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輝く命

あの日は、東京の校舎にいた。

午後にイベントがあったため、
子どもたちは早帰りの日で、
さよならをして5分ほどで地震がおきた。

下校した子どもたちが心配で、
慌てて駅へ向かった。

電車は止まっていて、震えている生徒をみつけた。

教員総出でなんとか子どもたち全員を校舎に呼び戻して、
状況を整理すると想像を絶することになっていた。

かなり遠方から通っている子が多いため、
交通網が回復しない限り帰宅困難。
早々に宿泊体制を整えることとなった。

保護者が迎えにくるまで、責任を持って守る。

保護者の協力がありがたかった。
車を出せる保護者が、
相乗りで帰宅してくれたり、
布団等、必要なものを持ってきてくれたり
炊き出しをしてくれたり、

自然の脅威とともに、人間のあたたかさを感じた日でもあった。

私は少しでも子どもたちの気を紛らわせようと、
すもうをとって遊んでいたら、

「こんなときに何やってるんですか!」

と、私が担任していた子に怒られた。

当時、不登校だった子が私とのすもうやレスリングを楽しみに通えるようになったこともあり、日常を取り戻そうとしてのことだったのだが、必要な子がいれば迷惑な子もいる。

浅はかだった・・・。反省。
今だったら、もう少し良い方法を思いつく。

でも、全教員がそれぞれ子どもたちのためにできることを精一杯する良いチームだった。それがチームの力だと思う。

当時、ニュースを観て涙を流すことはあったが、
「大きな被害」や「死」は、幸いなことに身近な人には起きなかった。
私の中に大きな変化はないまま、次第に日常を取り戻していった。

しかし、昨年、佐藤敏郎さんから直接お話を聞くことで、自分事に変わった。ギアが上がった。

最近、小学時代の同級生が亡くなった。

近しい人の死は、祖父母くらいしか経験がなかった。
もうそう長くはないと心の準備ができる死。

しかし、友人は、職場で倒れてそのまま帰らぬ人となった。誰も予期せぬ死。

先天性の脳幹奇形があったようで、これまで生きていたのも奇跡だったようだ。

当たり前だけど、人はいつ死ぬかわからない。

「まあ、死ぬまでずっとしあわせだったんじゃないか。ずっと笑ってたし。」

お通夜での旦那さんの言葉。

いつ死んだって、やり残したことがあったって、
少なくとも歩んできた人生はしあわせだったと言い切りたい。

そう生きようと思った。
子どもたちの命をもっともっと輝かせようと思った。

輝く命を大切に、
悔いの残らない判断を心掛け、
その判断に意味のもたせられる人生を送ろうと思う。

大川小の命は救えた命。
http://311chiisanainochi.org/

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