見出し画像

【僕もあきらめない】

小学3年生のうちの息子には知的障害がある。
普段は比較的大人しい息子もごくたまに酷い癇癪を起こすことがある。
何かの拍子にスイッチが入ってしまうと、暴れたり自傷行為をすることがある。
自分の頭を強く叩いたり、激しく壁に身体をぶつけたりして自らを執拗に傷つける。その度僕や奥さんが必死で息子を止める。

つい先日、奥さんと息子の二人きりの時に息子が癇癪を起した。
泣きわめいて自分の頭を叩いたり、止めようとした奥さんを蹴飛ばしたりとなかなかの暴れっぷりだったようで、奥さんはかなり憔悴していた。

もちろんずっと暴れているわけではなく、時間が経てば次第に落ち着きを取り戻すけど、それでも自傷行為がある以上息子を止めなければならない。

年々、力が強くなってきている息子に奥さんは不安を覚えていた。
その日は特に大変だったようで「将来が怖い」とまで言っていた。
奥さん自身が息子に怪我をさせられることに対する恐怖もあると思うが、それよりも息子の自傷行為を止められない恐怖の方が強いと思う。

この先息子は成長していきどんどんと力が強くなっていく。その反面僕らは歳を取ってどんどんと力が弱くなっていく。
僕はまだまだ息子に力で負けることはないけど、それでも数年先は分からない。

息子は本当に可愛い。叶うならずっと側で見守っていたいと思っている。それは奥さんは同じだ。
でも、将来それが難しくなる可能性は否定できない。
すぐにどうにかしなければいけない事ではないが、この日の出来事は僕ら夫婦にとって重要な問題として残った。


そんな時だった。
ある病院から入居の問い合わせがあった。
入居希望者は70代後半の男性で呼吸器系の疾患で入院しているとのこと。
どうやら退院後在宅酸素を導入する必要があり、足腰も弱りつつあるらしい。
現在は妻と二人暮らしだが、ご本人が自宅での生活を不安に思い施設入居を希望されているとのことだった。

程なくして男性の奥様が施設に見学に来られた。
奥様は男性よりも少し若くとてもしっかりされている方だった。
館内を案内しサービスなどの説明を一通り行った。
奥様はうちの施設を気に入ってくれたようで、「こちらに決めたい」と言ってくれた。

お話を伺う中で念のため入居先を探されている理由を確認した。
本人希望と言っていても実はご家族が本人の意向を無視して決めているケースがあるからだ。
その場合、入居後にやはり帰宅願望が強くなり本人が不穏になることがある。
その辺りを改めて確認しておこうと思った。

「主人が自宅では嫌だと言うんです」

奥さんは少し悲しそうな表情で話された。

「私は退院後も自宅で主人と暮らすつもりでした。主人の介護もするつもりでした。でも私にね、負担をかけたくないって言うんです。いくら私が大丈夫と言ってもこれ以上苦労はかけられないって言うんです。きっと私が頼りないんだと思います」

そう言って奥さんは無理に笑顔を作られた。
僕は「そうですか…」としか言えなかった。
結局奥さんは入居申込書に記入をして帰られた。

後日、旦那さんと面談をするために入院先の病院を訪れた。
この面談で特に問題なければ正式に入居が決まる。

旦那さんは鼻に酸素チューブをつけて歩行器を押しながらゆっくりと歩かれていた。
横には看護師さんがついており、確かに歩行は安定しているようには見えなかった。

「お待たせしてすみません。ゆっくりしか歩けなくて」

そう言って僕の前に座る旦那さんの呼吸は少し荒かった。
体調面や今後どのような生活をしたいか、うちの施設の特徴やコロナ禍におけるルールなどを説明させてもらった。
旦那さんは特に異を唱えることなく、ただ頷きながら僕の話を聞いていた。
話が終盤に差し掛かる頃、奥様と同じ質問をさせてもらった。

「今回、ご自宅ではなく施設を希望されていますが、その理由をお聞かせ願えますか?」

「家内に負担をかけたくないんです」

旦那さんは少し悲しそうな表情になりこう話された。

「私は仕事ばかりだったので家の事はずっと家内に任せていたんです。私の親のことや子供の事で苦労かけたと思います。やっと肩の荷が降りたと思ったら今度は私の世話をしないといけない。それはさせたくないと思いました。まぁ今生の別れではありません。すぐに会える距離ですから」

そう言って旦那さんは無理に笑顔を作られた。

身体的にも支援的にも問題はなく、ご本人も入居に納得されているためこのまま入居を進めても支障は全くなかった。
でも僕の中で何かが引っかかっていた。このままうちに入居させてはいけないような気がした。

きっとこのご夫婦は本当は自宅で暮らしたいのだと思った。でもそれを”諦めて”入居先を探しているように思えた。

きっと息子のことがあったからだと思うけど、旦那さんと奥さんが自宅で暮らすことを諦めさせたくない、そう思ってしまった。

「あの…奥様と先日お話させていただきましたが、ご自宅で一緒に生活をされることを望んでおられるようでした。差し出がましいようですが、今の旦那さんの状態であれば介護サービスなどを使えば十分自宅で奥様と生活できるように思えます」

入居先の職員がこんな発言をするもんだから、担当の看護師さんにはコイツ何言ってんだという顔をされた。旦那さんも驚いた表情をされていた。

「もう一回ご家族で検討されて、それでも入居希望ということであればお引き受けしたいと思います」

担当の看護師さんは全然納得されていない顔だったが、結局『入居保留』にさせてもらい病院を後にした。
旦那さんはびっくりされてはいたが、特に不満はない様子だった。

施設に戻ってすぐに奥様に連絡を入れた。
事情を話しもう一度ご検討して欲しいと伝えた。
奥様は少し驚かれていたが「分かりました」と了承してくれた。


その後、ご夫婦から連絡はない。
違うところに入居されたのかもしれないし、ご自宅に帰られたのかもしれない。
どうされたかは分からないが、お二人が後悔しない答えになっていると良いなと心から思う。

僕のやったことはもしかすると余計な事で大きなお世話だったのかもしれない。単なる僕のエゴなのかもしれない。
ただあの時の旦那さんや奥様は入居に納得はされていなかったように思える。いろんなことを諦めていたように思えた。

決して入居という選択が悪いことだとは思っていない。むしろその選択が1番良いケースはいくらだってある。
けれど今回は違う気がした。諦めたまま入居を選択されているように感じた。
どの選択をしたとしても”あきらめないで”欲しいと、自分にも言い聞かせるように僕は思った。


このご夫婦のことをうちの奥さんに話した。
そしてこの先どうなるか分からないけど、息子のことを僕は絶対にあきらめない、そう伝えた。
すると奥さんは、「いや諦めた事なんてないわ!!」とそう言って僕の肩を何度もパンチしてきた。

怒りながら僕の肩をパンチする奥さん。
でもどこか笑っているように見えた、気がした。




琲音さん。
お気持ち分かります、なんて簡単には言えることではないと思います。
それでも琲音さんのゆうさんに対する強く熱い気持ちはとても伝わってきました。胸が熱くなりました。

僕も息子のことはあきらめません。
琲音さんの記事を読んでより強くそう思いました。

心に残る記事を書いてくださり本当にありがとうございました。


コッシー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?