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実話怪談 #36 「事故物件:後編」

 Sさんと一緒にコンビニ弁当を食べて、テレビを観たり、無駄話で盛りあがっていると、そのうち夜の十一時近くになっていた。

「どんなもんや。そろそろ記憶が飛びそうか?」
 Sさんは好奇心に満ちた口調でそう尋ねてきた
「飛びそうかどうかは俺にもわからへんねん。飛ぶときは勝手に飛ぶから。でも、まあ、今日も飛ぶんやろうけどな」
「そうか……早く記憶が飛ばんやろか。なんかわくわくするわ」
「わくわくってなんやねん。俺は結構本気で悩んでんねんぞ」
「悪い悪い」
 Sさんは一旦は謝りながらも、嬉々とした口調で尋ねてきた。
「記憶が飛んでいるあいだに、前世の話とかしとったらどうする?」
「なんかお前、ほんまに楽しそうやな……」
「外国語をペラペラ話しだすとかもありそうやな。なんかマジでわくわくするわ」
「いや、だから、わくわくすんな」
 Sさんにそう言って抗議した次の瞬間、池内さんは玄関の三和土に立っていた。

 状況が掴めずに一瞬は呆然としたが、これまでに何度も経験してきたことだ。記憶が飛んだのだとすぐに理解した。

 池内さんは玄関から後ろを振り返った。Sさんに動画が撮れたかどうかを確認しようと思ったのだ。
 だが、そこにSさんの姿はなかった。
 部屋やトイレを確認してもSさんは見つからなかった。Sさんに預けた池内さんのスマホは、部屋のテーブルの上に放りだされていた。
「なんや、あいつ……どこにいってん……」
 動画を撮ると言っていたくせに、まさか帰ってしまったのだろうか。
 少しばかり苛っとしたとき、池内さんはようやく気がついた。
 Sさんなんて友達はいないのだ。

 池内さんにはYさんという友達がいるが、Sさんという名の友達はいない。また、さっきSさんとコンビニ弁当を食べたが、その痕跡も部屋にいっさい残っていなかった。
 つまり、Sさんは現実には存在しておらず、この部屋を訪れてもいないのだ。

 池内さんは強い懸念を抱いた。
 なにかおかしい。おかしいどころか異常だ。
 なぜ、存在していないSさんという友達が、部屋にやってきたつもりでいたのか。
 
 以前にYさんがこう言っていた。
「事故物件なんかに住んでるからやろ。祟りやって、祟り。こわっ」

 自分の身に起きていることは、きっと記憶が飛ぶだけの話ではない。祟りとまでは思わないにしろ、奇妙なことが起きているのは確かだ。前に脳の問題を疑ったが、そういう現実的な話ではなく、常識から外れた不可解なことが起きている。
 池内さんははじめてこう強く意識した。
 この部屋は過去に自殺があった事故物件だ。

 翌日、池内さんは部屋の担当の仲介会社に電話で連絡した。
 前入居者の自殺の詳細を確かめたかった。

『失礼いたしました。お伝えしたつもりでいたのですが、失念してしまっていたようです。自殺された男性の名前はお伝えできませんが――』
 仲介会社の担当者は慇懃いんぎんな口調で前置きしてから、こんな説明をした。
『遺体が見つかった場所は玄関の三和土たたきでした。玄関扉のドアノブにロープをかけて、首を吊った状態で見つかっています』
 それからこんな話もした。
『男性は自殺する前にご家族あての遺書を残しておられました』
 その遺書の内容から自殺した時間の、おおよそが判明しているという。男性は夜の十一時頃に自殺しているらしかった。

 池内さんやっぱりと思った。
 毎日夜の十一時頃に記憶が飛んで、次に気づくと玄関の三和土に立っている。池内さんの身に起きているその現象と、前入居者の自殺には、なにかしらのかかわりがあるのだろう。どう関連しているかは不明だが、もはや無関係とは考えにくかった。
 また、自殺した男性は、おそらくSさんだ。根拠や証拠は示せないものの、間違いないはずだと池内さんは確信した。

 そして、後日になってから気がついたのだが、池内さんのスマホに、撮った覚えのない動画が残されていた。
 保存日はSさんが現れた日だった。

 恐る恐る開いた動画には、池内さんの後ろ姿が映っていた。池内さんは玄関扉のほうを向いて、薄暗い三和土に無言で立っている。
 しばらくそうしていた池内さんは、やがてゆっくりとこちらを振り返った。その顔は確かに池内さんだったものの、不気味なほど無表情で、なぜか自分の顔が別人のように見えた。
 動画はそのまま十秒ほど続き、いきなり真っ暗になった。そこで動画が切れたのだ。

 池内さんはすぐに動画を削除した。だが、ちゃんと消せているか不安に駆られた。何度も何度も保存をフォルダを確認して、ようやく動画は残っていないと確信を持った。

 後日、池内さんは退去の手続きを済ませて、そのワンルームマンションから引っ越した。引っ越し先もワンルームマンションだったが、事故物件ではないかを念入りに確認した。
 夜十一時頃に記憶が飛ぶという現象は、引っ越しをしてから一度も起きていないという。

     (了)


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