろから斬り殺されても気づかんくらいに全身全霊で祈るけれど、それ以外の時は身体の力を抜いて、気楽に神さんに全部任せて、一生懸命やったらそれでええんや。間違えても神さんは怒らないから、大丈夫。慣れたら良いだけやから。」

 少しずつ動きがさまになってくると、次に拝礼の作法だった。

 「神様に拝礼する時の作法は、二つだけ覚えてください。一つは拝(はい)、これは90度に頭を下げるんやが、首は曲げずに腰から上半身を曲げます。立ってる時は少し膝の裏が痛くなって、目線が地面と平行になったらちゃんと出来ています。もう一つは揖(ゆう)。これは45度と15度の違いがあって、45度は深揖(しんゆう)、15度は小揖(しょうゆう)と言います。これも首は曲げずに腰から綺麗に曲げます。ああ、そうそう、やはり女性は身体が柔らかいから綺麗に出来ますな。拝だと頭を下げすぎるくらいなので、地面と頭が平行になることを意識してください。」

 幸徳宮司は時々関西弁を交えながら、的確に拝礼の作法を教えてくださり、これはすぐに覚えられた。

「これくらいの作法の基本がわかったら、あとは修行をしながら必要なことを教えて行くことにします。それでは最初の祝詞、三種太祓(みくさのおほはらひ)をお伝えします。」

 幸徳宮司は拝殿の左方(実際には向かって右側)に正座し、私は右方(実際には向かって左側)に正座して、2mほど離れて向かい合っている。

 幸徳宮司は、左右の指を交互に組んで見せながら、説明を始めた。

「これは十宝印(じっぽういん)と呼ぶ契(ちぎり)です。神道では印をちぎりと呼んでいます。これはこの印を結ぶと神様との契りつまり約束で、神様の力を頂くことができると伝えられています。この印は十種神宝(とくさのかむたから)という死んでる人も生き返るという神具を表しているようですが、左手を上に交互に外に指を組んで親指を立て並べます。はい、そうです。その時に指の隙間を空けないように。この印の中に自分の魂をこめる為に息を吹き込みます。これで印に魂がこもります。」

 説明の通りに契を組み、宮司の次の言葉を待つ。

「三種太祓は文字通り三種の祓詞で出来ています。伯家神道では実は二つ目の祓詞を抜いているのですが、今日は本来の形の三つを唱える卜部(うらべ)吉田神道の伝をお伝えします。」

 幸徳宮司の顔が急に真剣になり、眼光が鋭くなる。目から光が放射されるようだ。私は黙ってうなづく。

「まず天津祓(あまつはらひ)これはトホカミエミタメと唱えます。これは天の五行を祓いますが天から光が降ってくるとイメージすると良いでしょう。」

「トーホーカーミーエーミーターメー」少し恥ずかしいが、天からの光をイメージして声を振り絞って唱えてみた。唱えたあとは何か清々しい感じがする。

「うまい、もうそのままで良いですよ。ちゃんとイメージも出来ているようだし」

「わかるのですか?」不思議に思ってつい聞いてしまった。

「何となくですけどね、一瞬光が見えました」幸徳宮司はニコリと笑って言ったが、本当かなと少し思うのは私が世間の垢が染み付いているのか。

「疑っても良いですよ、神道の世界は盲信はあかんのです。ちゃんと理解して納得して明信にならな先へは進めません」

「そういうものですか?」

「そうです、盲信したらろくなことになりません。常に常識で自分自身の心を審神(さには)して、冷静に自分を見つめながら、神様の御心に沿うように調整して行くのです。」

 幸徳宮司は笑顔を見せながらも、次第に目を閉じていく。私も目を閉じて次の言葉を待つことにした。

「次が国津祓(くにつはらひ)これはカンゴンシンソンリコンダケンと唱えます。これは易の八卦、つまり森羅万象を八つに分けたものですが、その中でも八方位に関わってきます。これを唱える時は、自分の前が南で後ろが北だと思って、北から時計回りに自分の周囲と地球を光がグルっと一周するイメージで唱えてください。」

 私は光が自分の周囲を時計回りに一周し、同時に地球を光が時計回りに一周する姿をイメージしながら唱えてみた。

「カンーゴンーシンーソンーリコーンダーケーン」

 自分の周囲の光と地球の周囲の光がリンクして同時に一周する姿が見えたような気がする。急に自分の周りが光り輝いたようになったように感じる。

「ほう。才能やろか。綺麗に光が出てるわ」

 幸徳宮司は、目を見開いて笑い、私はその笑い声を合図に目を開いた。

「最後に蒼生祓(あをひとくさのはらひ)や。ハラヒタマヒキヨメテタマフと唱える。蒼生というのは人間のことです。全ての人間を祓い清めるのですね。またこのキヨメ「テ」タマフというところがポイントです。細かい文法的なものは置いておいて、この「テ」という一文字が入る事で、祓ってくださいという意味ではなく、すでに祓われたのだという意味になると口伝されていますので、光で全てが包まれて清明に光り輝いているとイメージしてください。そして、この三種の祓が全て行われて、天と地と人という三つが全て祓われるという宇宙的な祓をした事になります。ではやってみてください。」

 はいと返事して、私は目をつぶって、全てが光に包まれている宇宙と地球と世界中の人々が光に包まれている様子をイメージした。

「はらひーたまひーきよめてたまふー」

 唱え終わった瞬間に自分が光そのものになったような感覚が全身を包み込み、自分から宇宙全体に光を放ったように感じて、とろけるような快感につ包まれた。

「うん、ちゃんと出来てる。目を開けてごらん」

 幸徳宮司の言葉でハッと我に帰り、ゆっくりと目を開いたら、不思議と周囲全てが愛おしく、心の底から嬉しいような大声で喜びを叫びたいような気持ちになっていた。

 「それが祓の本当の意味である張霊(はらひ)や、霊(ひ)とは日であり火である、つまり光やな。その光が自分の中で張ちきれんばかりに充実して光を放っている。これが祝詞でいう高天原に神つまりますで、これが祓の本当の意味であり姿や。これが全ての祓の基本となるので、よく覚えておきなさい」

 自分のこの不思議な感覚が「ハラヒ」なのかと驚きながら、本当の神道とは凄いものなのだと学べた事を感謝していた。 

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