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神様が必要な理由

ある日、突然、「死ぬって何だろう?」と、考えて怖くて仕方がなくなって夜寝れずに親の元に行った思い出がある人は多いと思う。
「僕は死ぬのかもしれない」とか「死んだらどうなるんだろう」とか不安で不安で仕方ない。
けど、死ぬことを考えるのは生きることは何かと考えるのと同じことなので、おそらくそのタイミングで自分を考えるスタートラインに立つ。

だから皆、そこから「自分が生きている意味は何なんだろう?」と、考える。

ただ、誤解を恐れずに言えば、人間が存在していることに本来理由はなく、宇宙なども含む大きな自然の中の”状態”だ。
自然の中での自分の状態というのは相対的な事でしかないので、自分がどういう”状態”かを知るには、自然側をしっかり理解しなければならない。

しかしながら世の中の法則は単純そうに見えて、人間が理解するのは難しい現象にあふれている。
「太陽光の可視光線の波長違いがチリに当たって青空や夕焼けを作る」とか言われても、意味わからないけど、自然はとはそういう物。
電磁波の波長によりDNAのらせん構造が破壊される事があるから放射能は危ない。と言っても、「危ないのがわかればいい」という人も多い。

自然の物事は理解するのがとても難しい(と思い込んでいる人も多い)から、自然の法則から相対的に自分を定義できる人は非常に少ない。

けど、自分が生きている理由は、自分が死ぬ理由と同じだから、理由がわからないと不安で不安で仕方がない。
そして、「自分探しの旅」に出るが、「自分がちっぽけ」だと思うのが限界で生きている理由は解けない。
(自分がちっぽけだと思うだけで、自然の中の自分が確認できているので十分いいことではある)

ここで、多くの人の助けになるのが神や仏だ。

神と繋がっている私は尊い。
仏は私の中にも宿っている。

そう考えれば自然法則を理解しなくても、自分が尊いと定義できるから、不安は消えて「自分の生きている意味も」理解できる。

人生とは決める事だと思ってる。
好きな相手でも「好きだ」と、決めた瞬間に好きになると思う。
ストレスがたまるとZOZOやAmazonで買い物をする事を決めてボタンを押す。
こんまりは片付けを決めさせてくれる。

男たち(個人的な感覚かも)の最大の疑問である”なぜ、女性は買い物はする時に意見は求めるけど、決めたら決めたで、「決めて欲しいわけじゃないんだよね〜」というのか?”という疑問も、決める事が楽しみだと思えば理解ができる。
勝手に決める男は頼りありそうで実はモテない。

神が決めた自分。で、いいと「決める」事が心の安定には重要。

しかし、知識が多く入ってくると「神が言ったからと言って勝手に決めるな」ということになるが、これはこれで同じ構図。
この場合「自分は自分で定義するから勝手に決めて欲しくない」という事だ。
この場合は自然法則をしっかり勉強しなければ自分探しは完結しない。

だから、少なくとも人が拠り所にしている神をないがしろにして「神は死んだ」と、言ってはいけない。
それは尊厳を傷つける最も嫌悪される行為になるからだ。各々の中にある神仏も認めないと社会は容易に壊れる。

だから、終戦後GHQも「天皇陛下」だけは、排除しなかった。
ただし、人間宣言はしたので、心の拠り所としての完璧さが崩れてしまい、日本は物質的欲求に移行し一億総中流という宗教に移行した。
「マイホーム、テレビ、冷蔵庫、洗濯機」
それをみんなが手に入れたのが平成だ。

一億総中流の物質が全て手に入った結果、何をしていいのかわからなくなってしまったから成長が鈍化していて、今の若者は自分探しを宗教以外に求めることになる。
しかし、今は情報が溢れてる。拠り所にする何かは多様化しつつデジタルに移行して、アイドルやスポーツ選手やお笑い芸人を応援する。
ただ、応援する対象は人間なので神にはならないから、絶対的な自分の定義にはならない。
未だ金銭がそれに、なり得ている人も多く、ビジネス界隈では聖書のようなバイブルを作るのに盛んだ。

神を持てない人間に与えられた、自分を定義する手段は自然法則を理解するか、自然法則に寄り添って共に生きていくこと。
だから、リカレント教育やオーガニック食が重要だという。
瞑想により自分自身を自然の方向に戻す行為がマインドフルネス。

僕らは”今を生きている状態”なのだから、次に繋げることで新しい状態に何かを残すことくらいしかできない。
けど、今を上手く生きるために、未だ多くの人に神は必要だ。

未だ何者でもない僕は、いつも何者でもなく、いつか何者かにはならない。

ただ、今を全うすることで生きている状態を楽しむ。

サポートいただけたら嬉しい限りです。