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専門用語を当たり前に使っていないか

サカドウ。ジュウセツ。コウシュク。チャッカ。
何のことかわかるでしょうか?
これは最近、私が耳にして、何のことかわからなかった言葉です。

答えは、以下のとおりです。
茶華道。重説(重要事項説明の略)。拘縮(寝たきりなどで筋肉などが伸縮性を失って固くなること)。着荷(荷が到着すること。着火ではありません)。
漢字にしてみると、ある程度理解できるのではないでしょうか。専門用語を使ってしまっているかどうかは、「カタカナにしても相手に伝わるか」が1つの判断基準ではないかと思いました。

これらの言葉を話した方々の話しぶりで共通したのは、「相手に伝わっていないと全く思っていない」雰囲気でした。それだけ、彼ら、彼女らのコミュニティでは自然に問題なく使用している言葉なのだろうと思いました。

私の最近の発見は、そういった言葉を耳にしたときに私の気持ちです。正直なところ、少し疎外感もあります。そのコミュニティに属すことができていない感覚で少し寂しい感じです。「ちゃんと分かるように話してよ」という怒りもあるかもしれません。しかし、それだけではないのです。むしろ、ワクワクした気持ちがあります。それは、新しい世界に触れることができたという喜びや好奇心が広がる感覚です。また、新しく触れるそのコミュニティへの自分の可能性も感じます。私が理解できなかったり、違和感を覚えたりしているということは、私がそのコミュニティの常識と違う着眼点を提示できる可能性があります。新たな視点をもたらす貢献ができるかもしれません。話し手はこの言葉が専門用語だということさえ気づいていないのです。当たり前に思っていることが、実は当たり前でないことに気づかせることができるかもしれませんし、違う価値を提供できるかもしれません。

こういった気づきは、複数のコミュニティを横断することによって得られます。私自身、いろいろなコミュニティに飛び込んだり、いろいろなコミュニティを創っていったりしたいと思っています。また、コミュニティを横断する人に寛容でありたいし、できるだけ歓迎したいと思います。

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