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『コミュ力を上げるには、相手の話をちゃんと聞こう!』の落とし穴

コミュニケーション力はどうやってとればいいのか。
その一つの解決法として、

「人の話をちゃんと聞こう!」

という解決法がある。

有名な自己啓発本、デール・カーネギーさんの『人を動かす』という本でもこれでもかというほど、『他人の話をちゃんと聞く』というソリューションを紹介している。


人間ってのは、だれもが自分に一番関心をもっているのだから、みずからが率先して話すのではなく、相手の話をちゃんと聞いた方が気分が良くなる。
だから話を聞く側に立つと、コミュニケーションは取りやすくなるし、仲良くなりやすいよね、という話だ。

僕はコミュニケーション能力が著しく低い。
だから、こういった本で話を聞く大切さってのは嫌と言うほど知っていたわけです。

一応実践もしていたつもりです。
だれかと話をする時は、自分の話をするのではなく(そもそも自分の話をするのが得意ではないが…)相手の話をちゃんと聞いていたつもりです。

自分の話はなるべくしないで、相手の話をちゃんと聞いて、適度な相槌をうち、場合場合によって質問もする。
心がけていたつもりです。人を動かしたいわけではないが、コミュ力をあげたかったんでね。

でも、一向にコミュ力は上がらなかった。
話をちゃんと聞いていても、コミュ力はほとんど現状維持でしかなかったんですよね。

不思議だな、と思いました。
ちゃんと相手の話きいているんだけどな、と不思議でしょうがありませんでした。

それで、最近この理由がわかってきたんですよね。
というか、僕がこのデール・カーネギーさん等がいう、『人の話をちゃんと聞こう!』を変な解釈として捉えていたんですよ。

僕は人の話をちゃんと聞くというのは、

相手が気持ちよく話してくれるのが一番。
だから、仮に自分がわからない話をされても、そこであまり質問なんてしてはいけない。
なぜなら、それは相手の話を遮ってしまう行為だから。
何よりもまず、相手に気持ちよくなってくれるのが先決だ!

なんて感じでね、間違って解釈していたんですよね。

上記の何が間違いか。
二行目ですよね。

『わからない話をされても、あまり質問をしてはいけない』

ここですよね。ここが間違っていた部分です。

僕、わからない話をされても、話を遮ってはいけないと思って質問していなかったんですよ。
だから、相手の話をほとんど理解せずに、会話が終わるなんてのはザラにあった。

これがよくなかったんですよね。
今思えば、とんでもない解釈の仕方です。

『相手の話をちゃんと聞こう!』

には、

『相手の話を理解するよう努めて、ちゃんと聞こう!』

この『理解するよう努めて』の部分が何故か僕の中では欠落していたんですよね。
だから、一向にコミュ力は上がらなかった。

いくら相槌をタイミングよくしても、リアクションをしっかりとっても、なぜか会話は盛り上がらなかった。

そりゃそうです。
相手の話を聞いているつもりでも、理解していなかったから。

理解せずに、なんとなく話を聞いている。
そりゃね、相手もつまらないですよ。

「…こいつ、俺の話ちゃんと聞いてないな…」

とバレていたんだろうな、と思うんです。
そりゃ、バレます。言ってしまえば知ったかぶりをして聞いていたということですから。

でね、最近それでは良くないと、わからない話はわからないと言うようにしたんですよ。
自分のためにね。自分の知識を増やしたいな、という願望のためにね。

すると不思議なもんで、なぜかコミュニケーション、取れるようになってきたんです。
話を遮って質問しているのにね。相手の話、遮っているのにね。

あぁ、そうゆうことかと腑に落ちました。
相手の話はちゃんと《理解するよう努めて》効かないと駄目だな、と腑に落ちましたよ。

…そうか、結局僕は、デール・カーネギーさんの話もちゃんと聞いていなかったということか…。

人の話しは、ちゃんと聞こう。
そう心に誓うことにします。

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