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【アドレスホッパー】僕の今までのキャリアとそのときの考えまとめた!【大学時代・前編】

こんばんは、4月からアドレスホッパーになりましたこーすけです。アドレスホッパーってなに?という方はこちらの記事を読んでみてください。

前回は簡単な自己紹介の記事をアップしましたが、今回は自分の大学生活からアドレスホッパーの生活を始めるまでを振り返り、僕がどんなキャリアや考えを経てアドレスホッパーになったのかを、そのときの心情や考えなどまとめてみました。読んでくれた人にできるだけ正確に僕の想いを伝えたいので、今回は大学生活を中心に書いていきます。

大学生のときは、下記のような括りでキャリアについての変化がありました。

・大学1・2年生(19歳〜20歳)
・大学3年生の就活前まで(21歳)
・就活開始〜内定獲得まで(22歳)
・内定獲得後〜新社会人になるまで(22歳)

ちなみに、中学までの僕はサッカーが大好きで、チームの練習以外にも遊びといえばみんなでサッカーをしているような感じでした。神奈川のちょっと田舎に住んでいて部活に打ち込む少年でした。

高校はさらにサッカーの強豪校に進学したので、よりサッカー中心の生活で勉強は赤点を取らなければOKという状態でした。(テストのクラス順位は40人中32番目とかだったかな。)本格的に大学受験の勉強を始めた高3の夏頃で偏差値34とか...

大学1・2年生(19歳〜20歳)

そんな学力だったので、入りたい大学を選べるような状態ではなかったのですが、興味のあった学部は心理学部と体育学部でした。大学の入試は全て落ちて浪人することを覚悟していたのですが、センター試験を使って出願した大学に合格したので、その大学に進学を決めました。(合格発表は卒業式が終わった後でした。)

入学当初は、卒業したらどんな仕事をしたいかなんて考えてなかったし、自分のキャリアをどうしていくかなんて考えたこともなかったと思います。専攻はスポーツトレーナー関連の資格を取るものだったので、オリエンテーションのときの説明に流されるように、資格取得に必要なカリキュラムを取っていました。

特に勉強に励むこともなく、サボりながら単位を落とさないギリギリで授業を受けていました。とはいっても、スポーツ関連の授業は楽しいものもあったし、取れる資格は全部取ろうと思っていました。

ところが、僕が仲良くなったいつメンのみんなは、意外と資格を取りたいという気持ちはあまりなく、資格取得に必要な授業でも落としてしまった単位は諦めたり、2年生からは大変な先生の授業は取らないようになっていきました。僕はなんとかフル単を取れていたのですが、周りに流されるように、いつメンのみんながいない授業は選択しなくなり、楽単を中心にしていました。

同時にスポーツトレーナーとして、アスリートのサポートをしていきたいという気持ちはなくなり、目標も夢もない状態になりました。どうせ大学を卒業したら40年間働き続けるのだから、学生のうちに後悔ないくらい遊びつくそうと思い、できるだけバイトで稼いで、稼いだお金は全て遊びに使ってという生活をしていました。典型的な堕落した大学生活でした。

まとめると、周りに流されて、自分の考えも軸もなにもなかった時期です。

大学3年生〜就活開始前(21歳)

大学3年となるとキャリアに関する授業が始まりますが、内容は全く覚えてないです。外部の講師が来て、結論、マイナビ・リクナビ・日経なんとかの登録だけはほぼ強制的にやらされたのは覚えています。

はっきりとは覚えてないのですが、大学2年の後期か大学3年の前期に、いつめんに加えて一緒に授業を受けていた友達がいたのですが、その友達とケンカをして、うまく仲直りができず居心地の悪い状態になりました。加えて、いつメンの半分くらいがFXのマルチ商法的なものに引っかかっていて、反対していたのでいつメンからも若干はぶかれるような状態になっていました。

今まではクラスの中心的なキャラだったり、陽キャの部類だったので仲間に入れないという経験が初めてで、かなり辛い時期もありました。しかし、既に大学には週3回しかいかない状態だったし、いつメンのなかでも僕と同じくFXの勧誘を断って、なおかつ”騙されてるから辞めろ”と言っていた友達と授業が一緒のこともあったので、途中からは開き直って特に気にしていませんでした。

そんなわけで、友達が一気にいなくなったので、空きコマの暇つぶしに大学の図書館に行くのですが、暇すぎて就職のことを考えるようになりました。

周りにも何人かその職業についていた人もいたし、小さい頃から漠然と憧れていたし、当時、その職業をテーマにしたドラマが放映されていて、こういう人のためになる仕事をしたいと思ったのもあり、消防士になろうと思いました。

消防士になるために公務員試験対策の授業を選択して、卒業に必要な残りの単位は、誰かに合わせて授業を取ることがなくなったので、自分が興味のある授業を取ることにしました。そこで選んだのは、経営学・経済学・マーケティングに関する授業でした。

公務員試験の勉強は思ったよりも楽しく、筆記試験はほぼ合格するだろうというレベルにまでなりました。このときは、消防士なら公務員で将来安泰だと思い、卒業後の進路は消防士になること一択でした。

相変わらず公務員の勉強以外は適当な大学生活でしたが、初めて自分のキャリアを考えたのが、この大学3年生のときです。

まとめると、自分が既に知っている職業の中でベストなもの(憧れや世間一般的な意味の安定など)を選んでいた時期です。

大学時代・前編のまとめ

最初の記事でも書いたように、今はある程度、周りから羨ましいと思われるようなキャリアを走り始めているわけですが、もともとは、勉強もできないし、大学はFランだし、楽な方に、みんなと同じようにして、周りに流され、やりたいことも特になく、なにか行動を起こすわけでもなく、目標も夢も持っていませんでした。

大学で初めて能動的に取り組んだのが、公務員試験の勉強です。でも、今の僕の仕事はWebマーケティングのフリーランスです。消防士として働いていません。その理由は大学生編②で書いていきますので、楽しみに待っていてください。

ここから、僕が働くことに対する考えや、そもそも人生に対する考えが少しずつですが、今のものと近くなっていきます。

今日は六本木のおとぎの国のようなホステルから!それじゃまた!

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