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挫けそうだけど前へ

時々自分と他人の人生を比べてしまい、落ち込んでしまうことがあります。
それってよくないと思いつつも、気持ちが沈んでいる時はそう考えてしまうんですよね。

僕は16歳の頃に父親を交通事故で亡くし、32歳で結婚しようと3年お付き合いしていた方と別れ、同年には母親も交通事故により首から下が動かない障害者となりました。

お付き合いしていた方と別れた原因は、お互いの価値観の違いです。
彼女はうつ病を患っており、僕はうつ病が嫌だったわけではありませんでした。
僕自身うつ病についてよく分かっていなかったため、理解を深めようと本を買って読んだり、治療について調べたりしました。
彼女には積極的に治療に取り組んで欲しかったんです。
それはうつ病を治してほしかったためではありません。
僕が彼女のために頑張りすぎなくていいんだ、という安心感を与えてほしかったんです。
僕は大切な人が困っていると助けずにはいられず、時には自分の限界を超えてなんとかしようとしてしまいます。
だから過去には彼女が落ちた時、次の日が仕事であっても何も喋ることができない彼女の横で夜中の3時まで背中をさすっていたこともあります。
しかし僕の心は疲れていました。
よく彼女は「私が落ち込んだ時にあなたが私の味方だと言ってくれることが私の一番の治療であり、薬やカウンセリングは私には必要ない」「私は落ち込んだ時、私からこうしてほしいと言えないから、あなたが思うことをしてほしい」と僕に言っていました。
僕にとって大切で大好きな彼女だからこそ、その期待に応えようとするんですが、僕の頭と感情は連動しておらず、いつも彼女に寄り添うことはできませんでした。
もちろん彼女が元気な時には、何度も何度も「好きだ」「あなたの味方だ」「辛いことがあったら言ってほしい」と伝えていました。
その言葉を忘れているわけではないはずですが、それでも彼女は落ち込む時は落ち込みます。
その度に僕は彼女の様子を伺って、僕が取るべき行動は何なのかと考えてあれこれしてみたり、「あなたの味方だ」「迷惑じゃないよ」と伝えても、うつ状態というのは本心とは裏腹に全てを否定してしまうそうです。
僕自身も心に余裕がなくなってくると、頭ではそのことが分かっていても感情は追いついてくれないから、僕自身が悲しんだり怒ってしまったんだと思います。
でもこれからも一緒にいたいという気持ちはずっとあったんです。
そのためには僕の心も健康でないと彼女と楽しくやっていけない気がして、彼女にはそのことを理解してほしく、そのために彼女自身に治療に向き合ってほしいと伝えていました。
しかしそれは叶いませんでした。

そして母親が交通事故を起こし、障害者となりました。
父親の時に経験したあのショックが再びやってきたんです。
幸い命は助かったものの、寝たきりの姿を見ると涙が止まりませんでした。
父親がいないため今は僕が全ての手続きを行っています。
仕事をしながら慣れない手続きを行うのは肉体的にも精神的にも疲弊していきました。

ある日から僕は毎朝3〜4時に目が覚めるようになり、それから二度寝をすることもできず、仕事中に眠くなるということが増えました。
布団の中では別れた彼女のこと、母親のことを常に考えてしまい、いつも涙を流していました。
さすがに眠れないのはきつく仕事にも支障をきたしていたため心療内科に行きました。
すると僕までもがうつ病という診断されてしまいました。
でも仕事は頑張りたいし、僕のプライベートが原因で会社に迷惑をかけたくなかったため診断書は書いてもらわず、抗うつ薬と睡眠薬を服用しながら会社に行きました。

うつ病発症から5ヶ月経過した今は薬は飲んでいません。
しかしまだネガティブに考えてしまったり、眠れないこともあります。
そういう時は趣味を楽しんだり、新しいことに挑戦することで何とか自分の気持ちを保っている気がします。
それでも厳しい時だけカウンセラーの力を借りています。
もしかすると別れた彼女のうつ病について勉強したことが、今度は自分の役に立っているのかもしれません。
誰かに依存していては新たに僕のことを大事にしてくれる人も現れないでしょうし、僕自身もできる限り自分の機嫌は自分で取ろうと思います。

現在33歳、周りと比べると僕だけ違う人生を歩んでいるように思えてしまいますが、僕は僕なりに前を向いて頑張っていこうと思います。

似たような境遇の方がいたらと思い、記事に書かせていただきました。

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