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実話怪談 #28 「うしろ」

 これは十代前半の女性、上野さんのだんである。

 中学三年生の上野さんは週三日で塾に通っている。一年生と二年生のときは週二日で通っていたのだが、三年生からは高校受験を意識して一日増やした。

 その日は塾のある日で午後八時五十分に授業が終わった。
 上野さんはリュックを背負ってから、塾の講師に帰りの挨拶して外に出た。住宅街はすっかり暗くなっており、街灯の青白い光が足もとに落ちている。

 塾から家までは徒歩十五分ほどの距離だ。途中までは友達と一緒に三人で帰るのだが、家の近くになるとその友達とはわかれる。
 古びた郵便ポストが設置してある十字路で、
「バイバーイ」
 友達と手を振り合ってわかれたあと、残り数分の帰路はひとりきりになる。
 
 十字路を右手側に曲がった上野さんは、暗い住宅街に歩を進め、やがて古い民家の前に差しかかった。植木鉢がやたらとたくさん並んでいる民家で、道に面した窓から生活の明かりが漏れだしていた。
 その民家を通り過ぎた直後、上野さんはある音を聞いた。

 コツ……、コツ……、

 それは背後から聞こえる足音だった。音の大きさからして、女性の足音だという印象を持った。

 相手がなんとなく気になった上野さんは、歩を進めながら後ろを振り返ろうとした。
 しかし、あ……と思って、反射的に前に向き直った。
 背後に感じるこの気配は、きっと――

 上野さんは幼い頃からときどき妙なものに遭遇してきた。それは他人ひとには見えないもので、この世に存在するはずのないものだ。上野さんはそういったものを見たり感じたりする体質だった。
 おそらく、後ろをついてくるこの足音も、そのたぐいのなにかに違いない。冷たいような重たいような、それ特有の気配が背後から伝わってくる。
 こういうものには、なるべくかかわってはいけないし、見てもいけない。

 コツ……、コツ……、

 できるだけ気にしないように努めつつ、上野さんは前だけを見て歩き続けた。しかし、足音は一定の距離を保ってついてきた。いや、少しずつ近づいてきているようで、足音はだんだん大きくなっていた。
 足音に追いつかれそうな気がして、上野さんは自然と早足になった。すると、背後の足音も調子が早くなった。

 コツ、コツ、コツ、コツ、

 そのとき、スカートのポケットの中で、スマホが震えた。

 ブー、ブー、

 誰かが電話をかけてきたらしい。塾があったために着信音は切っていたが、バイブレーション機能はオンにしていた。
 上野さんは歩を進めながらスマホを取りだした。
 画面で着電の相手を確認すると、Eさんの名前が表示されていた。Eさんはさっき十字路で、「バイバーイ」と手を振り合った塾の友達だ。
 
 コツ、コツ、コツ、コツ、

 足音につけられているせいで、上野さんは不安になっていた。だから、誰かと話ができるのは嬉しかった。さすがに「背後になにかがいる」と正直には言えないものの、友達の声を聞けるだけでも不安がいくぶんかでもやわらぐ。

 上野さんは通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てた。
 すると、Eさんは消え入るような声でこう言った。
『わたし……うしろにいるの……』
 一瞬の間のあと同じ言葉が繰り返された。
『わたし……うしろにいるの……』
 上野さんは慌てて電話を切った。

 スマホの画面にはEさんの名前が表示されていた。だが、実際に聞こえてきた声は、明らかにEさんのものではなかった。似ても似つかない別人、若い女らしき声だった。
 おそらく、本当の声の主はうしろにいるなにかだ。

 コツ、コツ、コツ、コツ、

 そして、また手の中にあるスマホが震えた。

 ブー、ブー、

 今度は画面に『お母さん』と表示されている。その表示を信じるのであれば、着電の相手は上野さんの母親だ。しかし、今しがた後ろのなにかに騙されたばかりだった。電話に出るか出ないか迷ったものの、本当に母親という可能性もある。母親であれば声が聞きたい。

 上野さんは母親であること願いつつ電話に出たのだが、さっきと同じ若い女の声がボソボソと言った。
『ねえ……こっちを……向いて……うしろにいるの……』
 同じ声が繰り返す。
『ねえ、こっち――』
 全部聞く前に電話を切った。

 コツ、コツ、コツ、コツ、

 足音は少しずつ距離を詰めながら、なおも上野さんの後ろについていた。このままだと追いつかれてしまう。上野さんはどんどん足が早まり、ほとんど小走りになってい。
 小走りに家に向かっているあいだも、スマホが手の中で何度も何度も震えた。

 ブー、ブー、
 
 さすがにもう電話に出るつもりはなく、着電の相手も確認しなかった。すると、スマホは十秒ほど震えたあとに一旦沈黙し、ややあってからまた震えだした。

 ブー、ブー、

 放っておくと電話は切れて、ややあって再び着電があった。スマホはそうやって何度も何度も繰り返し震えた。

 ブー、ブー、

 そのうち上野さんは気がついた。
 ずっと進み続けているというのに、いつまで経っても家に着かない。

 郵便ポストのある十字路から家までは徒歩で数分の距離だ。数分はゆうに経っているし、しかも小走りで進んでもいる。本来であればとっくに家に着いているはずなのだが、どういうわけだかまだ家に着かない。ちゃんと進んでいる感覚はあるというのに、いくら足を進めても行手に家が見えてこないのだ。

 このまま家に帰れないかもしれない。
 上野さんは強い不安に駆られたが、小走りの足だけはゆるめなかった。

 コツ、コツ、コツ、コツ、
 
 足音が執拗に上野さんにつきまとい、スマホも執拗に手の中で震えた。

 ブー、ブー、
 
 足を進め続けていた上野さんは、やがて行く手の白い影を認めた。人の形をなした虚ろな影で、炎のようにゆらゆらと蠢いている。
(なに、あれ……)
 得体の知れないもので不気味だったが、足をゆるめるわけにはいかない。ハ背後の足音に追いつかれてしまう。
 上野さんは小走りのまま進み続け、その影にどんどん近づいていった。そして、間近まで迫ったとき、影がすうっと滑るようにこちらに向かって動いた。
 次の瞬間、上野さんはドンという衝撃に襲われた。

 気づくと上野さんは尻餅をついており、目の前には上野さんの母親がいた。母親は胸のあたりを押さえて顔をしかめている。
たた……どうしてぶつかってくるのよ……」
 上野さんは母親が突然目の前に現れたことに困惑していた。しかし、わけがわからない一方で安堵もしていた。
 もう足音は聞こえないし、スマホも震えていない。後ろをついてきたなにかはどこかに去ったらしかった。

 母親は胸から手を離すと、尻餅をついている上野さんを見おろし、厳しい顔と声で言った。
「なにしてたの? 帰りが遅すぎるじゃない」
 母親は帰りが遅い上野さんを心配して、ここまでさがしにやってきたらしかった。そして、ここで上野さんを見つけたまではよかったのだが、小走りの上野さんが真正面から突っこんできた。おかげで母親は胸を強打したのだった。
 しかし、上野さんには母親に突っこんだという記憶はない。ただ、直前に得体の知れない白い影を見た。もしかしたら、それが母親だったのかもしれない。

「とりあえず、立って」
 上野さんは思考が追いつかずにぼんやりとしながらも、母親が差しだしてきた手を握ってのそのそと立ちあがった。 

「それで、どうしてこんなに帰りが遅いの?」
 さっきから母親は帰りが遅いと繰り返しているが、いつもの帰宅時間と比べてそこまで遅くないはずだ。いつまでも家に着かないという現象もあったが、それでも極端には遅くなっていないと思われた。
 ところが、スマホで時刻を確認してみると、午後十一時を少し過ぎていた。
 塾を出たのは午後九時前後だったというのに、いつのまにか二時間近くも経っている。

 ますます思考が追いつかなくなった上野さんは、母親にさっきまでの体験をそのまま話してみた。母親は上野さんと違って、妙なものを見たり感じたり、そういったことがない人だ。きっと信じてもらえないだろうと、話をする前から半分諦めていたが、案の定信じてもらえなかった。
「また変な話をして……」
 いつものように怪訝な顔をされてしまった。

「とにかく話はあと。まずは家に帰りましょう」
 母親にうながされるまま家に帰ると、わりとしっかりとした説教をくらった。上野さんの帰りが遅かったことを、母親はかなり心配していたようだった。その心配が今は怒りに変わっている。

 ようやく母親の説教が終わったあと、上野さんは二階の自室に向かった。ベッドに座ってなにげにスマホを確認してみると、留守電のメッセージがいっぱいになっていた。

 足音から逃げるように小走りで進んでいたとき、スマホが何度も何度も執拗に震えていた。無視して電話には出なかったが、そのときの留守電だろうか。
 
 上野さんは恐る恐るスマホを耳に当てて、メッセージのひとつを聞いてみた。
 すると、異常に間伸びした低い声が録音されていた。

『うぅぅしぃぃろぉぉ……わぁぁたぁぁしぃぃ……』

 上野さんは急いで留守電を終了して、残りのメッセージは聞かずに消去した。

     (了)


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