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桃太郎から考える「鬼は外」というソリューション

昔、新聞広告でこんなのが話題になった。
「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」
鬼目線では違った物語がある。

ミステリと言う勿れ久能整は、それを真実と呼ぶ。
真実を理解しようとしてくれる人がひとりでも傍にいるだけでどれだけ救われるか。
真実に寄り添うって大事だ。

「鬼は外!」とは便利な言葉だ。しかし、時に真実を隠してしまう。

「ここでの鬼≒厄」として、鬼という抽象的な言葉のままでは災いに備えることはできない。

現実問題として防ぎたいものがあるならば願掛けだけでなく具体的にイメージして対処すべきだし、いい鬼だっているのに鬼をまとめて悪いって決めつける俺でありたくはない。

なんて思いながらも、節分には豆をまく。
(正確には俺は投げておらず、投げつけられている)

文化は大切にしたいし、子どもが楽しんでいるからね。
これで災いを避けられるとしたらありがたい。

そんなところから、桃太郎の物語を、コナン目線(事実から事件の真相を探る)、久能整目線(鬼の真実を想像する)で考えて遊ぶことにした。

この授業をつくったら、街中に鬼瓦が結構あることに気づく。

東京藝術大学にて。建物を見上げたら見守られていた。
用賀プロムナード(いらか道にて。ゴミ捨て場にも設置されていた。ルール守ろうって思うかも。頭いいなあ。

鬼瓦さん、人間の力になってくれてありがとう。そして、ごめんなさい。

以下、子どもたちの言葉。

「殴って倒すのが一番はやい」
「桃太郎のやりかたでは争いの無限ループになる」
「暴力で解決して、桃太郎がいなくなったらどうやって戦うの?」
「宝があるから争いになる。桃太郎は鬼ヶ島にいかなくていい」
「なんで桃太郎は鬼を倒すのだろう?」
「鬼が村人を襲った理由は?」
「力があることを証明するだけでいい。争う必要はない」
「自分が桃太郎だったら鬼ごっこをして仲良くなる」
「鬼と人間が一緒に住めばいい」
「言葉では伝わらないなら、絵とか動作で伝えたらいい」
「対話できる相手でないから、鬼を研究したらいい」
「鬼のメリットを考える」
「宝を全部持ち帰らないで、分かち合えばいい」
「本当か嘘かでは判断できないこともたくさんある」

どのクラスでも桃太郎のやりかたは正しいのかが話題となった。

きっと君たちなら世界平和を実現できる。

授業終わりに、子どもたちはこんなことも言っていた。

「普通に読むと普通なのに、考えて読むと不思議に思う」
「考えると見え方が変わる」
「考えれば考えるほどわからなくなる」

それを成長と呼ぶんだよ。

ちなみに、桃太郎のオリジナルストーリーを考えて遊んだクラスでは、まさかの大谷翔平の登場!

たしかに大谷翔平なら武力で鬼にも勝てそうだ。
それに、平和的な解決もできる気がする。


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