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eps. 21 誰のために

ご無沙汰しております。
noteの更新、少し時間が空いてしまいました。

今回のテーマは「誰のために」です。
人は誰のために働き、誰のために遊び、誰のために何をするのか。考えたことはありますか?


先日、ばあちゃんが倒れ入院しまして、家庭がバタバタとしていました。幸い生命力が強くしぶとくリハビリもして元気に生きております。(尋常じゃない量の薬を飲んでいますが)
なんなら愛犬も病気になり二重でバタバタとしておりました。(愛犬もばあちゃんも死ぬと言われていたのにも関わらず、しぶとく生きながらえているのはありがたい限りです)
自分はその出来事が起こった瞬間に「はっ!」としました。
これまでばあちゃんの映像や写真をたくさん撮ってきました。別にお金が発生するわけでもないただの素材として。家族の記録として。
なぜ僕が「はっ!」としたのか、、、
自分は、ばあちゃんが倒れた時ぶっちゃけ何もしてあげられなかったんです。医療従事者でもなければ、医療の知識なんてこれっぽっちもない。焦りうろたえ、どーするどーするとテンパるだけでした。
その時思ったんです。自分が今身につけようとしている技術は、人を救うことはできないじゃないか、誰のためにやっているんだ?と。
お金のためと言ってしまえばそれまでですが、でもきっと誰かのためにと思って僕はこの仕事を選んで技術のレベルを上げようとしています。
もちろん自分のためにっていうのは大前提であるでしょう。自分の人生なので何がどうあっても結局どんなにかっこつけて「人のために」「誰かのために」なんて言ったところで自分軸は外せないと思います。ただその先に、自分軸の先に誰かのためにっていうのはあると思うので今回のテーマに挙げてみました。

「誰のために」思い浮かぶ人がいますか?
家族。友達。恋人。息子。社員。社員の家族。
人それぞれあると思います。

じゃあその人たちに何をしてあげられるでしょうか?
・・・・・
僕はパッと思い浮かびません。
写真や映像で記録することはできるかもしれませんが、それは僕の自己満かもしれません。

今あなたがしていること、持っている技術、大切にしている軸。
それがあなたの先にいる誰かのためになることを、誰かのためになんかしようと思えるようになっていけたらあなたも深みが増すんじゃなかろうかと思います。
全て自戒の意味を込めて。

ただね、いざ誰かがいきなりいなくなるかもしれない、話せなくなるかもしれないってなった時に人は「もっと優しくしてあげればよかった」とか「もっと話しに行ってあげればよかった」とか過ぎ去ってから気づくんです。そう気づいたんです。今更・・・なんて思うことだらけです。
今更・・・ってならないように日々、「誰かのために」今何ができるんだ?っていうのを重荷にならない程度に考えていけたらと思います。

ちょっと何書いてるかよくわからなくなってきたので締めます。
こんなまとまりも何もない文章をここまで読んでくれた方々、ありがとうございました。
ほなまた!



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