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空き箱たち

 紙ゴミの日まで一週間ある。15年目にしてゴミになる箱を潰せずに手を止めてしまうので部屋はちっとも片付かない。
当時の私は仕事場と自宅と買い出しにしか車を使っていなかったので、そもそもカーナビなんていらなかった。遠距離だった彼の所へ行くためだけに買ったカーナビ。しかもその後車ごと息子に譲り、車も乗り換えたのであるのは箱だけ。

携帯電話の空き箱は上記の記事で書いた時のものだ。箱の中のものをプラゴミやら不燃物に分けるために空けてみると充電器の保証書が出てきた。

平成19年9月14日(2007年)

私が聞いていなかった開業日から1週間後だった。たぶん記憶では知り合って2ヶ月少しだと思う。この日を境にメールの交換もなくなり、1通のラブレターも貰うこと無く突き進んでいったがためにゴミすら愛おしい片付けられないオバサンになりつつある。

片付けられないどころではなく

ここ数日、ネットで彼の足跡を探してはせっせとプリントしている。最初は1枚彼の写真を印刷しようと思っていた。その1枚が決められない。古いものから新しい物へと見ていくと、若すぎ、まだ痩せてる、マスクしているとなってつい先日まで見ていた笑顔はマスクの下に半分隠れてしまっている。
 しかも亡くなる少し前、お風呂上がりの彼の顔を見て私は「もしかしてヒゲ伸ばしてる?」と聞き、彼はきっぱり「ウン」と答えた。
アゴ髭を伸ばしているのはなんとなくわかっていたけれど、口の上のヒゲも伸ばしていたんだ。無精髭だと思っていた。いや、正直に言ってヒゲが薄いから無精髭にしか見えないのだけれど、お髭姿の写真が欲しかった。
ネットと動画にある彼を印刷しているから、片付けすらしていないし保管するものを増やしている。

Instagram


彼がインスタを初めていたことは、ご遺族がインスタに亡くなられた報告をされたのを見て驚いた妹からの連絡で知った。
彼の初投稿は2021/8/22 現在は15週間前と表示されている。
そして最後の彼の投稿が2021/9/20 11週間前。亡くなる10日前。
Facebookは友人たちとの交流を楽しんでいるらしくよく話をしていたが、ツイッターわからん!インスタはもっとわからん!と話していた彼は手取り足取り教えてもらいながら始めたようで、自分で写真を撮って投稿したのは9/9と9/10の出張先でのイベントの報告だけだった。
 何年も足踏みしていて踏み出せなかったSNSを始めたのも、HPを外注したのも何かしらの強い覚悟と勝負があったのだと思う。まさかその月のうちに亡くなるなんて思わないのだから。
これから生きていく私はその彼の無念さをどう受け止めるべきなのかがわからない。
ゴミ箱に捨てられないものは処分に困る。無念さを思えば思うほどに愛しさが募ってしまうのだから。

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