見出し画像

相手への言葉は自分自身への言葉でもある

最近、クレーム対応が多くて少し疲弊していました。前向きな改善提案いであればありがたいのですが、自分の組織や自分自身を否定する言葉を延々と聞き続けると少しこたえます。1時間を超えるクレームやときには明らかにこちらを傷つけようという意図で延々と否定的な言葉を投げかけられ続けるのは精神的にキツイです。もちろん、こちらに至らぬ点があるのも事実ですが、相手の希望どおりにならない結果となってしまったのは、相手方と私たちとの共同責任であることも多いのです。そんなとき「この言葉は私に向けたものだけでなく、自分自身に向けた言葉でもあるのではないのだろうか」と捉えなおすことで、少し冷静になり、気持ちをしのげたことがあります。

卒業式の時期となりました。現在のPTA会長から、私がPTA会長だったときの卒業式でのPTA会長の手紙(コロナ禍でPTA会長挨拶がなくなり手紙になりました)が欲しいとの連絡がありました(私の文章というよりお手紙のフォーマットが欲しいということでしょう)。送信するついでに自分の書いた手紙を読み返しました。卒業生に向けて「人はいくつになっても学ぶことができる」「私たちの未来には可能性しかないと確信しています」といったことを私は書いていました。その言葉に自分が励まされているのに気づきました。

自分の言葉を一番耳にしているのは自分自身です。相手への言葉は自分自身への言葉でもあります。それは今の自分へのこともあるし、将来の自分へのこともあるでしょう。言葉を大切にしていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?